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同人誌表紙制作について
はじめに
先日ご縁があって神崎亜美さんの同人誌「見送り花」の表紙を描かせていただきました。
一通り落ち着いたあと、絵の構成の話などをしてほしいと言われたのでどうしようかなぁとなり、多分絵の内容の解説を求められているのだと思うけど、一応その前段階から話を始めないと分かりづらいよな〜などと考えていました。
なんならもうちょっと踏み込んで参考にした資料とかにもふれたいよな〜と膨らみ、なんかもう好きなことなんでも書いてみたらいいやと思ったので、そんな感じで依頼を受け構成を考えるところから完成するまでの試行錯誤を追って行こうかなぁと思います。
キャラクターへの言及は少ないし、割と作品に関係のない私の趣味嗜好や私自身の過去作に話がズレたりするので面白いかわからない上に異様に長い(1万字を軽く超えている)ですが、よければお付き合いください。
神崎さんの作品の方はこちら)。本での頒布は終了されていますが、web上で全文公開されています。
基本的に内容のネタバレなので先に作品を読まれてからこの記事を読むことをお勧めします。
1.表紙作りはじまる
物草ゆえほとんど人と交流する機会のない同人オタク(友人にウン年同人やってるが人と関わらなすぎてアンソロ等に誘われたことがないと言ったら爆笑されたタイプ)、思いがけず小説の表紙を描いてもらえませんかというご依頼を受け驚愕。ほんまか?!と数度見し、ほんまや!!ともう一度驚き、初めての経験に、すごい!むっちゃ同人オタクっぽい!とテンションが爆上がり即諾。構成から納期からさまざまなところで融通をきかせてくださった神崎さんの寛容に支えられ、ドキドキ表紙作りが始まる。
最初に提供いただいたのは全体の内容のわかるプロット。細かい肉付けが入る前ではあるけどかなり詳細に流れが組まれていたため、すげ〜プロットってこんなふうに作るんだ!とテンションが上がる。
神崎さんからは表紙にはくにちょぎの本ということがわかるように国広・長義、そして物語上重要なアイテムとなる赤いゼラニウムの花を入れてほしいとのご要望があった。
具体的な作風として、私の過去作品の中のどれとイメージが近いか伺ったところ「ハロー、ワールド!」や「君の瞳で世界を照らして」「地獄変(同人誌版)」等の、風景を主体に人物を添えるようなイメージで、特に表紙部分にキャラクターを配置したものが良いとのご回答だったので、なるほどと思いながらプロット中からそのイメージを広げられそうな場面を探す。
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絵の作風上、室内などの限定された空間では構成しづらいため、風景的な広がりがあり視覚的にイメージを起こしやすい場面として、ラストの中庭での対峙シーンと夢の中で展開される過去の小田原の情景に白羽の矢が立つ。赤い花の咲き乱れる庭は視覚的なインパクトが強いし、海は何度か描いたことのあるモチーフなので応用が利きやすそうよね、といった感じ。
神崎さんから参考にと物語の下敷きに人魚姫のイメージがあることをお聞きし、水の表現が使えそうだなと考える(詳しくはこちら)。
ゼラニウムの花について、花壇によく植わっている花というくらいのイメージしかなく、香りの花という印象がなかったのだが、さわやかなフローラル系の香りで、芳香の強い品種を使ってアロマオイルなども作られているらしい。
原産国は熱帯アフリカ、シリア、オーストラリアなどの温暖な国で、乾燥に強く直植えなら水やりがあまり必要ないらしい。これなら大ざっぱそうな国広でも安心して育てられる。
開花時期は一季咲きのものは4〜6月、四季咲きのものは4〜7月、9〜11月、寒さに弱く日本の冬は越せない品種が多いらしい。
ということはゼラニウムが咲き乱れる光景のみられる季節としては気候のいい時期が想定される。ついでにラストシーンの天気と時間帯を伺ったところ、晴れの日の早朝〜日中の想定であるとご回答いただく。これで大体の気象条件の目算が立つ。
中庭は、ここが中庭であるとわかるために建物を映り込ませなければいけない。本文の描写とイラストがズレないよう本丸の建物の造形的なイメージについて伺うと、曰く実写映画本丸のように純和風ではなく、和洋折衷でどことなく病院ぽさを感じる建物のイメージとのご回答。
むむ、和風の建築で考えていたぞ...というか今まで和風建築は何度か描いたことがあるが、洋風建築は全くイメージがない!
