2024.9.30 - 2024.10.20
2024.9.30 - 2024.10.20
・お礼
神奈川県中郡二宮町に位置する公営団地で開催された展覧会に出展しました。人口減少と災害対策など、一部を減棟とし、現在も住民が日々の生活を営む場所で、廃止棟として普段は人の出入りが限られている空間での展示制作はとても面白かったです。
当初より、現在も多くの地域住民が暮らす場所であることの配慮など、招待制(のちに完全予約制)となった関係でご案内が十分にできなかったことは、今後の課題だと感じました。本展は、当該の団地に住む複数の作家によって主催・共催され、施設管理者との調整があったので、日々お世話になりました。
空き家など長く住まなくなった場所、どの土地でもある環境で、地域の作家や地縁があった他の土地の作家が生活空間で作品を土地に結びつけていくといったこと、今後も興味の対象として深く考えていきます。一方では、決められた場所、美術館や画廊・ギャラリーやカフェなど飲食店の場所で作家の作品を観るといったことも大切なことだと思います。他方、そうして、特定の場所と多くの生活空間では隔たりがあることの問題意識がさらに深まります。
環境や場所性への取材や展示制作(7日間)と、今年2月以降に20回以上訪れることができ、展示・発表のプロセスとしてもそれそのものが新しいチャレンジとなりました。
関係者の皆さま、大変お世話になりました。
東京や埼玉から訪れてくださった3名の方々、本当に本当に、本当にありがとうございます。
楽しかった。また頑張れます。
・プロセス
長く人の出入りが限られている場所、空気が澱んでいる匂い、人がかつて住んでいたが暫くは人がいない臭い、最初に匂いが気になりました。人口的なニオイを持ち込むことも考えましたが、結果的に津軽でりんご農家していた祖父の土地のヒバを選びました。
作品を釣る時になにが適切かということを2年近く考えてネタ帳に溜めていました。基本的に虫食いの葉っぱはどうしても映り込んでいるので、今回は、絹糸を、これは作家が滞在していなくても目に入るものが自然と完結していることを(私は)好きなので選択。
全体として、他者・作品との干渉、場所性、モノを溢れさせ均衡を崩すことを考え、境界線を曖昧にするように考えました。確かにそこは廃止棟で、ここは海よりの町で、と、でもどこでも同じかもしれないよね。とまでは残したいと考えました。元々に住んでいた人や現在も住んでいる人たちとは境界をはっきりさせるため、その境界線をはっきりさせることが尊重し合う何か、とまでは考えました。
当初は絹・ヒバ・写真・和紙と考えて制作していましたが、通ううちに周りに落ちている落ち葉とどんぐりも拾い集め、室内を外側と内側の境界線を曖昧に、人と人の交わりと、違いの境界は鮮明に、を意識しました。
いつも通り、コンセプトをテーマを混在させた文章を書き、それをアウトライン、フレームワークとして制作をし始めたところ、今回は途中で加筆して、展示の内側の文章になったのは新しい発見でした。
365日、24時間、室内とはいえ、同じ状況はあるのかと、天候や太陽だったり、建物の外側の環境は高層(5階で丘の一番上)なのであまり関係なく、というところ、仮に何年も同じ場所に同じようにして、同じような瞬間は年に一回観れるのかな?という新たな興味の対象ができたことが、今回の展覧会に参加した一番の収穫でした。
写真・青森 ヒバ チップ・絹糸・和紙・落ち葉・どんぐり
予算の関係から取り壊し時期が未定となっているようで、いずれ取り壊される、誰かの帰る場所で、誰かにとっての安らぎや、誰かにとっての抜け出したい何かだったかもしれませんし、そうした場所で、展示制作し、発表できたことを心より嬉しく感じています。
ありがとうございました。
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何に悩んでいたのか思い出せないのだが、
「消えてしまいたい」「消えてしまいたい」「消えてしまいたい」
