見出し画像

文句を垂れることでしか

こんにちは、お久しぶりです!!
思い出した頃にnoteを開く私です。
義務感に追われない、ほどよい距離感、
素晴らしい付き合い方ではないでしょうか。
我ながら。てへーん🦄🌈
ユニコーンと虹の絵文字の相性よくてよく使う

書きたいことがいっぱいあるなぁ〜
最近アウトプット足りてないなぁ〜
リアルな心の動き忘れないうちに言語化したいなぁ〜
みたいなこと考えながらこのnoteの存在を思い出しまして📖(完全に忘れてたよ)
久々に開いてみました✌️ぱおん🐘 


緊急事態宣言、また出た。


リアルな今の気持ちを書き残しておきたいので
正直に書く、全部。
緊急事態宣言が、また、出た。また。出た。
命が第一。感染の拡大を抑えること、自分の命を守ること。それが大事なのはわかるから、わかっているからみんな従う、とりあえず。
でも従った先に、またもや、命はない。

同じことを繰り返す暗黒の1年間

ちょうど1年前、どん底に突き落とされるような感覚に陥った第一回目の発令。
粛々と家で過ごす日々に見つけた楽しみは
オンラインレッスンとテレビ通話、あと自炊。
元々引きこもり体質だったことと、同時は学生で生きるのに躍起になっていなかったことが相俟って、なんやかんや楽しく過ごした。
なんなら通常の生活に戻るのが怖かったくらいにはね!

その後はとにかく感染拡大防止対策に気を遣う日々で、ニューノーマルとか東京アラートとかよく分からないカタカナに翻弄されつつ
おしゃれマスクとか、すっぴんで過ごすとか、
そういうことを楽しみながら生きていた。
「感染者数」の数字しか報道されないことが多く、増減のグラフを横目に朝ごはんをかきこみバイトに行くような日々だった。

年末、年明けに卒業公演を目前に控えた頃。
「感染者数」が目に見えてぐんぐん伸びた。
クリスマス、年末年始、楽しいイベントが
目白押しのこの時期にこうなることは
分かっていた。分かっていながら、
よく分からないニューノーマルっぽい生活を
続行していた。
忘年会の中止が叫ばれ、ぐっと我慢し、
なんとか年を越した頃、2度目の緊急事態宣言が発令された。また。またかよ。

美談にしたくない卒業公演

卒業公演は関係者のPCR検査の陰性を受けて
もう押し切り問答!!突っ走った。
今思い返してもあれは奇跡だったと思いつつ
あれで良かったのだろうかと疑問は残る。
楽しさと悔しさの両方を奥歯で噛み締める
不思議な体験だった。
思えば4年間、卒業公演で大きなステージで
スポットライトと拍手を浴びる自分たちの姿を
美化して脳内に描きながら過ごしていたと思う。
当たり前も約束された未来もない、
有り難いとはまさにこのことかと学びつつ、
いやそれなりの学費は払ったぜと舌先で言う。

まさか、自分の卒業公演が、こんな形になろうとは、同期の誰も想像していなかった。
ギリギリアウトな気もしながら、どうにか逃げ切る形で卒業公演を終え、なんとなくめでたしめでたしと言うしかない開放感であったが
いやいや待て待て全然めでたくない。
学費を3mmも返してもらえず、入学時に思い描いていた学生最後の1年は過ごせず、何もめでたくねぇよ。

関わってくださった先生方やスタッフの皆さん、
何よりも逆境でギラギラ光を放つ同期に対して
この世の全ての言語で「ありがとう」を伝えたいほどの感謝を両手に抱えながら、
良い思い出に消化してはいけないような
気持ち悪さは胃の奥に煮えたぎらせていた。
あの状況で駆け抜けた仲間を誇りに思う気持ちに変わりはない、関係した方への感謝の気持ちも変わらない。ただ、それは、美談という一面だけを持っていさえすればいい話なのかと言うと、違うと思っている。一生忘れんな、誰も。

価値観の違いに息苦しさを感じた

あぁ、話が逸れたが2回目の緊急事態宣言ではなんとなく遊びに行きづらくなったり
周りの人との価値観の違いに息苦しくなったり
飲食店が20時以降利用できなくなったりで
ちょっとよく分からないまま過ごした。

価値観の違いという言葉を使ったが、人によってコロナ禍での生活や対策に対する温度感はそれぞれで。それぞれでいいとは思っていて。
できうる限りの外出を控え、我慢を重ねる人。
少人数で対策をしながらも外出する人。
大人数でも集まる人。

私のルールをこの際書き残しておくが...
集まるなら3人まで、人混みは避ける、
緊急事態宣言発令の可能性が出てきた段階で気をつける、
感染して行動経路の開示を求められた時に恥ずかしくない日々を送る、
自分のことを好きでいられる範囲の責任と節度のある行動を心がける。
これが正解だとは思わないし、
不十分だという声もあると思うが
これが私なりの最低限のこだわりだ。