イメージの手がかりとして、とりあえず大正時代の実業家の別荘であった和洋折衷の館、「アサヒビール大山崎山荘美術館(https://www.asahibeer-oyamazaki.com/sp/)」や、藤井厚二による日本最初の文化住宅「聴竹居(http://www.chochikukyo.com)」などをふわっと思い出す(聴竹居の詳しい建築については松隈章著「聴竹居 藤井厚二の木造モダニズム建築 」(https://www.heibonsha.co.jp/smp/book/b193686.html)がビジュアルも美しく分かりやすかった。快適で過ごしやすくするため細部にまで込められた心遣いがにくい。
この二つは以前描いた同人誌「君の瞳で世界を照らして」で、結婚した二振が暮らす家とは...文化的で心地いい暮らし...というのを考えていた時に参考にさせてもらっている。
でも言葉から抱くイメージはもうちょっと漆喰の壁のどっしりした建物だよな...あれらは住宅だし病院らしさとは...とモダン建築や近現代の病院をぽちぽちググり出てきた、京大生物学教授の元邸宅であるヴォーリズ建築の「駒井家住宅(http://www.national-trust.or.jp/protection/index.php?c=protection_view&pk=1490651710)」、「風立ちぬ」で菜穂子が療養するサナトリウムのモデルになったという「旧富士見高原療養所(https://www.82bunka.or.jp/bunkashisetsu/detail.php?no=957)」あたりが想像の中の病院ぽい和洋折衷の館に近い感触を得る。神崎さんにご確認したところ、「駒井家住宅」をもう少し和風テイストにしたようなのがまさにイメージということ。これでやっと描き出せる!ということでひとまず構図案を作り出す。
2.構図案を提出する
表紙をデザインする際、表紙・裏表紙等、各部のパーツによってそれぞれ要素を区切るやり方もあるが、今回は風景主体のイラストとのことなので、表紙から裏表紙までぶち抜きで絵が繋がっているデザインである。
今回は文庫本のカバー表紙だったため、表紙・裏表紙・背表紙に加え、表紙・裏表紙の折り返しまで付き、1枚続きならかなり横長の画面になる。ただし、事前にweb上で本文を公開されるとのこと。その時は表紙部分のみしか公開されないため、横一続きだけでなく、表紙のみをとっても絵的に成立する構図である必要がある。
さらに全体のデザイン(ロゴ・クレジット等)に関しては神崎さんご自身でされるとのことだったので文字が入れられるような場所も空けておく必要がある。
自分の本作るのとはやっぱり勝手が違うな!と思いながらとりあえず上を踏まえて最低5案くらいは作りたいなと考え始める。
ところで、先程一枚続きでも表紙のみでも絵的に成立するようにと言ったが、カバー表紙という形になると折り返し部分という本を閉じた状態では不可視の部位がある。そのため、いきなりカバーを剥いて眺めたいタイプの人でなければ、普通は本を見る時には、表紙を見る、カバーを開き折り返し部分を見る、本文を読む、裏表紙折り返しが現れる、本を閉じて裏表紙をみる、というように見る部分による時間差が発生する。人によっては表紙を見た後に裏返して裏表紙も見たり、全部読み終わった後もう一度表紙を見直したり色々だろうけど、特に折り返し部分については、表紙折り返しは本文未読状態で、裏表紙折り返しは本文既読状態で見られる場合が多いのではないかと思う。
今回の表紙ではこの時間差というのがかなり重要になる。なぜなら「見送り花」という作品は複層的な時間軸の錯綜が物語全体を支配しているからである。
読者には最初は限られた情報しか与えられない。探索者の役割を担う長義と共に少しずつ時間軸の構造を探り、真相に近づいていくのである。深層=真相を理解することで、物語序盤で表層的な理解に留まっていた出来事の意味付けが変わり、言動の見方が鮮やかに反転する。深層で初めて立ち現れる秘められた心は、直裁的な言動では表わせなかったものであるが故に強い引力を持っている。その力で強く読者を引きつけ、引き絞りきって最後には手放してしまう、その開放感とカタストロフィーがこの作品の面白さだと思う。
そのため、時間軸の積み重ねは表紙を描く上でも決して無視できない要素だった。ラストシーンが絵的に立つところであっても、その意味が理解できちゃうと物語の中で段階を追っていく楽しみを折ってしまうわけである。
そういうわけで、読者がカバーを見るときの時間差を利用して、カバーの折り曲げの線を漫画のコマ割りのように時間を分断する境界と見立て、カバーの各部分によって絵の中の時間軸そのものを分けてしまうことを考える。具体的にいうと以下の図のようになる(構図案提出時に神崎さんにお見せしたものである。見直すと雑やな!)。
