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行方不明の幼馴染の話 第十三話

 僕はどこをどう走ったのか覚えていない。
 夕立ちの中を、恐怖で方向感覚が狂ったままひたすら走って、住宅街を大回りしたようだった。
 気が付くと僕は、自分の家の辺りを通り過ぎ、何故か玉泉寺の敷地にいた。目の前には仁王門の阿吽の仏像が見えた。その辺りで記憶が飛び飛びになる。
 雨に打たれて、混乱と寒さに震えながらその門の下で雨を避けていたらしい。それを見つけてくれたのが、鈴木さんだった。その頃はまだ顔見知り程度だった僕は、鈴木さんを見ると、熱に浮かされたように、悠のことを探してくれとお願いしていた。

(悠を……探して。悠が危ない……)
(お化け屋敷の家に行って……!)
 そんなことをブツブツとつぶやいていた。
 でも、その時の僕の状態の方が一目見ても危険で、肺炎の一歩手前だった。
 僕は救急車で運ばれた。

 これは後から聞いた話だけれど、夜になって雨が止んだ頃に、異変に気が付いた近所の人や、何かが起こったらしいと考えた鈴木さんと数人の町内の男の人たちが、治久丸家に向かった。
 しかし、家の中はすでに無人だった。
 人が住んでいた跡はあったけれど、誰もおらず、夜逃げのような状態になっていたらしい。警察も呼ばれたけれど、事件性は認められず簡単に調べて終わりになった。
――あそこで行われたこともわからず、それ以降、悠も、大人たちも消えてしまった。

 僕は夢の中で、あの夏を反芻していた。
 あの後、目が覚めた僕は混乱していて、何が起こったのかすぐに思い出せなくなっていた。
 おばあちゃんもお母さんもお父さんも、僕が何かを見たらしいということはわかっても、何が起こったのかよくわからないまま、心配してくれていた。炎天下から夕立ち、そして恐怖にさらされて、体も心も回復に時間が掛かった。
 すべてを思い出すまでには、少し時間が必要だった。あの日、助けを求めた鈴木さんは、それからも根気よく僕の回復に付き合ってくれた一人だ。それと、美天も。

 美天には、悠に怖いことが起こったことは言ったけれど、あの『お祭り』の詳細までは言えなかった。あまりに恐ろしかったし、怖がりだった美天をさらに怖がらせて悲しませることは、口に出せなかった。

 ――昼間に、長峰さんと会って話したことで、あの家とあの夏の出来事が否が応でも思い出された。
(僕は、悠に、何ができたのだろう)
 夢うつつで、僕は小学三年生と中学生の夏を揺蕩っていた。

 ふいに、ぽっかりと意識が浮上し目を開けた。
 自分の部屋の天井を見るともなしにぼんやり眺める。
 視線だけで部屋の時計を見ると、二時半少し前だ。まだ真夜中だった。
 意識ははっきりしてなくて、まだ半分眠っているような状態で、小学三年生の夏に一緒にいた悠と、昼間に見た、『白い少女』の様相を思う。
 その時。

 部屋の窓が、こん、と音を立てた。
(……あれ?)
 気のせいかと思い、でもしばらく窓の辺りを注視していると再び、こん、と鳴る。
――ここは、二階だ。
 僕のベッドは窓に平行になるように置いてあって、視線を左に向けると窓が見える。その窓にはカーテンが引いてある。
 窓ガラスを、誰かが指の背の固いところで叩くイメージが浮かんだ。
 僕の心臓が大きく動いた。
 目だけで窓を、窓に掛かるカーテンを凝視している。
――バン!
 手のひらで窓を叩いたような音がして、衝撃で体がビクッとした。

「――ねえ、しょう君」
 くぐもった、女の子の小さな声がした。
――まさか。
 信じられないが、それは悠の声に聞こえた。もうずっと忘れていた、懐かしい舌足らずの声だった。
「ねえ、いるんでしょ」
 再び、こんこん、と窓ガラスをノックする音。

 僕は信じられないことに、懐かしくて泣きたくなるような気持ちが沸き起こった。でも体は、目の前のカーテンを開けて見えるモノへの恐怖で固まっていた。
 昼間に見た、『白い少女』への恐怖がよみがえる。でも、声はあのころの悠そのものだった。
「ねえ、開けて。顔が見たい」
 小さい声で懇願する。
 その声に突き動かされるように僕は震える手を伸ばすと、カーテンの端をつまむ。
 少し躊躇したけれど、そのまま一気に開いた。

――ガラス窓の外に、夜の闇に浮かんで、子供の悠の顔が上半分だけ見えた。片方だけ見える手は、窓のサッシを掴んでいる。
 僕は震えながら問いかけた。

「――お前は、何だ」

 覗いている目は、半月状にすがめられた。笑ったように見えた。
「……悠だよ。ようやく戻って来られたの」
 しかしそこにいるのは、悠のように見える、禍々しい気配のナニカだった。
「嘘だ」
「嘘じゃないよ。……あの日、ちゃんとお別れを言えなかったから、来てくれてうれしかったの、覚えているよ」
「――嘘だ!」
 あんなことがあって、あの黒い靄に飲み込まれた悠が、生きているように思えなかった。それはわかっていたんだ。
 そのことを、僕はずっと後悔していた。でも。

「……お前は、あのころの悠のままに見える……。でも、その外見のまま歳を取らないモノを、人間とは呼ばないんだ」
 絶望的な気持ちのまま、言い切る。

――バンッ‼

 片方だけ見えている手のひらが、窓ガラスを叩いた。
「開けて」
 僕は首を振る。
「開けて」
 単調に、悠のようなモノが呟く。手のひらで窓を叩く。
「開けて」
――バンッ!

 たまらなくなった僕は、再びカーテンを閉じて窓の外を見えなくすると、ベッドから転がり落ちた。そのまま這って窓から遠のくと、部屋の隅で頭を抱えた。
――アレは悠ではない。悠の外側だけ持った、禍々しい別の存在だった。
 そのことが心の底から恐ろしく、悲しかった。

(ごめん、悠……。僕にはどうにもできない……!)
 僕は無意識に涙を流し、震えながら頭を抱える。
 窓の外では、悠の声で呼びかけているのが聞こえる。

……コン、コン、バンッ
……コン、コン、バンッ

ふと、昼間の長峰さんの言葉を思い出した。

『ウチデハマツラヌ』

「……ウチデハマツラヌ」
 震えながら声に出して呟く。うちでは祀らない。
 お前の居場所はここにはないんだ。

「……ウチデハマツラヌ、ウチデハマツラヌ、ウチデハマツラヌ……」
 耳を押さえて俯きながら窓の外の音を締め出し、ぶつぶつと呟く。

 どれくらいそうしていたかわからない。
――気が付くと夜が明けていて、窓から白んだ朝の光が部屋を照らしていた。

<第十四話へ続く>

#創作大賞2024 #ホラー小説部門

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