血液型が違う!?28歳にして知る真実と異所性子宮内膜症
いくつもの病院や診療科をたらい回しに合い、たどり着いたのは大学病院の皮膚科。
謎のしこりの正体を知るべく、手術をすることになりました。
右鼠径部の開腹手術。場所も深いため全身麻酔になります。
手術の前日入院し、家族と一緒に手術の詳細や麻酔のリスクなど、色んな説明を聞きました。
血液検査ではいつも以上に血を抜かれました。
輸血の可能性もあるため、血液型の検査も含まれていました。
「わたしA型なんですが、血液型調べる必要あるんですね?違うことってあるんですか?」
わたしの質問に対して、看護師さんは笑って答えていました。
「戦時中は間違うこともよくあったみたいだけどね。念のためですよ。」
手術当日、手首のバンドが変えられました。
そこにはわたしのフルネームと生年月日、入院している診療科、そして【AB+】という表記。
なんだろう。血液型はA型だし、手術の識別記号か何かかな?
なんとなくそんなことを考えながらいよいよ手術室へ。
酸素マスクをはめられ、10回深呼吸するように言われました。
5年前のあの手術の記憶が蘇ります。
筋肉注射が効かなかったわたしは、感覚も意識もはっきりしたまま筋腫をチョッキンされたので・・・
麻酔が効かなかったらどうしよう。
もしくは、手術中に麻酔が切れて激痛で目が覚めたらどうしよう・・・!!
深呼吸・・・1回、2回、3回・・・・・・
わたしを呼ぶ声が聞こえ、目を開けるとまだ手術室。
しかも痛い!
わたし、途中で麻酔切れて起きちゃったの!?
とパニクっていましたが、どうやら手術は無事終わったようです。
かなり痛みますが、普通に会話もできるしお腹も空いていて、要は元気でした。
前日の夜から絶食状態だったので、手術をした日の夜は、看護師さんに軽く反対されながらも2人前くらいのご飯をペロっと平らげてしまいました。
心配されていた嘔吐も全くありませんでした。
翌朝、検温に回ってきた看護師さんに、手首のバンドに書かれた【AB+】について聞いてみました。
「それ、血液型ですよ?」
ええええええええーーーーーーーー!?!?!?
痛い痛い痛い!!!(手術痕が)
さらっと告げられた真実。
しなこ 28歳。
今日までの28年10ヶ月間、A型として生きてきたんです!
占いも相性診断も好きだし信じていて、血液型の本を買っては「当たってるー♪」とはしゃいでいたのに。
友だちとも血液型あるあるでよく盛り上がっていたのに。
わたしは一体何を信じて生きていけば・・・
思い込みって怖いですね。
友だちに話すと8割の人はわたしの血液型に納得していました。不思議。
わたしは受け入れるのに数年かかりました。
話によると、生まれたすぐに検査すると母親の血液が濃く出て、稀に間違って診断されることがあるそうです。
ちなみにわたしの母はA型、父はB型です。
さて、手術で取り出したしこりの話に戻しましょう。
精検の結果、取り出したしこりはなんと子宮内膜症の患部だったことが判明しました。
だから生理周期に合わせて大きくなっていたんですね。
色んな症例を扱う大学病院でも、鼠径管で子宮内膜症が発生しているのは珍しいケースとのことでした。
子宮近辺にできることの多い子宮内膜症ですが、他にもおへそや肺にできるレアケースもあるそうです。
それらを【異所性子宮内膜症】というそうです。
手術では、患部の見えている部分は取っていただいたそうですが、もしかすると奥に残っているかもしれないので再発の可能性はあるようです。
それにしても、皮膚科で手術して子宮内膜症って…
その後の通院もなかなか面倒だった記憶があります。
ま、でもしこりの正体もわかり、子宮内膜症の患部も突き止めるとこができたのは大きな進歩です。
生理痛も以前より軽くなりました。
しばらく大学病院の婦人科に通っていましたが、再発しているかどうかは結局体を開けてみないとわからないこと。
鎮痛剤の服薬と経過観察をするしかできませんでした。
職場指定の病院で年に1回子宮頸がん検診を受けていましたが、検査内容も違うので、かかりつけの病院で定期検診もした方がいいですね。
わかってはいても、大学病院が完全予約制に変わり通いにくくなってしまったことから、ほとんど婦人科には行かなくなりました。
なかなか懲りないわたしです。