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これでなんとか具体的なシーン設定、モチーフの視覚的特徴、表現する内容の方向性が出揃い、神崎さんより頂いたご要望を踏まえ、以下の5案を作成した。全て実際に提出した資料である。
表紙案その1
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多分自分の本ならこれにするかな〜という、一番思考ゼロで描ける表紙。自分の本なら裏表紙・裏表紙折り返しの諸要素は全部抜いて赤い花だけにするかなぁ。
個人的にある程度の時間幅のある物語を描く場合、表紙の情景を、いつ・どこでという特定の時間に限定されるものにしたくない、緩やかに幅のある時間を内包したような絵を据えたいという気持ちがあるからである。あと、作り込んだ作為的な要素の多い表現物があまり好きではないのもある。日常の中で何気なくシャッターを切ってみた写真のような、整理されない見せる意識のなさが好きで、背景に物語を持たせたい絵ほど何を見せたいかという意志は表さずに情報は極力絞った絵が描きたいと思っている。
まぁそれはそれとして、今回は自分の本ではないので、どういう表現がこの「見送り花」という作品の魅力を伝える上で最適か?というのをぐるぐる考えながら構図を練っている訳である。ゆえに慣れてない洗練されてない野暮ったい感じが出るのもさもありなんというか、自分は何にこだわっていて何ができてできないのかが露骨に見えるのでグエ〜いい勉強や...と思う...。
話が逸れてしまった。他の案でも出てくるが、この構図では同じ空間の中に同じ人物が複数登場することによって時間経過を表す、「異時同図法」を使っている。絵巻などで使われる表現方法で、早い話が漫画からコマ割りをとっぱらったようなものである。
モチーフとしてのキャラクターは非常に情報量の多い存在である。服装・表情・目線・仕草、あらゆる箇所に情報があり、それゆえに絵そのものがいつ・どこという特定の状況下、点的な時間に限定されやすい。
キャラクターの中に複数の時間軸を混ぜ込むことによって時間を曖昧にする表現もできるのはできる。拙作「地獄変」のpixiv版表紙がそれで、同一キャラクターの中に複数の時間軸を示唆する要素を混ぜ込んでいる(これは読者のメタ的なキャラクター知識に頼っているところも大きい。例えば国広のボロ布の有無はそのまま着用時の彼の精神性(そしてその時点)を測るバロメーターにもなっている。)。
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この絵はマネの有名な絵画、笛を吹く少年が現実的な事象を背景として描かない(これは当時の西洋美術界では一般的な表現ではなかった。浮世絵の影響を受けていたと言われている。)ことで、時空間から人物を際立たせたという話を、昔講義で聞いたよなぁというのをふんわり思い出しながら描いている。この作品は物語開始時と終了後でキャラクターの状況が大きく変わってしまうため、キャラクター以外の視覚情報を絞ることで特定の日時に縛らないことを試みた。
モチーフとしてキャラクターも織り込むこと、特定のシーンを基に情景を描くということは決まっていたため、今回の制作では「地獄変」のような描き方はできない。でも、絵の日時を特定すると作品の構造の魅力が出せない。そこで、異時同図法で同じ人物を同じ場に出すことで、手っ取り早く場の時間を曖昧にしてしまおうというわけである。
表紙案その2
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これはその1よりも踏み込んで異時同図法を使用している。物語開始時点(長義にとって国広が理解し難い存在である段階)、物語開始以前(長義が監査官として本丸に潜入した段階、これはミスリードによる鎮魂部所属国広が率いる本丸への潜入という、実際には存在しない段階も兼ねている。)、物語終了後(国広が長義を失い一振で生きていく段階)、の異なる時間軸のキャラクターたちが入り混じっている。その際、前景から遠景に向かう奥行きを仕切る壁・建物といった物理的な仕切りや、読者の見る時間を区切る、本としての構造的な折り返し線で複層的な時間軸を区切っている。
全体として時間の進む方向を左から右のスクロールに決めて、視線の向きの左右で思いを馳せている時間そのものを示唆したりというのも、この段階では一応考えているがその後、本稿描いていくにつれて普通に忘れ、反対向きに描いてたりする。よくあることやな!
