ジーザス・クライスト=スーパースター!
劇団四季の「ジーザス・クライスト=スーパースター」を観てきました。
同名の映画などもいろいろ?あるみたいですが、私はこれが初めての鑑賞です。
キリストの最期の7日間を描いた演目で、劇団四季の原点ともいえる作品なんだそう。
今回観てきたのは「エルサレムVer.」で、「ジャポネスクVer.」というのもあるんですね。
演出も割りとちがうらしいので、こちらも観て比較してみたいです。
以下、観劇の感想を書いていくにあたってご注意いただきたいのですが、
私は宗教や有神論には強めに懐疑的な人間です。
でも、それらがあることで作られてきた歴史や文化や、信仰する人々の精神性にはとても興味を持っています。
なので、それらを主題にした作品などにもとても興味があります。
が、信仰心の厚い人には不快な視点での書き方などをしてしまうかもしれませんので、その点ご容赦ください。
さて。
休憩なしで、2時間弱ほどの演目を観終わった私の率直な印象は、
「ダークポップコメディ」でした。
このテーマで、重くシリアスな演出をしようと思えばとことんいくらでもできる中で、
ミュージカルですから特に「音楽」に重きを置いてみるならば、
コミカルでライトでロックな、世俗的というか、大衆エンタメ寄りの曲が多かったように思います。
特にユダがカヤパに密告をしに行くときの登場シーンなど、
ロックミュージシャンのライブポスターか!??と思うような立ち姿や演出で、
もしかしたらあれは十字架に架けられたジーザスと対になる構図だったのではともあとで思ったのですが、
全体的に、宗教的でクラシックでザ・正統派なジーザス・クライストの物語ではなかったように思いました。
奇抜なシーンでいうなら、ヘロデ王の登場シーンや終盤のユダ(というかあれは、悪魔というか、語り手というか、問い掛け人というか?)なんて思いっきりエンタメ的でしたし。
ヘロデ王、好きだったなあ……
わかりやすく軽薄で贅沢三昧の、お茶の間で見るヴィランというか。
人によっては、もっと硬派というか、正統派というか、高尚な演目が観られると思っていた人も多かったかもしれません。
好き嫌いが分かれそうだなとは思いました。
でも私個人的には、もっとジーザスワッショイなエンタメ寄りか、もしくは逆に皮肉が効いているタイプかと思ったので、
大衆的でオーソドックスに「7日間ダイジェスト」な感じだなあなどと思ったり。
ただ、主題としてすごく感じたのは、信仰という傲慢、信仰という盲目への問いかけ、かなあ。
信者たちが歌で「教えてください」「信じます」「助けてください」と何度も繰り返すの、
なんて脅迫的でおそろしいんだろうと思いました。
まるでクライストを一滴残らず貪るハイエナの群れのよう。
その中心で、終始陰の差した顔で、渦にのまれるようにしているクライスト。
あげくの果てには、身体のここが痛い辛い苦しいと叫ぶ信者たちに「ええい自分で治せ!!」という悲痛な叫び。
序盤でこそ、彼は自分に伸びる手をできるだけ取り、彼の足にキスをする信者がいる「クライスト」だったけど、
川の水にもいつか思いがけず枯渇するときが来るように、彼はただの「ジーザス」になってしまったのだなと思いました。
人々は救世主を求めていたけど、最後に残ったのは、ただの一人の哀れな男。
どうです、あなたたちの「信仰」がこの末路を生んだんですよ、という訴えに私には感じました。
信者たちに囲まれていても、彼らが見ているのは「クライスト」なんだろうなあ。
その点、マグダラのマリアが「こんなことってあるの!」と愛への目覚めを歌ったり、
ユダが愛しさあまって憎さ100倍のような思いを見せたりっていう、
「ジーザス」自身を見ていた彼らの描き方が印象的でした。
ああそういえば、マリア役の方、歌が本当~~~~に上手かったなああ…………。
歌劇、ミュージカルである以上、私は何より「歌唱」に求めるものが大きいんですけど、
今回のジーザスとユダが若干物足りないところがあって……。
それピッチ合ってる…!? と現実に引き戻されてしまうことがしばしば。
カヤパ様とかローマ司教?様とかも、素晴らしいバリトンボイスなんだけど要所要所、
歌詞が不明瞭なところがあって没入しきれない感がありました。残念。
そういえばカヤパ様役の方、カテコのときめちゃかわいく体を揺らしていて、
風格を保っていたジーザスやマリア役の方もふふっと笑ってしまうくらいで、
いいもの目撃した気がしました。笑
いろいろ書き綴りましたが、観てよかったなあと思います!
ジャポネスクVer.はもうちょっとシリアス寄り?でまた異なるらしいので、再演希望です。
そのときには必ず観たいと思います。