これはまた私なりの価値観なので正解だとも思っていないし、押し付けたりもしない。
人には人の乳酸菌と価値観がある。

押し付けたりしないと言いながら、やっぱりあぁあの子はまた大人数で遊んでいる、楽しそうだな...と投稿を見て羨望したり、苛立ったり、そういうの息苦しかったよね。
私もこうしてどこかの誰かを傷つけることでしか意見や行動を表現できないのもどうかと思うが。
でもまあ、これも、今の私の、リアルだ。
(といえば許してもらえると思ってる節がある)

一応効果あったんだな

こんな効力弱い緊急事態の宣言なんてあるんやな
とか考えていたら3月末に解除された瞬間、
街に人が溢れ、あ、少なからず抑制に繋がっていたんやな、私含め。と思ったりもした。
その後も飲食店は営業時間を短縮したまま営業を続けたり、気が緩み始めた頃に「まん防」みたいなやつが発出されて夜ご飯に困ったり(ここで再び自炊ブームきた)

と、まぁ言葉にするとひたすら文句垂れているが
なんやかんや従うしかないから、ごくりと不満を飲み込んで生きているわけじゃん。

そんな本日から!なんと!!3度目の!!
緊急事態宣言発令でーす!!!

理不尽さに文句垂れながら

大型商業施設、レジャー施設、映画館、劇場がぽんぽんぽんとシャッターを下ろし始めまして。
協力要請なので米粒ほどの協力金(1日20万とか1日2万とかマジで人の命をなんだと思ってるのか)しか出ないらしいが、なんだかよく分からんうちに営業を自粛しないと立場がない気もして、ドミノ倒しよ、もはや。
1年かけて感染症対策に目をひん剥いて取り組んできたのに、クラスターの発生はないのに、
ひとまとめに自粛しろと言われて。するしかなくて。
でも補助なんてしてもらえず。
すごい、REIWAになっても、なお、人が人に対して無力にも程がある。

コロナ禍でニュースを見るのが苦手になった私、木曜あたりに「あれ、え、緊急事態宣言出るんじゃね?」という情報を初めて耳にして、金曜にそれがほぼ確証に変わって、土曜に正式決定、で、日曜から適用って。
突然どうしたんそのスピード感。
人の動きとお金を止めるのに、そんな数日で判断を下さなきゃいけないの怖すぎぃ〜、
こちらよまともな判断できなかったわ。
2回目の緊急事態宣言の時は、検討検討、検討することを検討、みたいな感じだったのに
突然のスピード感。移行期間みたいなのないのかよ。
お知らせから実装まで時間ないと、情報の周知徹底が叶わず大混乱だし、丸ごと休業する商業施設のテナントには飲食店も数多くあるはずで消費期限に追われるし。え。

実は私も自分が主催するイベントを中止にしまして。歌唱が伴うイベントだったこともあり、出演者やお客様の安心と安全を守るためにと思っての決断ではありましたが。
ちょっと世間の波に呑まれた感覚もあり。
え、え、全然冷静に判断できてなかったかも。

陰謀論とか、感染者数だけを見て判断する政府が良くないとか、いろんな情報が溢れる中で
何が正しいとか、何を信じるべきかとか、
そういうことを考える暇もなく波に呑まれて。

この訳のわからない苦しみは書き残すべきだと思って今書き殴ってる✏️
後から読んだらはちゃめちゃだろうけど。

お前らも自分に責任持てや

演劇の世界で生きることを目標としている私、モヤモヤしたりイライラしたり
とにかく負の感情に包まれております。
私たちにとっては、これが生業でこれが生活そのものだから生活必需品だけども、政府の言う生活必需品ではないんでしょうね、まぁそれも明記せず自己判断にしてしまう愚かさたるや。
ただ、演劇やエンタメが産業として成り立っている以上、そこには雇用や人の生命、お金が深く深く結びついてるのであって。
切り捨てることはできないはずだ、本来は。

でもここで1年経ってこんなめちゃくちゃな宣言を出す政府に対して、1年経って同じような文句しか言えない進化しない自分や他の業界人にも嫌気がさして。
収入源がここしかないみたいな生活はこの1年で抜け出さなくてはいけなかったのでは?
貯蓄が仕事がままならないならば何かしらの策を講じるべきだったのでは。
それは1年でなんとかなることもなんとかならないこともあるのだけど、なんとなく波に乗ってきてなんとなく仕事があってなんとなく収入がある状況に甘んじていたのでは。

演劇1本で食べていけないながら、演劇1本で向き合わなければこの業界に発展の見込みはない。というのは私もあなたも分かっているけど。
申請が厄介な様々な補助金は余っていると噂だし、手を差し伸べるフリだけはご立派な政府を信用できないと1年かけて学んだはずなのに、この後に及んで理不尽な(それはそれは本当に理不尽だとは思う)自粛要請に怒り狂うほど、私たちは暇していてはいけないはず。
演劇人の生活の安心と安定と、演劇界の発展を切り離して考えねばならぬ現状に地団駄踏むよね。床に穴空くわ、そろそろ。

あなたも、私も、もう少し堅実に冷静に
さすがに自分の生き方と演劇界の未来を
考えなくてはいけない頃ですね。
1年後同じことが起きた時に
もう少し真っ当に批評できるようにならなきゃ、
もう、流石に、生きてはいけない。
自分で自分に責任持たなきゃ、誰かのせいにするしかない現状を脱したい。
何からできる?何からする?
助けて欲しい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?