表紙案その3
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これは割と見たままである、その2が建物で時間を区切っているのに対し、こちらは影と光で所属する立場を区切っている。
この絵、地味に表紙折り返し部分の建物をどうするか?というので悩んでいる。表面をうっすら舐めてみた程度の私見だが、洋風の家、和風の家の印象の違いには屋根の形が少なからず影響しているのではないかと思う。
一般的に日本建築は軒を深く取る。雨や日光を防ぐためで、日本という国の気候風土に根ざしたものであるが、軒を深くするために様々な工夫が凝らされている。屋根の勾配を作る垂木(たるき)を桔木(はねき)で内側から支え、屋根全体の荷重をその根元にかけることによって、軒先が下がらないようにテコの原理で跳ね上げる、という作りは初めて知ったとき惚れ惚れとした(初心者向けにわかりやすく説明されている太田博太郎監修 西和夫著「図解 古建築入門(https://www.shokokusha.co.jp/?p=224)」という本で知ったが、建築ってすげー!となる面白い本です。)。
この絵では軒を深くしてしまうと折り返し部分が窮屈になるので、できれば短く邪魔にならないように端にかためてしまいたい。しかしこの屋根で漆喰塗りにすると洋の要素が勝ちすぎるので苦肉の策で柱を見せてぽくなるようにしたりしている。あとゼラニウムは鉢植えにされているイメージが強かったためバルコニーを作って掛けてみたが結局洋が勝ってしまった気がする。和風洋風ってよくわからない...。
表紙案その4
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裏表紙折り返しに太陽を置くのは、その2で物語終了後の国広を配置して意味付けしていることを抽象的に表したものである。しかしながらこれ、小田原城まではなんとなくかけても昔の本丸とか新しい本丸とかほんとに描き分けられるんかいと自分で突っ込みながら説明を書いていた(説明の中でもつっこんでいるが...)。
あと、長義が赤い花になって消えていくシーンを描こうと足元から花と化していく風に描いているが、花が赤いだけに下手にぼかすと足元が血まみれみたいになってしまう!と内心思っていた。花の形をはっきり描写ができるくらいの距離(大きさ)じゃないと描きにくいだろうなと思っていたが、これには後々悩むことになる。
表紙案その5
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これは割と単純な構図ながら国広目線・長義目線で異なる時間経過を読み込むというちょっと複雑なことになっている。
宗教画、それも礼拝対象となるような尊像画像は西洋でも東洋でも左右対称で重心の安定した構図が採られることが多い。仏教絵画ではある程度に動的な物語性を持つ菩薩以下の仏に対し、如来格の尊像は礼拝者に安定した姿勢で正対するよう表されることが圧倒的に多い。
建物そのもので聖性を表すといえばその粋として鎌倉時代の僧、重源による「浄土寺浄土堂(https://ono-navi.jp/spot/463/ 」(快慶作阿弥陀三尊を安置する建物。屋根の垂木が像を中心として放射状に広がり、集中線のような効果を持つ、西日が建物内で反射し像を含め建物全体が輝くよう設計されるなど、建物全体を使って西方浄土が演出されている。本当に全く関係ないが、井上涼による「びじゅチューン!」のこのお堂の回が私はかなりすきである。[びじゅチューン!] 夕暮れ、浄土堂ショー | NHK - YouTube)などが思い出されるが、建物を帝冠様式(コンクリート造りに日本風の屋根をつけた様式。とうらぶ好きな人に馴染みあるものでは東京国立博物館や徳川美術館もこれに当たる。)のような厳しく重厚な作りにすればもっと聖性を表現できるかな?とか...。
浮世絵に影響を受けたマネと同じく、ジャポニズムの潮流の中で日本文化に強く影響を受けたモネは自邸に築いた日本風の庭に柳を植えている(モネの日本庭園への憧憬は2021年に三菱一号美術館・あべのハルカス美術館で開催された「印象派 光の系譜」展(https://artexhibition.jp/topics/news/20220209-AEJ661161/?amp)図録の安井裕雄先生の論考が面白い。)。
