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弱い力

【雑記】
物理学的に4つの力があるのだという。
①強い力(陽子や中性子、またはクオークなどを繋いでいる力)
②弱い力(核崩壊を起こす力)
③重力
④電磁気力
なのだそうだ。
ものの本などではいろんな順番にされてしまっているけれど、ここで目を引くのは「強い」という言葉だろう。
強大なものが良いものであるという幻想や、悪く言えば洗脳は私たちに染み透っている。
この辺はスポーツの影響が大きいのだろうなと思う。速い世界新記録はあるが遅い世界新記録はなかなかない。100mを9秒台で走る(素人なら11秒台が関の山だが)のは確かに人間の限界として見えやすい。日々の鍛錬や調整の賜物なのはよくわかる。では遅い世界はどうだろうか。
100mを20秒とか30秒という中途半端な遅さではなく、一切停止せずに5時間かけて100mを進むというのもかなりの苦連が必要になるだろう。
野球のピッチャーが160km/hのボールを投げるのも大変なことだが、最低の速度できちんとストライクゾーンを通過しながらノーバウンドでミットに収めるのも実際には大変なことだ。
ただ、スポーツには社会的な価値が付帯しているのでそう見えるというだけであって、動くということは実際は超遅く移動する能力もかなり必要になってくる。
花の蕾や小さな虫に触れるときに強大な力はいらない。そんなか弱いものでなくても、コップを握力の限りを尽くして握る人はいないし、箸を100kgのバーベルを持ち上げる勢いで持ち上げはしない。小さな子どもに付き添ったり、談笑しながら歩くときに、むしろ早く走る能力はいらない。
そして、意外なことにこれらの私たちが見落としてしまいがちな能力は錬磨で変化する。
もうひとつ言えば、全力で走りながら微妙にタッチを感じて、絶妙にハードルを飛び越えていく感覚は、むしろ弱い・遅い・微妙な線によって支えられている。
シューズひとつにもしつこくこだわるトップアスリートは実は弱い力を熟知しているが、傍目の私たち素人にはそのこだわりは見えない。

『老子』七十六章は有名な章段であるが、この点でも実に面白い。
人之生也柔弱、其死也堅強。萬物草木之生也柔脆、其死也枯槁。故堅強者死之徒、柔弱者生之徒。是以兵強則不勝、木強則共。強大處下、柔弱處上。

私訳をつければこんな感じだ。
人は柔弱の状態で生まれ、ガチガチになって死ぬ。あらゆるもの、草木であってもその生は柔らかくて脆い。そして滅ぶときは凝り固まって死ぬ。だから強固なものは死の使いであり、しなやかで弱いものが生の使いである。強大な兵が全てを殺戮して、全てを破壊したらそれによって自滅する。木は太く強ければ切られてしまうし、硬ければ折れてしまう。そうして強大なものは下位に移り、柔らかく弱いものがそれに勝る。

実に面白く、興味深い。
現実にものすごく筋肉をつけたがために成功しなかったスポーツ選手は多い。何かをする、または何かを表現するという点において、柔弱を感じれられない人が上達することは稀である。
常にフォルテシモで歌い続ける歌手を人は求めないし、微妙な味の差を感じない料理人は大成しない。
ただ世の中の趨勢とすると強固になっているように思えてならない。マシマシコテコテの超大盛りラーメンや激辛な料理がグルメとして紹介され始めていて、絶妙な出汁や腹八分目にちょうど収まる量の料理を客を見ながら出すということとは随分と離れているように思う。
実際に濃厚なスープを提供しようとすれば、どうしても雑味が気になり、腹の脂と背の脂の絶妙な割合が気になってしまうのが私たちの味覚の文化だ。
同じように疲れた時に、肉を食うのか、野菜を食うのか、はたまた何も食わずに休むのか。私たちは生き物であるからには自分の中に答えを持っているが、それを見失って来ているようにも思う。
チェーン店の工場生産の均一な食品に慣れ、体を動かせば非常に単純なひとつの数字(速さ・重さ・高さ・強さ)だけに反応してしまい、それを構成する複雑な数字には目が行かないとすれば、私たちは生き物として実に硬直した状態に追い込まれているようにも思う。

多少は気功の立場でものを言えば、弱くて柔らかい用途の広い力を自覚するのが気功だとも言える。体の重み、各部位の連結、気血の状態、外界との在り方、そういったものを自覚し、錬磨するスタンスとも言える。
敢えて「スタンス」と言い暈すのは、それを鍛えるのだと言ってしまうとそれは強固なこだわりの中に自分を置くことになってしまうからだ。さらに言えばそれらの錬磨や自覚は強く求めることでは決して達成できないものでもあるからだ。
本番になると「絶対やってやる」と息んで何もできなくなってしまうあの世界線と絶妙に距離をとることを、ぼんやりと学ぶのが気功だと言ってもいいかもしれない。
宝物は崇め祀っているうちに壊れたり腐ったりするし、足下の泥の中や茂みの隅にまた生まれることがあると、ホリスティックに理解・実践する道といってもいいかもしれない。

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