「戦争は必要」は支配者の本音だ~米政府極秘報告①
G・エドワード・グリフィン著「ザ・クリーチャー・フロム・ジキル・アイランド(ジキル島で生まれた怪物)」という本は、中央銀行が無制限に発行する不換紙幣でインフレを操り、通貨の価値を限りなく下げて庶民から購買力を奪う仕組みを明らかにしました。
この本がほかに教えてくれるのは、アメリカが、密かに綺麗ごとや理想論は一切抜きで、「政府永続のために戦争は必要」「戦争に代わる適切な手段は、全世界を脅かす新たな敵でなければならない」と、全体主義の具体的な計画を立てていたアイアンマウンテン報告の真相です。
25年以上前に日本でも翻訳本が発売されました。その本質を知れば大騒ぎになっても不思議ではないのですが、「右翼が反ユダヤ主義を真に受けて騒いでいる。リベラル側が右翼を装って作った偽書なのに」という左派雑誌ネーションからの批判で始まる序文が功を奏したのでしょう。翻訳本もまた、存在自体があまり知られていません。
ジョージ・オーウェル著「1984年」の和訳文庫本に、「ジョージ・オーウェルからのディストピアへの警鐘」といった頓珍漢な解説が付いているのに似ています。ジョージ・オーウェルは生涯社会主義者であり、警鐘する立ち位置にはいませんでした。彼自身がそんな世界を望んでいたのと同様に、アイアンマウンテン報告書に書かれたことも、左翼グローバリストが望む世界政府が実現するまでに戦争が必要であり、実現した暁に戦争の代替品はどうするかという計画書なのです。手違いで公になったため、なりふり構わず、手先であるリベラルメディアに打ち消させたのです。
ですから、1984年が描くディストピアもアイアンマウンテン報告が描くディストピアもそっくりなのです。1984年のビッグブラザーが率いるオセアニア国が掲げるスローガン「戦争は平和、平和は戦争」とも一致します。
まず初回は、「ザ・クリーチャー・フロム・ジキル・アイランド」の<アイアンマウンテン報告>と<報告書の信憑性>というパートから重要な部分を抜粋し、お伝えします。
アイアンマウンテン報告
<これらの戦略の内容は、アイアンマウンテンからの報告書と呼ばれる1966年に発表されたシンクタンクの研究に遡ることができる。この報告書の出所については多くの議論があるが、文書自体は、この報告書がロバート・マクナマラ国防長官の下で国防総省によって委託され、アイアンマウンテンの麓にあるハドソン研究所によって作成されたことをほのめかしている。
ハドソン研究所は、元ランド研究所のハーマン・カーンによって設立され、監督された。マクナマラとカーンは両方とも CFR (※シン・説註:第一次大戦後ロックフェラー家が仕切るカウンシル・オン・フォーリン・リレーションズ=外交問題評議会という創立100年以上のアメリカの任意団体。カーター、バイデンら多くの歴代大統領もメンバー)のメンバーだった。この研究が自称する目的は、「社会を安定させる」ためのさまざまな方法を探ることだった。この報告書を読むと、「社会」という言葉が「政府」という言葉と同義に使用されていることがすぐにわかる。さらに、「安定」という言葉は、「保存」や「永続」という意味で使用されている。
この研究では善悪の問題は取り上げられていない。また、自由や人権などの概念も扱っていない。イデオロギーも愛国心も宗教的戒律も問題ではなかった。この報告書の主要な結論は、過去には戦争がその目標を達成するための唯一の信頼できる手段であったということであった。戦争時または戦争の脅威の時だけ、大衆は文句も言わずに政府のくびきを負えるほど従順である。敵による征服や略奪を恐れると、それに比べれば、ほとんどどんな負担も許容できるように思える。戦争は、人間の情熱と国家指導者に対する忠誠心の愛国心を呼び起こすために利用できる。勝利の名の下にどんな犠牲を払っても拒否されることはない。抵抗は反逆罪とみなされる。しかし、平和な時代には、人々は高い税金、不足、官僚の介入に憤りを感じる。彼らが指導者に対して無礼になると、危険になる。敵や武力紛争なしに長い間存続してきた政府はない。
したがって、戦争は「社会の安定」にとって不可欠の条件であった。>
報告書の信憑性
<イアンマウンテンからの報告書には、この報告書は15人の男性からなる特別研究グループによって作成され、その身元は秘密にされ、公表されることは意図されていなかったと述べられている。しかし、グループのメンバーの一人は、この報告書は秘密にしておくにはあまりにも重要すぎると感じた。彼はその結論に異論はなかった。彼はただ、もっと多くの人がこの本を読むべきだと信じていただけだ。
彼は、著名な作家でコラムニストのレナード・ルーウィンに私用の本を届け、ルーウィンがダイヤル・プレスからの出版を交渉してくれた。
※シン・説註:右派を装った偽書の著者がレナード・ルーウィン(和訳本ではレナード・リュイン)となっています。非常に多角的で広範囲の検討がなされており、作家1人の妄想作品と言うのには無理があります。学際的な実績を持つ15人の知性から生み出されたという方が納得できます。
その後、デル出版によって再版された。これはジョンソン政権の時代であり、大統領の国家安全保障問題担当特別補佐官はCFRメンバーのウォルト・ロストウであった。ロストウ氏はすぐに、この報告書は偽作であると発表した。ハドソン研究所のCFRディレクターであるハーマン・カーン氏は、それは本物ではないと述べた。CFRメンバーのキャサリン・グラハム氏がオーナーで経営するワシントン・ポスト紙は、これを「喜ばしい騒動」と評した。ヘンリー・ルースが創刊したタイム誌は、これは巧妙なデマだと述べた。
その後、1967 年 11 月 26 日、この報告書はハーバード大学教授ジョン・ケネス・ガーブレイスのペンネームであるハーシェル・マクランドレス氏によってワシントン ポストの書籍セクションで査読された。CFRのメンバーでもあったガルブレイス氏は、報告書に参加するよう誘われたため、報告書が真実であることを直接知っていたと述べた。彼は正式なグループに加わることはできなかったが、時折相談を受け、プロジェクトを秘密にしてほしいと頼まれていた。さらに、彼はこの報告書について国民に知らせることは疑っていたが、その結論には完全に同意した。彼は次のように書いている。
私はこの文書の信頼性の背後に私の個人的な評判を置くのと同じように、その結論の正当性を証言する。私が留保しているのは、明らかに無条件の公衆に公開するということだけだ。>
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