「おい、借金返せ。ミルク代も薬代も削って身を粉にして働き、外貨を稼げ」~罠にはめて身ぐるみ剥ぐ高利貸しの取り立て屋IMF(財務省の直属上司)
上記のタイトルでも足りないほどあくどいのが、1982年10月以降に行われた国際通貨基金IMFと米国政府による発展途上国への取り立てです。取り立ての依頼主は英米金融業者でした。
前回は1973年の第四次中東戦争を端緒とした第一次石油危機までの歴史の真実を追いました。引き続き、ウィリアム・イングドール著の「ロックフェラーの完全支配 ジオポリティックス(石油、戦争編)」(徳間書店初版2010年、為清勝彦訳)よりまとめます。
この世界の産業発展に米国が市場を支配する石油を使って攻撃する計画を決めたビルダーバーグ会議からわずか2年後の1975年4月、同じようなメンバーによる秘密会合が東京で行われました。
※ジオポリティックスの翌年発行のウィリアム・イングドール著の「ロックフェラーの完全支配 マネートラスト(金融・詐欺編)」(徳間書店初版2011年、為清勝彦訳)では、京都となっています。
「三極委員会」という会議の主催者は、チェース・マンハッタン銀行のデービッド・ロックフェラー会長と、ビルダーバーグ会議の設立メンバー、ジョージ・W・ボール。ロックフェラーが新たに組織したに集まった百人の有力者はキッシンジャーの外交戦術が激しい反発を生みだす危険を気にしていました。それを回避してアメリカの覇権を維持するために、「人権」「話し合い」のイメージを持つジミー・カーター次期大統領が大統領選の1年半前にお披露目されました。第三世界の発展を阻害する基本路線は継承し、「人権」で内政干渉を正当化する作戦です。
この頃、第一次石油危機から立ち直ろうと、自国のエネルギー需要を賄って成長するために原発化を欧州と協力して進めるブラジル、メキシコ、パキスタンなどの国々が世界のいたるところに現れました。ワシントンは石油による恐喝支配からの独立は許さないと、「核兵器への転用だ」と難癖をつけるなどさまざまな圧力をかけ、工作をして潰した。政変を起こす場合に、使われたのが「人権」でした。
1970年代は前回詳報した第一次石油ショックに続いて、1979年のイラン革命(※本書にはこの裏話も詳報)を端緒とする第二次石油危機とサッチャー(英首相)、ボルカー(連邦準備制度理事会議長)の高金利ショック(ボルカー議長は第二次石油危機の最中、過剰な金融引き締めを始め、1982年夏から一転低金利に転換)が債務国の負担をさらに増しました。
前置きが長くなりましたが、秘密会合で決定されたシナリオ通りに進んだ結果、本題にようやく入れます。
その悪徳業者の取り立ての手口について、見ていきます。
同書は、<発展途上国への猛攻は、いくつかの段階に整理できる>と以下のようにまとめています。
第一段階 NYとロンドンの私有銀行が世界のマスコミを使って、債務の支払い停止が蔓延すれば国際金融システムに恐ろしい影響が出ると警告。大銀行の債務回収戦略が国際的に支持された。NYとロンドンの銀行はイングランドのディッチリー・パークで秘密会合を開き、債権者カルテルを結成し、団結した。
レーガン政権内部でも金融業者の仲間がレーガン大統領を怖がらせ、IMFに「厳しい条件」を各債務国に課すよう要求させた。
厳しい条件とは、外国の銀行の融資を受けたいのなら輸入を削減し、国の予算を削り、先進国への輸出が魅力的になるように通貨切り下げを命令される。
第二段階 債務者が銀行の資格審査に通ると、支払いの遅延している利息を債務総額に加算し、債務国に対して将来にわたる巨大な権利を獲得する契約を結ぶ。貸し付け直された新たな契約は、新規の融資が一銭もなされていないのに、負担が増す。
<IMFの厳しい管理下にあったメキシコは、国民の必需品である医薬品、食品、燃料などを徹底的に削減するよう強制された。最低限の医薬品が輸入できなかったために、人々(特に乳幼児)は死亡している。>
住宅ローンの金利に敏感な人も通貨切り下げはピンとこないようです。しかし、これは一方的かつ突然に金利を上げるに等しい行為です。これが悪徳金融業者なら即逮捕ですが、IMFはこれをプログラムと称し、もちろん逮捕されません。
1982年前半 1ドル 12ペソ
1986年 1ドル 862ペソ
1989年 1ドル2300ペソ
しかし、たった7年で自国通貨ペソが基軸通貨の190分の1になっているのです。日本なら1万円は50円ちょっとにされた計算です。
怠け者の発展途上国というプロパガンダがありましたが、それは事実と大きく異なります。超緊縮財政を強いられ、自国通貨の凄まじい切り下げまでされて、返せるわけなどありません。
<西欧や米国のマスコミが巧妙に作り上げたイメージとは逆に、債務国は、NYとロンドンの現代版の卑劣な高利貸しに対し、まさに自らの血と肉を削ってまで何度も何度も払い続けていたのである。>
最低限のモラルをもった貸し手なら、順調に発展していけた国々がほとんどだったでしょう。石油を持ち工業化を進めるメキシコを容認せず、妨害することを決め、前年の一九八一年から通貨切り下げのプロパガンダをいわゆる配下の高級紙に流させ、メキシコの資本流出を促したのですから。資本流出を止めるためにやむを得ず最初の30%切り下げに応じたのです。
被害者(国)は、IMF設立前は1920年代のドイツであり、設立後は上記のメキシコであり、アルゼンチン、ブラジル、ペルー、ベネズエラ、アフリカのザンビア、ザイールなど、エジプト、アジアの大部分です。
借金地獄から抜け出す唯一の方法は、国家主権(資源)の引き渡しです。石油を国が管理していたメキシコのように貴重な資源についての主権を明け渡すこと。金融業者は「デット・エクイティ・スワップ」―デット債務をエクイティ資本へスワップ交換するとソフトに言いますが、債務国の魅力的な資源の支配権を強奪することです。
この結果、北側から南側への金の流れが逆転します。
<デンマークのユニセフ委員会の依頼でデンマーク人経済学者ハンス・K・ラスムセンが行った調査には、次のような経緯が描き出されている。>
1979年先進国⇒後進国 400億ドル
1983年後進国⇒先進国 60億ドル 逆転
以降毎年 後進国⇒先進国 300億ドル
そして、ウィリアム・イングドールは
<米国の高金利、ドルの上昇、米国政府保証の確実性に支えられ、一九八〇年代の米国の記録的な財政赤字の実に43%が、かつて発展していた債務国からの略奪で「資金調達」されたのである。>と結論付けています。
これは対岸の火事なのでしょうか。
<サッチャー、レーガンの経済は「脱工業化」で失敗したが、石油・金融利権は、あらゆる地域に金融の自由化を要求していった。フランクフルト、東京、メキシコ・シティ、パリ、ミラノ、サンパウロへと……。>
タミフルやグリホサートやコロナワクチンの最終処分場と言われるように、他国の周回遅れでいつまでもだらだらと走り続ける日本も登場しました。
日本はいまだに「脱工業化」を強要される異次元の金融緩和を続けています。
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