和のイメージの表現で用いたが、この両義的な花言葉が面白くて印象に残り、後々にも使用されることになる。改めて検索にかけてみると西洋では柳といえば墓場に植える木であったそうで、鎮魂のための本丸にこの木を置くのは面白いなと改めて思った。さらに悲恋の象徴でもあるということで、ますます物語との親和性を感じる(参考: 黒沢 眞里子 「西欧文化における柳の研究―その1 墓石,追悼画および陶磁器を中心に」https://core.ac.uk/download/pdf/71795667.pdf)。
そもそも日本で柳といえば、根を強く張り流されにくいことから水辺に植えられることが多く、近代以前の日本庭園に柳が植えられている例は考えてみてもパッと出てこない。庭に柳=日本風という図式はその実、西洋から逆輸入された外から見た和のイメージなのかもしれないなとなどとと思う。
以上の5案を提出し、結果その2が採用された。表紙部分で長義に背を向ける国広とそちらを気にする長義という関係が、物語序盤~中盤とリンクして読み始めた読者のイメージに寄り添う事、なおかつその後の展開の転換も表紙で繰り返し感じることができるのが魅力的だったとのこと。
私としてはどれが選ばれるか全くわからなかったが、そうやって話を聞くと確かに物語の時間性を一番表せているのはこの案かもしれない...となんか納得してくる。
そして、その4の花になっていく長義の姿も良かったので、花に埋もれている(よく見たら花と同化していっている)マントといったような間接的な形でもいいので、どこかに入れられたら嬉しいとのこと。時間的な点を考慮すると裏表紙折り返し部分に入れるのが妥当だけど、その部分は前景の部屋が庭を遮っている。そのためなんとか入れ込んで庭にチラ見せさせるか、壁掛けの写真の中に入れるかどちらかになりそうと伝える。
あくまで案なので、細かい構成がきまったらもう一度お見せすると伝え、詳細を詰めた実際の原稿の制作に取り掛かる。
3.原稿の作成(構成編)
案その2は建物をしっかり描かねばならない。建築のモデルは決まっていたが、細部の構造や意匠の規則性などはわからないのでもう少し情報を集めることにする。
モデルとして挙げた「駒井家住宅」は私が住んでいるところから行きやすい場所にある上、ナショナルトラストに寄贈されており一般見学可能なので、実際に訪ねてみることにする。
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建築を紹介するための写真だと柱の接合部の処理や接地部分の処理がどうなっているかわからないので、実物をバシバシ写真撮れるのはかなりありがたい。
中にガイドさんがいて、この家の主人であった駒井卓教授・静江夫人のことを始め、色々と解説してくださった。その中で、この家を建築したヴォーリズという建築家の話に特に興味をそそられる。
ウィリアム・メレル・ヴォーリズ(のちに帰化し一柳米来留)はキリスト教の宣教を目的に日本にやってきた米国人であり、日本では英語教師からスタートしてキリスト教精神に基づく団体を立ち上げ、伝道、建築、医療、教育など様々な事業展開を行う中で、建築事業を本格化させていった人である。駒井夫妻の家を設計するきっかけは記録には残されていないが、おそらく、駒井静江夫人とヴォーリズの妻である一柳満喜子夫人が神戸女学院で同窓生であり、その後もキリスト教婦人会等の活動で交流があったことが関係しているのではないかと言われている。彼は日本で最初に活動をはじめた近江の地を自らが神に使わされた土地とし、83歳で没するまでその地を中心に活動し続ける。その建築は近江をはじめとして全国各地にあり、私の住む京都の地にも数多く残されている。
人となりの紹介にキリスト教に関する語が多く出てくるように、敬虔なクリスチャンである彼にとって建築は信仰の実現そのものであったらしい。勉強不足ゆえ詳しいことはわからないが、実用性と住む人の健康を護ることを第一に考えられた建築は、過剰な装飾を廃するという信条をもってしてなお、心地よい美しさを湛えている。
外見上の美しさだけでなく、その背後にある信仰と祈りに、ますます今回のイラストでモデルとして参考にさせてもらうのに適した建物であると感じた。資料用として駒井家住宅のガイドリーフレットに加え、一緒に販売されていた山形政昭監修「ヴォーリズ建築の一〇〇年(https://www.sogensha.co.jp/productlist/detail?id=3215)」という本を購入。この本は絵を描く時ヴィジュアル資料として大変お世話になったのだが、パラパラ見ただけで未だにちゃんと読めてないので近いうちに読んでしまいたい!
