胃がない魚
普段様々な動物を病理解剖していると、特に同じように多種多様な動物を解剖されている動物園や水族館の獣医師から、臓器の正常と異常の区別さえ難しいと言われることがよくあります。
各種動物の正常な解剖学を知っておくことはその動物の病気を理解するために重要なことではありますが、犬、猫、牛、豚、馬、鶏、マウス、ラットといった主要な伴侶動物や産業動物、実験動物を除いては参考となる成書や文献が非常に乏しいというのが現実です。
解剖学や病理学に関する情報が乏しい現状においても、それぞれの動物ごとにその動物がどんな生き方をしていて、体にはどのような臓器があって、それぞれがどのような機能をしているかを理解していれば、無脊椎動物の病気さえも意外ときちんと調べることができます(自分の勉強不足でできないこともあります、すみません)。
魚の病気を調べる機会が年々増えてきています。
多くは水族館で飼育されていた魚類ですが、ペットとして飼育されていた魚を病理解剖させていただくこともあります。
飼い主の中には、魚の死因なんて分かるの?と疑問に思われる方が少なくありません。犬や猫や牛や馬などと違って体が小さく、生前の情報が少なく、基本的な解剖学的な情報さえあまりないので、確かに調べても原因が分からないこともありますが、きちんと死因が判明することもあります。
鰓(えら)と肺、鰭(ひれ)と手足など、魚類と私たち哺乳類は異なる部分もありますが、同じ脊椎動物の仲間なので、眼や口や皮膚があるという外見上の特徴のほか体の中の臓器も多くは共通しています。
鰓(えら)、鰾(うきぶくろ)、幽門垂などのように魚類特有の臓器もありますが、心臓、脾臓、胃、腸、肝臓、膵臓、腎臓、脳といった主要な臓器とその機能は私たち哺乳類と概ね共通しています。
ただし一口に魚類といっても、海、川、湖など様々なところに生息し、熱帯から極域まで生息環境も多様で、食性や生態も多岐にわたります。
哺乳類も肉食、草食、雑食といった食性の多様性を反映して種により胃の形にバリエーションがあるように、魚も種類によって様々な胃の形をしています(哺乳類の胃も別の機会にまた紹介しますね)。
魚の胃は見た目の形状から、I型、U型、V型、Y型、ト型などに分けられています。
発達が悪くほぼ直線状のI型(シラウオやヤガラ)、胃の入り口と出口がU字型につながるU型(軟骨魚類やニジマス)、V字型をして折れ曲りの部分がちょっとだけ膨らんでいるV型(サケやマダイ)、その膨らみがもう少し伸びたY型(マイワシやウナギ)、膨らみがさらに長く伸びたト型(カツオやマサバ)です。
コイや金魚、メダカのほか、サンマ、トビウオ、ダツ、ベラ、ブダイなどには胃がないことから、無胃魚(むいぎょ)と言われています。
公園の池でよく見かけるコイのあの無限の食欲をみていると、胃がないから食物を蓄えておくことができず次々と食べて排泄しているんだろうと、胃がないことに納得がいきます。
サンマやダツのようなスマートな体型は、胃がないことを反映しているのでしょうか(調べていないので分かりません)。ちなみにサンマは「はらわた」まで美味しく食べられるのは、胃がないことと、夜に漁が行われるから消化管の内容物がほとんどないためとされています。同じく「はらわた」まで美味しく食べられる魚にアユがいますが、アユはV型の胃をしています。しかし、アユは主に藻を食べていることから、はらわたまで食べてしまっても大丈夫なようです。
魚にはイクチオホヌス症という、Ichthyophonus hoferiの感染が原因となる感染症があります。この病原体は、以前は真菌とされていましたが、現在では原生生物の仲間とされています。イクチオホヌスは淡水魚、海水魚、汽水魚にも感染することがありますが、無胃魚には感染することがないということが特徴です。イクチオホヌスという病原体は、胃内の低pH環境下で活性化されて胃から体内の色んな臓器に侵入していくためです。
色々な動物の病気を理解するには、その動物の生き方、生態を知らなければなりません。これからもたくさんの動物の病気や死因を調べて、病気で苦しむ動物や人の助けにつながる仕事をしていきたいです。