挑戦者たち
類人猿の名残なのか、子供の頃はのぼれるところがあればどこにでものぼった。
例えば自転車置き場の屋根、廊下の手すりに上がってそこからよじ登ると、おそらく猫避けとかそういう意味で、ギザギザしている鉄製のボルトが出てる。
団地の屋上。ざらざらしたコンクリートの上に寝そべりながら妹と一緒にゲームボーイをしたり、ただ暗くなるまでずっと空を眺めて、夜になると月や雲を見ていたりした。
当時は世間全体のエコ意識が今よりはるかに低く、見える星なんて僅かだったけど、それでもその景色をじっと目を凝らして見つめ続けていると、次第に自分と空との境界がなくなるような、ふわりと溶けるような感覚が訪れて、何とも言えない不安な気持ちになった。
どこかで誰かが僕達を見てたのか、それとも他に僕達みたいに屋上に上る子供がいたのか、とにかく屋上はすぐに上がれなくなった。
しかしやってはいけない、危ない、と言われる事ほど、やったらどうなるのか、僕の探究心をくすぐった。そういった遊びは友達を巻き込んでエスカレートし、変化してゆき、あるとき、建物の外壁にある配水管を伝って地上まで降りる遊びを誰かが思いついた。
二階三階四階と降りる場所を高くしていき、ついに七階から降りようとしたある日、排水管と壁との狭い隙間に足が挟まって抜けなくなった。
しばらくもがいていると、地上にいた大人に見つかって大騒ぎになり、辺り一帯みるみるうちに人だかりができ、一緒に遊んでいた友達は薄情にも全員逃げる。
どうする事もできずにぎゃあぎゃあ泣いていると、知らないおじさんが配水管を力で引いて足を外してくれた。事なきをえたが、すでに消防車が出動する事態になっており、最終的に駆けつけた消防隊の人に怪我はないかと聞かれた。
最後まで怒られなかったが、最高に恥ずかしかった思い出として今でも残っている。
そういえば何年か前からか知らないが、ボルダリングがすっかり世間に定着した。実家の近くの、昔は葬式専門の弁当屋だった所が、今はボルダリングジムになっていた。
色とりどりの貝殻みたいなものが斜めに傾斜した壁に散りばめられていて、Tシャツのお兄さんたちが熱心な様子でそこにしがみついている。
彼らも昔、色んな所に上って冒険したのだろうか?僕は知らない。
新宿にある大きなボルダリングジムに友人に連れて行かれ、中の様子を見学した事もあったが、皆騒ぐでも声を掛けあうでもなく、黙々と壁をよじ登る。
時々、高い壁からマットを敷いた床の上に、ずだーん、ずだーん、と着地する音が響く。
室内は熱気があったが同時にある種の厳粛さのようなものがあった。さながら修行のようにも見えた。
なんか違うんだよなぁ、と思う。
「……やっぱのぼっちゃいけないところにさぁ、誰も行った事のない場所にさぁ、偶然行き着いちゃうみたいな?そういうカタルシスが欲しいんだよ。」と居酒屋で飲みながら友達だけにごにょごにょ言う。やっぱりそれを許されるのは子供の頃だけのようだ。
そういえばフランスにスパイダーマンと呼ばれる人がいたが、彼は最近何をしているんだろう?これを書いてたらふと思い出した。
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