ゆるふわ放送開始エピソード①
ドモヽ(´Д` ) ( ´Д`)ノドモ
ラヂオきしわだのカミカミ王子こと、桜木でございます。
ということで、今日はゆるふわ放送開始までのエピソードを
書いてみようかなと思います。
【プロローグ】ラジオと私
エピソード1 ラジオとの出会い
時をさかのぼりまして、小学校2年生くらいだったかな。
皆さんも子供の頃、親のマネをしたくなる時期ってありませんでしたか?
私はそれが小2くらいだったのです。
もう離婚しましたが、父親が自室でクソでっかいオーディオセット
(横幅1mくらいの超古い)で、寝るときにラジオをつけて、起きたら切る
という生活を続けていました。(ボリュームは超絞って)
そこで、私も真似をしたくなり、
AMのポケットラジオを買い与えてもらいました。
当時、ポケットラジオって結構安くて、
AMオンリーなら1000円しなかったはず。
で、チューニングは親と同じ1008kHzのABCラジオに。
当時はミューパラ全盛期で、ミューパラで眠り、おはパソで起きる
生活を続けていました。
今は聴く局が変わり、ツールもradikoになりましたが、
この習慣が続いています。
病気のせいで、高校時代までの記憶がかなりロックされているのですが、
当時の情景で覚えているのは、夕方宿題をするとき、
何故かNHKラジオ第二を聞いていました。
今も17時台は変わっていないのですが・・・
「株式市況」を聞きながら、漢字ドリルをやっていた記憶があります。
(東証の今日の終値をBGMに・・・)
エピソード2 ラジオで命を救われた話
時は進みまして高校1年生。
その頃はAMKOBE558 今のラジオ関西を聴いておりました。
当時からアニメが好きだった私は、週末夜のアニラジタイムに
ドハマリして、ラジオ関西固定になっておりました。
ちょうど当時としては、angelaがShangri-Laリリースとか、
林原めぐみさんがジュニア出産のため産休を取るとか・・・
そんな時代でした。
高1の秋に、うつ病・パニック障害の診断を受け、
3本の指に入るレベルで不安定になっており、かなり荒れておりました。
そんな私の心の拠り所はラジオでした。
精神的な不安定さから、熟睡もできず、
毎日夜中に必ず目が覚める状態でした。
でも、ラジオはつけっぱなしなので、
ラジオにそっと耳を傾けながら、眠りにつけるのを待つ生活。
そんなときに、ラジオから流れてきたのは・・・
小森まなみのPop'nパジャマEYE
という番組でした。(以下マミ姉/Pop'nと略します)
深夜帯なのにすっごく明るくて、最初は
「なんやねんこの人。時間帯考えろや」
と思ってしまいました。
しかし、曲に入った途端、思わず涙を流していました。
そこで流れてきた曲・・・それは「Yellを君に!」だったんです。
コーナー名が思い出せないのですが、最後のコーナーで、
リスナーからのお悩み相談を読むようなコーナーが有ったのですが、
必ずと言っていいほど、マミ姉が涙を流しながらメッセージを発信していたんです。
ただ、不思議だったのが・・・
読まれて羨ましいとか、妬みが一切なかったんです。
勿論、そのリスナーさんに向けて答え(アドバイス)を
発信されているのですが、
なぜか、他のリスナーにも腑に落ちるような言葉を紡いでおられたんです。
その時に「この人すごい」と本気で思いました。
あのときふと目覚めなかったら。
別の局を選局していたら。
正直、いまこの世にいないと思います。
それくらい、ラジオに、マミ姉に救われました。
それから数年間、何度かPop'nに投稿していました。
「ちょこっとリサーチ電話でPi」って名前だったと思いますが、
固定電話の番号が公開され、そこに電話をすると、
マミ姉の声で留守電に。
そのまま吹き込んで採用されると、自分の声が電波に載って・・・という
流れでした。
実は桜木、ジンクスがありまして・・・
「Pop'nで採用される時は必ず番組開始の少し前に目が覚める」
えー・・・成功率100%でした(;・∀・)
当時iPodが出てきたくらいの時期で、高くて買えなかった私は、
ラジオをMDで録音して、ウォークマンで通学中に聴く生活をしていましたが、
毎日、マミ姉に励まされ、なんとか高校を卒業できました。
長くなってしまったので、現代編は次回に。