コッホの4原則すべて未証明のHIV/エイズ コロナのひな型はエイズ編⑩
ロベルト・コッホ ドイツの医師。近代細菌学の開祖。特定の菌がある疾患の病原体であると決定するためのコッホの4原則を確立。これにより細菌学が急速に発展した。…1882年に結核菌を発見、83年コレラ菌を発見した。…90年には結核菌からツベルクリンをつくった。…牛疫、アメーバ赤痢、ペスト、マラリア、睡眠病など各種の伝染病を研究し、予防に尽くした功績は大きい。1905年、結核研究の業務に対しノーベル生理学・医学賞を受けた。
(ブリタニカ国際大百科事典より)
コッホの4原則 次の4項目が満足されたとき、その菌を特定の病気の病原体と実証できるという条件で、ロベルト・コッホが1882年に発表したもの。…
(ブリタニカ国際大百科事典より)
「真実のアンソニー・ファウチ/ビル・ゲイツ、大手製薬会社、そして民主主義と公衆衛生を巡る世界戦争」(ロバート・F・ケネディ・ジュニア著、2021年)の
病原体の再分離より引用します。
<コッホの4番目の最後の原則は、この接種された実験的罹患宿主から微生物を再分離しなければならないというものだ。
デュースバーグは、公準を満たすための HIV/AIDS 支持者らによる精力的な努力はすべて失敗に終わったと主張する。
ジャメル・タヒの 1996 年のドキュメンタリー『AIDS-The Doubt』の中で、リュック・モンタニエは、長年の試みの末、誰も成功しなかったと認めた。したがって、モンタニエは「HIV はエイズの原因であるということに科学的な証拠はありません」と結論づけている。
コッホの原則は今でも疫学のすべての学生に教えられているが、彼の名前は現在、エイズ研究者の間で賞賛や愛情よりもむしろ当惑の源となっている。>
コッホの4原則をHIVとエイズの因果関係を満足させるかをまとめるとこうなります。コッホの4原則をそのまま適用できない病気もあるそうですが、それにしても確認できていないこと尽くしです。
1番目の原則
[病原体は病気の人にのみ見つかり、健康な人には決して見つからない] ⇒ [HIV陰性エイズも健康なHIV陽性者も多数見つかっている]
2番目の原則
[病原体を分離し、純粋培養で増殖できる] ⇒ [分離されず、純粋培養で増殖できない]
3番目の原則
[病原体を健康な人に導入すると病気を引き起こす] ⇒ [健康な実験動物でさえ確認できていない]
4番目の原則
[病原体を再分離できる] ⇒ [誰も成功していない]
弁護士でもあるロバート・F・ケネディ・ジュニアは次のように皮肉っています。
<私は訴訟を起こした事例から、裁判全体が次の点にかかっていることを知っている。
それは、因果関係がコッホの原則を満足していることを説得できる弁護士と科学者の能力にかかっているということだ。
これは、病原体と特定の病気の原因関係を証明するための標準的な手順だ。
したがって、HIV/エイズ仮説が一貫してその基準を満たしていないという、おそらく実行可能な議論の余地があることを知ったのは、私にとって衝撃的な事実だった。
アメリカの司法制度では、通常、その証拠があれば事件を解決するのに十分だ。私はここで科学について意見を言うつもりはない。>
偉大な科学者コッホの4原則をすべて満足させていないHIV/エイズ仮説が、今もなお生き続けていることは驚きです。
とは言え、その後2008年のノーベル賞医学・生理学賞の顔ぶれを見ると、HIVのヒトレトロウイルスの中での格付けが下がっているような気がします。それに伴ってHIV/エイズ仮説も次から次への新しいパンデミックによって、どこか風化を待っているかのようです。
その理由は、ファウチ博士と同じく国立衛生研究所NIH傘下の国立がん研究所のロバート・ギャロ博士にあると思います。ギャロ博士は1984年4月いち早くエイズの病原体を記者発表した人物です。
HIV発見者の先陣争いから真の発見者を探ったジョン・クルードソンの労作「エイズ疑惑」(1991年紀伊國屋書店)を読むと、正統派の医療史からHIVの真の第一発見者パストゥール研究所のフランソワーズ・バレーの名が、一旦はかき消されようとしながら、コッホの4原則を満足させないHIV/エイズ仮説の厳然たる事実の前に、表舞台に出さざるを得なかったようです。そんな印象を強く持ちます。
つまり、同書では落胆する女性研究者として描かれたフランソワーズ・バレーが2008年のノーベル賞を当時上司のリュック・モンタニエらとともに受賞したことです。その中に、ロバート・ギャロの名はありませんでした。
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