キリングフィールドに行ってきた。
カンボジアを知るうえでは欠かせない内戦紛争の歴史。その中には、ポルポト政権の悲惨な虐殺があげられる。
今回はキリングフィールドに行き、実際の虐殺現場を実際に見てきた。
なお、写真は容易に載せられないので文章のみで書いていく。
まずは、当時の歴史背景から。
1970年代後半、ポルポト政権は当時のカンボジアの人口の4分の一、180万人を虐殺した。これは共産党派のクメールルージュ(赤いクメール)が、当時の中国の文化大革命をみて徹底的な集団化をはかり、粛清というかたちで国民を虐殺したものだった。また権力者が、敵国ベトナムと通じた裏切り者扱いにされ虐殺される例も多々あった。
そんな極度の圧政が生みだした大虐殺が、たった50年前の出来事だ。
50年前に国の4分の1の人々が消え去った事実、あなたはこれを信じられるだろうか。一世代前の命が消え、農民や教師、専門家など沢山の人がこの世からいなくなった。近年、カンボジアはすごいスピードで発展してきているが、未だに教育やその他の面で、外国からのサポートを要請している段階だと現地のカンボジア人が仰っていた。
実際にキリングフィールドを見ると、凄まじいものがある。
特に印象に残ったものは、乳児を打ち付けて殺していた木だ。実際に跡が残っている。
なぜ直接関係のない乳児や女性までポルポト政権は殺したのか。
「雑草を取り除くなら根こそぎ」
これがポルポト政権の言葉で、後の世代の復讐を恐れ、文字通り根こそぎ虐殺していたという。
そして人為的に武器で傷つけられた頭骸骨。
1階から17階にもわたって多くの骨が祀られていた。
献花を捧げ、ただただ祈る。
言葉に表せない気持ちを忘れないように、これから生きて行く。