疼くひと
雨がずっと降り続いている。
洗濯物はなかなか乾かないけれど、それとは比例して心と体はすっかり乾いている。
『渇いているの。助けて』
祐希くんにLINEを打つ。
別に既読にならなくてもいいしなんなら返事も期待などしてはいない。
『渇いているの。こんなにも雨が振っているのに』
3分してからまたLINEを打つ。前回 LINEをしたのはもう20日も前だったんだとその日にちの間にびっくりする。
雨がアスファルトを打ちつける音がまたいちだんと大きくなる。
窓際でコーヒーを飲んでいる。ホットコーヒーを。アイスコーヒーはもう冷たすぎるので今年はもう飲まないかもしれない。
テーブルの上のスマホが震える。びっくりしつつもスマホを手に取り確認をすると祐希くんからだった。
『なにに? 渇いているのですか? 綾さん。俺も渇いています』
その文字の下。
クマの泣いているスタンプが送られくる。素直にかわいいなとおもう。
『祐希くんに触れてないからかな』
素直にそう打ち返した。実際のところ、祐希くんの体がその若い肉体がすっかり頭から離れないのだ。
彼とは職安であった。職安であったというと祐希くんも職なしのようにおもわれてしまうけれど、違うくて彼は職安にある土木関係の書類を提出にきた会社の従業員だった。わたしは失業保険の認定日だった。
出入口の前にあるカップのコーヒーを買おうとおもい、Suicaでタッチして買うタイプだったけれど使い方がわからず右往左往していたところに祐希くんがすっとあらわれ
『はい』
なぜか声をかけ自分のSuicaでわたしの選んだコーヒーを買ったのだ。
『ええ? すみません。やり方がわからなかったので。お金お支払いします。すみません』
あ、別にいいですよ。彼はさらっと流し今度は自分のコーヒーのボタンを押した。砂糖多めミルク控えめで。
『いやいや。そんなわけにはいきませんよ』
『ん〜』
ほんとうにいいんだけれどな。頭から出ている吹き出しが見えた。きっともたもたしているわたしに業を煮やしたのだ。だったら俺が払えばいいのだと。
職安内はもうひとはあまりいなくなっていた。夕方の4時を過ぎていた。
『じゃあ、』
彼がいいことをおもいついたぞという声をあげちょっとだけ笑いを含んだ声でつづける。
『じゃあ、今夜飯でもどうですか?』
と。
『あ、はい』
断る理由などもなくついつい祐希くんの話術にハマってしまった。しかし、夜遅くまで営業しているご飯屋さんがこのご時世でなく結局合意のもと場末のホテルへ入った。
『そういえば君って何歳なの?』
若いなとはおもっていたけれどあまりにも落ち着いているのであえて年齢を問うことはやめていた。それでもホテルに入ると気が緩んだのか聞いてしまっていた。
『年齢なんて関係ないですって』
祐希くんはわたしよりも5つ年下だった。
『綾さんの方が年下とおもいました。ちいさいし。かわいいです』
『こらこら』
そんな些細なやりとりが愉快でならなかった。なぜ、職安にいたのかということになり祐希くんは若いけれど土木の現場監督さんでなにかの書類を届けにきたという。わたしは職を探しているという旨を話した。
『大変っすね。俺の、あ、いや、僕の、あ、俺の、』
俺と僕。
使い分けなどどうでもよかった。わたしが年上だと知ってからだろう。
祐希くんは俺と僕を使い分けながらつづける。
『僕の仕事はそんなに影響はないですね。ずっと忙しい。ありがたいのか。ありがたくないのか。わからないっす』
土木一般。公共の仕事をしているというし家だって立つし。おもての仕事だしで関係はあまりないだろう。
『けれど、』
目の前にはコンビニで買ってきた缶ビールやハイボール。スナック菓子にさきいかなどが雑多に置いてある。ドライマンゴーはわたし用。
『けれど、なに?』
けれど、でいったん言葉を切った彼に先を促す。
『けれど、今日、綾さんにこうやってあえたからラッキーだ』
缶ビールを口に含み喉を鳴らして呑む祐希くんの横顔はひどく整っておりその横顔の稜線につい見惚れてしまっていた。
ベッドでは圧倒的に彼の方が長けていた。女のそれを熟知しておりわたしのいいところだけをずっと攻めた。わたしの下半身はとろけ頭の中の思考も全部とろけた。無我夢中。嫌なこともよかったことも全て嘘のように頭の中から消え去っていった。華奢にみえたその体は脱いだら程よく筋肉があり脂肪もそこそこにあった。無駄な毛はなく綺麗な肌の持ち主だった。土木関係の仕事なのに存外綺麗すぎる指にうっとりとしてしまった。
女になった。わたしは5つも年下の男の前でだらしなく唾を垂らしだらしのない声をあげ腰を振り、頭を振った。キスが異様にうまく、どこでこんなふうに覚えてきたのだろうという疑念がふつふつと湧きだれか知らないだれかに嫉妬をした。
『あいたいわ』
LINEはまだつづいている。
『あってしたい』
既読になり
『俺もです』
文字の下にはクマが笑っているスタンプが押されていた。
『今週末どうですか?』
『はい』
即答だった。今週末はあさってだ。待てない。とは打てなかった。
『たのしみ』
かわりにそう返事を返す。
けれど、もう既読にもならずだから返信も来なくなった。
さほど気にはならない。
わたしの渇きはいつのまにかいくぶんおさまっている。LINEだけでも十分だったかもしれないし、心だけでも潤ったせいかもしれない。
『たくさん抱いて。渇いているから』
また追い打ちで LINE。わたしはどうかしているのかもしれない。雨がまたいちだんと降ってきている。
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※松井久子さんの著書 【疼くひと】を読んだ。70歳の女性が55歳の男性に恋をするという話。
自分が70歳になる未来などまだ想像はできないけれど、老いてゆくことだけは今まさにそうなのでわかってはいる。けれど年齢と思考がまるで乖離して追い付いては来ない。
疼くひとの中に出てくる主人公は脚本家で有名人の70歳。普通いっぱんの70歳でならこうはいかないだろうなという感想だけれど、老いという女にとって一番こわいことが切実だったので共感もしそしてこわくもあった。
ひとはいつか死ぬ
この言葉が頭から離れない。
【疼くひと】おススメです。
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