ちなみに駒井家住宅のある北白川周辺は、大正~昭和初期に開発され、京大にほど近いことから当時、学者村と呼ばれたほど京大教授たちが固まって住んでいた辺りらしい。隣家(もちろん元京大教授邸宅)は冒頭で挙げた聴竹居を設計した藤井の設計の教授邸宅であったらしい。一帯には他にも有名建築家の家が立ち並んでいるという。なんちゅう豪華な通りや....。
駒井家住宅見学に加え、当時開催していた京都市京セラ美術館特別展「モダン建築の京都」(https://kyotocity-kyocera.museum/exhibition/20210925-1226)も制作の大きな糧となる。
そもそも駒井家住宅を知ったのがこの展覧会の紹介ページである。図録は先行して購入していたのだが、その内容が面白かったので展覧会にも実際に赴く。模型(撮影OK)などが置いてあり建築技術的の面での資料になるだけでなく、建築に託された理念、建物の持ち主や建築家の思想や生活が垣間見える生活品、家具、その中での生活の再現など、人の生活や何か目的を果たすための場としての建築が紹介されていて非常に密度が濃く面白かった。実際に行ってみたい!と思える場所がたくさん知れて満足。2021年に行った展覧会の中でも3本の指に入る面白さだった。
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これは京都大学楽友会館の模型。
さて、参考にしたものを先に挙げてしまったが、実際は本制作を進め、わからん…わからん...となりながら途中で展示や住宅の見学を挟んでいる。
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ラフから早い段階で画面全体を整理して建物を小さくし、花畑の赤い色面がメインカラーとして見えるようにする。
パースを引き直し、表紙手前の長義を基準にして表紙の国広がほぼ同身長になるようにして建物の大きさを合わせると、うーん、建物が小さくなりすぎる...。奥行きの誇張表現としてまあいいや、そこら辺は見て大きな違和感ないならOKということにしておく。実は前景の部屋もパースを合わせると収まりが悪いので中景の建物と正対させず、やや斜にずらしていたりする。
あと、小さい花が丸い塊状に咲くゼラニウムの花畑は、俯瞰位置からみて綺麗な赤い色面に見えるか?という問題も、まぁ現実では見えないだろうな...という気がするが赤に葉の緑を差し込みすぎると補色でバチバチに気持ち悪いことになるので絵的な美しさを優先している。本当はもっとビリジャンヒューみたいな深い青緑の葉っぱなんだけど、その色を赤色の中に差し込むとハレーションで目が死んじゃう上に目立ってほしくないところが立ってきちゃう。有彩色の隣に灰色を置くと灰色は有彩色の補色の色味を帯びて見えるという色彩効果を利用して、赤と接する箇所の葉っぱは茶色がかった灰色を置いて緑色と認識させることでハレーションが起こらないように頑張っている。
逆に表紙手前の長義は目立ってほしいのでその辺りは葉っぱの灰色をやや緑に寄せる・マントの青色の彩度を高くして赤とぶつけてハレーションを起こすようにしていたりした(後者は全体を調整する中で緩和されてしまったけど....)。
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前景の部屋は早い段階で形が決まったのだが、中景の建物はだいぶ悩まされた....。和風と洋風のバランスを考えて柱入れてみたり窓の形や色を変えてみたり屋根つけたり外したり....。
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最終的に「病院っぽさ」って大勢の人を収容するため、規格の同じような部屋がたくさん並んでいる画一的さからくるのかなぁと思い、同じ形の窓が連続するデザインに収束されていく。ここら辺はヴォーリズ建築の近江サナトリウムなどを参考にしている。
壁は白漆喰壁にし、窓や扉といった建具の意匠は洋風に、屋根を日本風にすることでバランスを取る。屋根瓦の色はいろんな色を試してみたけど銀の粘土瓦置くと一気に日本ぽくなるからありがたい!
