ははがしんだ
『美保からさっき唐突に電話があって、それで、……、』
別れた旦那からの唐突な電話だった。
わたしはそのとき、JRに乗っていて窓の外の流れる景色をなんとなくぼんやりと眺めていた。
スマホがブーブーと震え【もと旦那】と表記された画面をみたとき、いやな予感がした。【もと旦那】からかれこれ電話がきたのが何年か前だったし、いたずらかというくらいメールをしてくる時期もあったりして、しょっぱなから電話をかけてくるということなど結婚しているときもまるでなかったからだった。
『それで……、な、なに?』
幸か不幸かJRは空いていてわたしの隣にはだれも座ってはいなかった。わたしはさらに言葉をつづけた。【もと旦那】がなぜかそこで口を閉ざしたから。
『まさかだけれど……、まさか、お義母さんがってことじゃないよね?』
『……』
電話の向こうで【もと旦那】の呼吸音だけが聞こえてくる。テレビの音も。わたしはそれ以上言葉がみつからず黙っていた。ややしてからやっとという具合に声をしぼり出す感じでか細い声が聞こえてくる。
『そう……、おかあさんがさ、死んだんだよ……』
また深い沈黙。なぜ? 病気で? 自殺? たくさんの死にまつわる単語が頭の中で渦をまく。
確率的にまあそうだろうなというあたりさわりのない、病気だったの? といおうとしたら向こうから病名を吐き出すようにそして呆れているように告げてきた。
『熱中症でさ。実家に畑あっただろ? そこで倒れててさ、この暑さもあって死体が腐敗してだれだかわからなくてさ、身元も確認できないくらいにぐちゃぐちゃで。で、いま、一応DNA鑑定をしてるんだって。倒れてから腐敗するまで経ったの3日だったみたい……』
『え? う、嘘でしょ?』
嘘なんかではないことはわかっていた。わかっていたけれどわからないふりをし、考えたくないと手のひらをぎゅっと握りしめた。
『実家には? 帰ったの?』
もちろん帰ったとおもい訊いてみる。
帰ってない。帰ってももうすることがない。美保たちが全部かたずけをしたみたいだし、DNA検査が終わるのが1週間でそのあとはもう腐っているから骨になって戻ってくる。なんだかなぁ。頭の中がパニックで。
【もと旦那】の声はけれどあまりパニックにはなっていないように聞こえた。てゆうかさ、死んだんだよ。普通ならどんな形であれ帰るだろ? とはいえなかった。
もともと元旦那は親と仲があまりよくなかったし、実家だって4年に1度。オリンピック開催時期かと突っ込みを入れたくなるくらいにしか帰ってはいなかった。
わたしと離婚したことだっていってなかったし(いちいちいうこともないだろ?が、元旦那の意見だった)
お義父さんも何年か前に癌で他界。元旦那の弟さんは練炭で自殺をした。お義母さんはお義父さんが亡くなってから10年ほどひとり暮らしをしていた。85歳だった。元旦那は、けち臭いところが嫌いだといってはいたけれど、蛙の子は蛙。おまえもかなりケチだろとなんどもいう機会があったけれど結果的にはわたしの不貞で離婚をした。
慰謝料をかなり取られてというか今でもまだ支払っている。だから箱ヘルやデリヘルというグレーなゾーンで働いているのだ。元旦那はわたしが風俗嬢だろうがなんだろうが金を返済しろと未だにうるさい。だからメールがたまに来るのだ。しつこく。ねちっこく。
お義母さんとは指で数えるほどしかあってはいなかった。自分の息子ですら気にかけてはいない親なのにわたしのことなど名前すら知らなかったかもしれない。
それでもそんなありえない死に方にぞっとなった。
こんな時期もあいまって葬式もしないし、お墓にも入れないという。生前にまるでいつ死んでもおかしくないみたいに美保さんに
【死んだらさ、お墓に入れないでね。このうちのどこかの木の下にでも骨を撒いて】
そういっていたらしい。
『ほんとうに? お墓に入れないの?』
『入れない……。それし、墓石を動かすとお金がかかるし』
はぁ? そんなことで? わたしはあまりにもびっくりしてつい大声を上げてしまう。
『いくら遺言でもさ、木の下に灰を撒くとかさ、ありえないでしょ? 普通』
せこっ。こんなときまでせこい。わたしは腹ただしいしけれどいっそ笑いがむくむくと起き上がってくる。
『普通……? いや普通じゃないでしょ? ぼくのうちって』
【もと旦那】はほんとうに真顔でいっているだろう声をスマホに向かって話しているだけのようにおもった。オーケー、Google? 的な。
『まあ、そうゆうことだから。緊急連絡したまで。あ、今月さ、まだ振り込んでないから早めに振り込んどいて』
なぜかむかっとし通話ボタンの赤い方をプチッと押した。
このひとのこうゆう冷酷さが嫌いだったんだ。わたしはあらためて実感しこのひとがもし死んでもきっと泣かないだろうと確信をした。こんなときにまで借金の催促。腐っている。おまえも腐って死ね。わたしは念仏のよう口の中で悪口を飴のようコロコロと転がしながらお義母さんの死について考えないわけにはいけなかったた。
なんでこんなに暑くてテレビでもうるさいほどおもてには出ないでください。熱中症になります。とアナウンサーが切羽詰まった声を出して訴えているのにおもてなんかに出て畑仕事をしていたのだろう。もし、発見したおばさん(お義母さんのお姉さん)が来なかったらもっと腐敗していただろうし、反対にもっと早く気がいていたのなら命は助かったに違いないのだ。
85歳の体と頭にしてはしっかりとしたものを持ち、近所には友達を持ち、美保さんと孫たちに囲まれていてそれなりには幸せだっただろう。
まさか、自分がこんなに呆気ない終焉を迎えるなどとは皆目おもってはいなかったはずだ。熱中症で倒れ意識がなくなりそのまま死んだのなら苦しまなかったのだろうか。それとも途中で意識が戻ったものの声も出せず虫たちやハエにおそわれおののきながら……。
至極こわくなった。そんなことは当のほんにんでないと知る由もない。死人に口無し。昔からのことわざ。
どうか苦しまなかったように。
わたしにいま出来ることといえばそれだけのことだけだった。
ひとはいつかは死ぬ。
だれか近くのひとが亡くなると死というものについてまた考える。それでも何日が経ち忙しい日々を送るに連れて忘れてしまう。
死はいつも背中合わせなのに。
電車が到着駅に着き、わたしはすくっと立ち上がり、電車を降りる。ヘルスのバイトの帰りだった。
28、000円
今日わたしが7時間の中で稼いだお金だ。
わたしの価値はたったの28,000円?
こんなに命を削っているのに? わたしこそいつも死と背中合わせかも知れない。手も脚も背中もこんなに暑いのに何度も浴びるソープのせいでカサカサに乾燥しアカギレになっている。
たくさんのひとを吐き出し乗せた電車が発車しますという合図のもと発車をしていく。
こんなにも乗っていたのか。わたしは自分も乗ってきたのになぜだか不思議でならなくて電車の後ろ姿をその赤いランプがみえなくなるまでずっとみつめていた。
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