寸暇を惜しむ
毎朝、7:40〜8:10 が note を書く時間です。
ちょっと前までは 7:45〜8:15 をあてていました。5分前倒しにしたわけです。
どうしてか?というと 8:10〜8:30 までに読書の時間を20分確保したかったからです。どうやってか?というと朝ご飯を食べるスピードをあげて確保しました。
私は長時間勤務が基本できない人間なのですが、それでも結果を出すために二つのことを心がけています。一つは、単位時間内の生産性を究極にまで高めること。一つは、寸暇を惜しんで行動すること、です。時間を有効に活用する努力と時間を少しでも確保する努力、ですね。
朝ご飯を食べるスピードをあげて5分確保することは、寸暇を作り出すアクションです(朝ご飯だけに着目すると生産性をあげることでもありますが、健康上のリスクもゼロではないでしょうから行って来いです)。たった5分です。でも、そのたった5分の積み重ねで大きな結果の差が出ることを私は病気(うつ病)でも、合気道でも、尺八でも、家庭でも、もちろん仕事でも知っています(チコちゃんは知っていますのトーンでお読みください)。
一日は誰にとっても24時間です。そして、誰しもその人なりに一生懸命生きています。つまり、一生懸命はデフォルトなわけです。だから、人より先んじたいと思ったら、抜きん出たいと思ったら、そこまで行かなくても前回よりも良い結果を出したいと思ったら、一生懸命+αが必要なわけです。
ただ漫然と同じことを繰り返して結果が変わることを期待するのはおかしなことです。同じことをやって違う結果を求めることはおかしなことです。自分が変わろうとせずに世間や社会や周囲の人のせいにして過ごすのはおかしなことです。
デフォルトが一生懸命であるなら、+αはどこか無理をするか工夫するか我慢するか捨てることでしか確保できません。
私は、睡眠時間を7時間確保する必要があります。労働時間を8時間〜9時間に抑える必要があります。家族との時間が必要です。合気道、尺八の時間も必要です。保護犬のQoLを向上させるという大きな目標もあります。
この上で働くことで結果を出すためには、準労働時間のような位置付けの時間、つまり学習(インプット:読書など、アウトプット:プログラミング、ブログ書き)を少しでも多く確保して、労働時間中の生産性を極大化するしかありません。
そういう考え方から、削れると判断したことの一つが「ゆっくりとしたモーニング」です。私は天才ではないですから、そんな人間が病気というハンデも背負いつつ結果を出すためには、何かは諦める必要があります。
誰一人、例外なく一生懸命だと思います。同じ毎日を生きていくだけでも一生懸命です。でも、変えたいことがあるなら一生懸命だけではダメだということです。それが現実だと思います。方法論は色々あると思いますが、この現実を無視することはしてはいけないと思っています。