国広のやや不安定な心象を表し、手入れの行き届いた建物でありながら、壁には蔦が這って荒廃の気配がある。窓辺には例の柳の木を添える。
表紙折り返し側、監査官の長義が向かう先に扉を付けるよう変更して動線を作り、表紙の長義へとそれとなく道を繋げている。しかし刀剣破壊されてしまったため花畑の中の道は分断されている。
その次に遠景奥行き部分をどう処理するか?という問題に取り組む。中庭である以上空間は無限には広がらない。どこかで壁にぶつかるがどうする?
初めは道をまっすぐ奥につなげて建物の入り口に入っていくようにしていた。その入り口に入っていく長義のマントが花になっていっている...としたら面白いんじゃないかな!と思ったけど前も言ったように小さくなると血まみれに見えるんだな!物騒でいらん想像をさせてしまいそうな上に完全に建物で囲うと閉塞感が出るため、うんうん悩む(途中1・2段階)。
そもそも病院の中庭ってどんなもん?ってぽちぽち検索していた時に、ゴッホの「アルルの病院の中庭」という作品を見つける(https://www.musey.net/2809)。
ゴッホの夢見た南仏アルルでの画家との共同生活は、ゴーガンとの関係の破綻と共に終わりを告げる。その時のゴッホが耳を削いで馴染みの娼婦に送りつけたという話は有名で、その後彼は病院に入院する。そんな時期を経て描かれたのがこの作品で、彼は入院中も絵を描くことで回復していったのだと言う。
最近も先述の「印象派 光の系譜」展でゴッホの絵が出展されていたのを見た。元々聖職者を目指していた彼が画家へと転身したのはそれなりに年齢を経てからだったが、彼の絵からは生きること、絵を描くこと、信仰が同じこととして結びついていたのだろうなと思わせる、限りなく純粋な故の透徹した強さがある。
そのゴッホの回復へ向かおうとする前向きな希望や、逆に奥に潜む(のちに彼を自殺に向かわせる)不安定さが、鎮魂と祈りと未練と執着の場である見送り花の本丸にリンクしたので、この中庭の様式を参考にさせてもらうことにする。奥の建物に長義が入っていくという案は廃し、広い中庭が続くように変更する。
実際の中庭に咲き乱れる多種多様な花々は赤いゼラニウムに置き換え、噴水と放射状に伸びる小道、特徴的な回廊の要素を取り入れる。回廊は屋根や壁などの意匠を変えて手前の建物と様式を合わせる。手前の建物と繋ぐ道は傾斜と迂回を経てより奥行きを感じさせるようにしている。
奥行きが広くなった分、建物ー庭間を埋めるものとして、中間に蔵を置くことで統一を図っている。これはこの時期たまたま用事があって行った、倉敷の美観地区の白い漆喰壁の蔵から着想を得ている。建築資料の中で参考書の一つにしていた藤田治彦他著「民芸運動と建築(https://www.book.tankosha.co.jp/shop/shopdetail.html?brandcode=000000000492&search=%CC%B1%B7%DD%B1%BF%C6%B0%A4%C8%B7%FA%C3%DB&sort=)」にも掲載されていた「倉敷民藝館(kurashiki-mingeikan.com)」が、あまりにも素敵な建物だったので何か取り入れたかったのもある。最近行った松本民藝家具ショールームなどもよかったのだけど関係ない上に長くなりすぎるので割愛。
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庭の先、裏表紙折り返しの国広のいる部屋と重なり見えなくなる部分に糸杉の木を描く。これは「星月夜」などゴッホの作品に何度も描かれているモチーフであり、地中海諸国では柳よりももっと古く墓場に植えられる木であったと言う。一年中丸い実をつけては落とし続けることから涙を流し続ける木とも言われるらしいく、花言葉は死・哀悼・永遠の悲しみ等。
物語終了後、喪失の悲しさを抱えそれでも穏やかに笑いみんなの幸せのために働く国広の背後にこの木を隠した。
そして庭の噴水に長義のマントを入れようかと思ったがやっぱり血まみれのマントが転がっている猟奇的な光景になりそうなのでやめて裏表紙折り返しにいる国広の横の壁掛け写真の一つにその要素入れる。
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壁掛け写真は、左上 海から見た小田原城、右上 前の本丸(これのみモノクロでガラスにヒビが入っている、わざと断ち切り線上見切れる位置にある。)、中段右 戯れる長義と南泉の後ろ姿、中段左 花になっていく長義、下段花になっていく最中で国広の手を取っている長義の手、となっている。