と、いった感覚というのは、いつ頃から身についたものなのか、思い出している。
武蔵小金井の、前原の、小さな町の、
川が流れ、木々に囲まれた、小さな団地の、小さな時間の。
空と、
川が流れて、海から、ここと通じているねって。
そんな感じかもしれないし、気のせいかもしれないし、よくわからない。
津軽の、長峰の、小さな町の、小さなりんご畑の、
祖父の背中を見て、生き物や見えないその他の者たちとの会話の、小さな小さな時間の。
光と水があって、草木があって、
それを絹で結んでみたかったのかもしれないし、よくわからない。
ヒバのチップを散りばめて、絹で結んで、「消えてしまいたい」って、
それも、よくわからない。
光があって、水もあって、川は海に流れて、どことでも繋がっているね、って。
光も水もあって、草木があれば、どことでも同じだね、って、
「消えてしまいたい」って、「消えてしまいたい」って、「消えてしまいたい」って、
消えてしまいそうで、そうでもなく、
よくわからない。
光と水に、草木が、川は海へと、小さな小さな、小さな時間も。
空と、
こことは、どことでも、繋がっているね。って、
消えてしまいそうで、そうでもなく、
それも、よくわからない。
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何に悩んでいたのか思い出せないのだが、
「消えてしまいたい」「消えてしまいたい」「消えてしまいたい」
と、いった感覚というのは、いつ頃から身についたものなのか、思い出している。
武蔵小金井の、前原の、小さな町の、
川が流れ、木々に囲まれた、小さな団地の、小さな時間の。
空と、
川が流れて、海から、ここと通じているねって。
そんな感じかもしれないし、気のせいかもしれないし、よくわからない。
津軽の、長峰の、小さな町の、小さなりんご畑の、
祖父の背中を見て、生き物や見えないその他の者たちとの会話の、小さな小さな時間の。
光と水があって、草木があって、
それを絹で結んでみたかったのかもしれないし、よくわからない。
ヒバのチップを散りばめて、絹で結んで、「消えてしまいたい」って、
それも、よくわからない。
光があって、水もあって、川は海に流れて、どことでも繋がっているね、って。
光も水もあって、草木があれば、どことでも同じだね、って、
「消えてしまいたい」って、「消えてしまいたい」って、「消えてしまいたい」って、
消えてしまいそうで、そうでもなく、
よくわからない。
光と水に、草木が、川は海へと、小さな小さな、小さな時間も。
空と、
こことは、どことでも、繋がっているね。って、
消えてしまいそうで、そうでもなく、
それも、よくわからない。
何に悩んでいたのか思い出せないのだが、
「消えてしまいたい」「消えてしまいたい」「消えてしまいたい」
と、いった感覚というのは、いつ頃から身についたものなのか、思い出している。
武蔵小金井の、前原の、小さな町の、
川が流れ、木々に囲まれた、小さな団地の、小さな時間の。
空と、
川が流れて、海から、ここと通じているねって。
そんな感じかもしれないし、気のせいかもしれないし、よくわからない。
津軽の、長峰の、小さな町の、小さなりんご畑の、
祖父の背中を見て、生き物や見えないその他の者たちとの会話の、小さな小さな時間の。
光と水があって、草木があって、
それを絹で結んでみたかったのかもしれないし、よくわからない。
ヒバのチップを散りばめて、絹で結んで、「消えてしまいたい」って、
それも、よくわからない。
光があって、水もあって、川は海に流れて、どことでも繋がっているね、って。
光も水もあって、草木があれば、どことでも同じだね、って、
「消えてしまいたい」って、「消えてしまいたい」って、「消えてしまいたい」って、
消えてしまいそうで、そうでもなく、
よくわからない。
光と水に、草木が、川は海へと、小さな小さな、小さな時間も。
空と、
こことは、どことでも、繋がっているね。って、
消えてしまいそうで、そうでもなく、
それも、よくわからない。