獄死したファッションフォトグラファー・GUY BOURDIN(ギィ・ブルダン)
「オマエ、オレのこと知ってるよな!」
「もちろん存じ上げております。ムッシュー」
今日はギイ・ブルダンのお話。1928年パリ生まれでマン・レイの下で働きたくて門を叩くが文字どうりの門前払い。
僕はローレンス・サックマンのアシスタントしていてその奥さんのレミー・サックマンはVOGUEのスタイリストでギイ・ブルダン担当、70年代、80年代ギイ・ブルダンとサックマンはわがままカメラマンとして東の横綱ギイ・ブルダン、西の横綱はサックマン。
ある時、レミーにどっちがわがままか聞いたことがあります。彼女の答えは「どっちもどっちね。でも私生活だったらローレンスの方がいいわ」と言っていました。ギイ・ブルダンの奥さん二人とも自殺しているのです。一人はピストル自殺、もう一人の奥さんはギイ・ブルダンが撮っていたシャルル・ジョルダンのキャンペーンで撮った写真と同じ場所で同じ靴置いて首吊り自殺。
VOGUEでシャネルの特集を郊外のお城を借り切って撮影したのですが現地に着いたら、突然子供のモデルを5人用しろと言い出して、モデルの5人や10人簡単い集められるのですがその子供たちにモデルと同じ服を子供サイズシャネルにらせろと言い出したそうです。シャネルに連絡すると「大変申し訳ありませんが本日中には出来ませんが明日中にはお作りします。」と言ったそうだ。さすがシャネルというか?VOGUEとギイ・ブルダンの最強コンビというかいえばなんでも出来ちゃうというのがすごい。
ウリ・ローズと言うギイ・ブルダンのアシスタントをしていたドイツ人のファッション・フォトグラファーの話ではVOGUEでジュエリーの撮影でグリーンピースを買って来いと言われて近くのコンビニで買って帰ったら、間を開けて気に入った一粒がなく、パリ中のモノプリ(フランスの大手スーパー)のグリーンピースの缶詰を買いに行かされたと言う。撮影中、一日中45回転のドーナツ盤を曲が終わるとかけかえさせられたと言う。彼は「あの曲だけは一生聞きたくない」と言ってました。
ファサードの創設者のアラン・ベノアットはヴォーグが拒否したブルダンの写真を特集しようとしたのですが表紙用にアンダーヘアを三色に染めたものとか性器が出ているものとか表紙はおろか中のページはも「アウト」でしょと言う写真でした。結局、VOGUEからクレームがかかって出版は出来なかったと後日聞きました。
ギイ・ブルダンのデビューは意外と知られていませんがアメリカなんです。写真は1968年のハーパース・バザーです。それと彼は、脱税で逮捕されその税金(1億円以上と言われている)をVOGUEが立て替えたのですがその翌年も税金未納で再逮捕されて1991年に心筋梗塞で無くなります。ギイ・ブルダンはおカネの亡者だった訳ではありません。『税金』と言うシステム自体を知らなかったのです。
本当に天才となんとかは紙一重ですね。
1968年ハーパース・バザー4月号
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