言葉のちから
小さい頃から、どうしてスローガンや目標を言葉として書き表すのかわからりませんでした。小学校で「明るく楽しく元気な子」と教室に掲げてある額縁や、毎年決める目標やめあて決めが全く理解できなかった。なぜ時間をかけてそんなものを決めるのか、最近まで理解できず、また言葉のちからなんて微塵も信じていませんでした。
ところが最近、言葉にはちからがあるんだ、ということを教えてくれた出来事がありました。
祖父のこれまで
私の祖父は現在95歳という超高齢者です。今では数少ない戦争経験者、シベリア抑留により6年ほどラーゲリに収容され強制労働をさせられていました。当時は娯楽もなく、敵であったロシア人の歌や踊りを電車から眺めることが楽しみだったのだそうです。現代の私たちは到底しようもない経験ですね。
日本へ帰国してから祖父は、地元板橋区金井窪で溶接業を営み、貧しい暮らしの中、来る日も来る日も仕事をし、家を建て、私の叔父と母を育て、そして母が父と結婚し私が生まれ、折あるごとに私を助けてくれました。
感謝してもしきれないとはこのことだなと感じています。
祖父の病気と祖母の死
そんな祖父は3年前ほど、持病の高血圧からか脳に血がたまる慢性硬膜下血腫により倒れてしまいました。通りかかった人の迅速な通報と緊急手術により一命をとりとめ、強靭な生命力により手術から数日でICUから普通病棟に移ることができ、無事退院しました。
祖父が入院したストレスからか、何も問題なかったはずの祖母が急に体調を崩し、黄疸が出てしまい、入院しました。それから2週間後、祖母は急逝しました。
突然一人になった祖父は寂しそうでした。
はじめての一人暮らし。足が悪くなり、やることできることもなく、ぼーっと時代劇を見るだけの生活。自分がその立場だったらすぐおかしくなってしまうでしょう。しかし、そんな生活を強いてしまったのです。
祖父の衰弱と認知能力の低下は火を見るより明らかでした。
デイサービス
これはまずいということになり、手段を探し、デイサービスにたどり着きました。祖父はデイサービスが楽しかったらしく、みるみる回復していきました。やはり、生活のハリは必要ですね。足腰がつらいにもかかわらず、祖父はデイサービスだけは欠かさず行き、楽しんで帰ってきました。
これで一安心だ。
家族みんなそう思っていました。
デイサービスを開始してから半年ほど経った頃でしょうか。祖父はデイサービスから帰ってくると「寂しい、寂しい」「一人だから」といった言葉を繰り返すことが多くなっていきました。
一緒にいてあげたいという思いはありつつも、なかなかずっと一緒にいるということはできませんでした。
デイサービスの刺激も長くは続かず、本人の中でマンネリ化しているようでした。以前の一人暮らし同様だんだんと認知が低下していくことがわかりました。私が祖父の家に行っても、私のことを埼玉に住む叔父だと認識することが多くなっていました。
風邪と衰弱
それからいくばくかの月日が経ち、祖父が珍しく風邪を引いてしまいました。
その風邪がきっかけで、食欲が落ち込み、一日一食でおにぎりを二、三口食べることがやっとの状態になってしまいました。風邪が治っても、食欲はなかなか戻らず、衰弱が進んでいました。
ある日、祖父が腹痛を訴えてきました。ちょうどその頃妻の祖母が大腸癌を患っており、同じことがないか心配だったため日大病院に検査をしにいきました。結果は便秘によるものでした。食欲がなく、食べられていなかったため、体が正常に機能せず、排便ができないのだろうということでした。
また、栄養失調状態だという診断をもらい点滴も受けました。
しかし、容態(ヨウダイ)は良くならず、ますます認知も落ちていき、とうとう自分は完全に埼玉に住む叔父だと認識されるようになりました。
悲しかった。
その頃から、毎朝祖父の家へ行くようになりました。
祖父の食欲が回復するよう、一緒に朝ごはんを食べたり、朝ごはんのメニューのバリエーションを増やしたり、試行錯誤の日々。
しかし、効果はほとんどありませんでした。
言葉のちから
毎朝行くようになって二週間頃して、それまでもデイサービスが迎えにくる時間を示すためにホワイトボードを使っていたのですが、ふと思い立ってこホワイトボードに
「今日も一日楽しく元気にがんばろう」
と書きました。
祖父の目に入って、祖父がしどろもどろにこの文章を読み上げました。
きょう、も、いちに、ち、たのしい、げんきで、がんばろう
そして、拍手!よほど嬉しかったのだと思います。とても不意なことだったので、母と大笑いしました。
それから、毎日この文章を祖父と一緒に読み上げました。
すると、日に日に祖父の笑顔が増え、認知が良くなっていることがわかりました。
それをきっかけに、ホワイトボード改善の始まりです。
あまりヒットせず
これもあまりヒットせず
紫陽花の絵をとても気に入ってくれ、「綺麗だね〜」「綺麗だね〜」と連呼して拍手していました。
この頃になると、食欲も回復し始め、どんどん食べられるようになっていきました。
祖父の回復ぶりをみて、文章を毎日一緒に読むことと、その内容を毎回確認することで、元気が湧いてくるのだと確信しました。そして言葉には人を元気にするちからがあるのだと。祖父の回復ぶりは見違えるものがありました。認知が低下した祖父と現在の祖父はまるで別人です。こんなにも人は変わるのかと同時に、自分が書いた言葉でこんなにも人を喜ばせ、元気にすることができたのかと、驚きました。
改善はまだ続きます。
渾身の作です。ニコニコという音が気に入ったようで、毎日軽やかに発音していました。
気に入ったら気に入ったで、しょっちゅう見たり動かしたりするので、ホワイトボードの内容が消えてしまうようになりました。
毎日書き直し!元気になったらなったで大変だあ(笑)
書き直しの毎日が続きます。祖父はニコニコ。
ここで、試しに縦書きにしてみました。
やはり昔の人ですね。縦書きはとてもスラスラと読めるのです。なぜ今まで横書きにしていたのか。。。。これを皮切りにさらに元気になっていきました。
最近はデイサービスがお休みの木曜日に車で千川の安曇野というお蕎麦やさんにお昼を食べにいきます。
ご満悦のご様子。
天ぷらそばに舌鼓を打っています。
全然食べられなかったのに、今では天ぷらそば一杯をペロリとたいらげるようになりました。
この時は感動でいっぱいでした。涙がこみ上げてきました。
ああ、本当によかったと。あのままでは祖父は衰弱していたと思います。
ちょっと言葉でも人がこんなにも変わり、元気になるのだと知った良い経験をさせていただきました。ありがとうじっちゃん。
元気になった今でも毎朝祖父の家にいき、一緒にご飯を食べ、魔法の言葉を一緒に読み上げています。
祖父は言葉の通り、毎日ニコニコしながらデイサービスに楽しく通い、生きることに精一杯頑張っています。
少しだけ、小学校の頃のスローガンの意味がわかった気がしました。