額縁は円相(円満)が小田原城の写真と手と手を取り合う写真、四角(角がある)が前の本丸と長義・南泉の後ろ姿、八角形(末広から吉祥・幸運を表し転じて幸福)が花になっていく長義の姿となっている。
泡になった人魚姫のモチーフから国広の部屋には水底のような光が差し、八角系の額縁の中にいる長義を一際輝かせるとともに、花を持って過去に思いを馳せる彼の目尻から頬を伝うようにも照らす。
これで大体全体の構図が決まったので、やっと神崎さんにご確認いただく。ラフが決定されてからここまで、身辺忙しかったのもあり、確か1ヶ月ほどかかっている(ラフ提出までは2週間くらい)。当初12月のイベントで頒布される予定だったが、3月のイベントでも大丈夫というお言葉に甘え、早い段階で締切を伸ばしてもらえて本当に助かった…。
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各部の意図も説明し、殊の外喜んでいただけたので嬉しい。最終変更点のないことを確認して細部の描写に入る。
4.原稿の制作(仕上げ編)
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ここからは変更がないので話すことがそんなにない。
白壁が赤い花畑に対して浮き上がりすぎて長義が負けるので陰影を濃くしたとか、それはそれとして景物一つ一つの陰影はあまり書き込まずに夢の中の記憶のようにぼんやりした平面的な色彩にしたとかそういう感じ。表紙手前の長義がこの中で主となる存在なので発光するような一層現実感のない描写にしている。
赤い花をどれくらい鮮やかな赤にするか(そして緑を混ぜるか)のバランスは悩んだが、目立ってほしい長義周辺を濃く鮮やかにし、奥に向けて抜いていっている。CMYK変換するとどうしても色がくすむため、変換前後で落差が出過ぎないようラフ提出時よりも彩度を抑えている。
葉などの緑も含め、画面全体的に統一感がでるよう赤みを帯びさせているが、長義の白と青のマントは赤みが出ないようはっきりと区別させている。多分国広にはこういう風に長義が際立って見えていたんだろうなという...。
それと、国広が長義のゼラニウムの花弁をむしっていたということを踏まえ表紙の長義の周りは花がないように変更している。赤色の中に補色のゾーンができるので、これによって視覚的にも目立つという効果が得られる。
これに印刷用にCMYK変換したものも併せてお渡し、晴れて納品完了となった。構成提出から完成までさらに1ヶ月弱くらい、全て合わせて足掛け3ヶ月弱、イラスト1枚としてはかなり長期間の制作となった。
おわりに
完成し、刷り上がった本を神崎さんが届けてくださった。
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表紙カバーは木目調の凹凸のある紙。パールのようななめらかな光沢があり、レトロで夢見るような雰囲気が表現されていて素敵である。
カバー裏にもおしゃれにイラストを使用していただいていて嬉しい。こちらは前景なしバージョンを使って下さっているようである。pixiv版の表紙も前景なしバージョンを使われているので色々と使い分けて下さっているのだと思うと嬉しい。
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本文のアイボリーの紙にも合い、一つの作品として完成したんだなぁとあらためて感慨深い気持ちになる。
面白いことに誘っていただき、今までない経験ができてよかったなぁと思う。この制作を通じて、主に建築方面に興味が開かれたので良い機会になったなと思う。
何より同人誌を作っている人を見ると自分も同人誌作りたい!!という気持ちが湧いてくる。神崎さんご自身、制作中様々の困難があったようであるが、どんどん乗り越えて完成させた、しかも当初プロットより充実した内容で仕上げられたのに、同人絵描きの端くれとしては尊敬の念を抱くばかりである。
普段ほとんど人と交流しない人間なので、我ながら話しかけにくさ難易度・超難なのではないかと思うが、それでも果敢にお声がけくださった神崎亜美さんに感謝でいっぱいである。
こういう制作に興味があれば、声をかけてくれる人がまたいらっしゃると嬉しいです。
長い長い制作記でしたが、読んでいただきありがとうございました。