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【私の説明書】


初めましてm(_ _)m

コア・コーチングとして活動させて
頂いています。
花咲 心(はなさき しん)と申します。

よろしくお願い致します。


私が何故、コア・コーチングとして
活動しているのか?
を、お話ししていけたらと思います。

先ず私の生い立ちから、お話ししていきたいと思います。

幼少期

私が産まれてすぐに、両親は離婚しました。
私は三人姉妹の末っ子として産まれました。

乳飲子だった私は、母親に引き取られる事になり、そこで家族はバラバラになりました。

私が物心がついた時には、母親は既に姿を消していて…
そう、母親は私を捨てたのです。

私は未だに、母親の顔さえも思い出す事が出来ません。

その当時は乳飲子だったので、感情は無かったのですが今思い返すと
産まれたばかりの子供にとっては
母親の存在は大きく

母親からの「無償の愛情」がもらえなかった事は辛く悲しい事でした。

物心がついてから

養子に行くまえの少しの記憶…

母親は夜の街で働いていました。
でも私と母が暮らしていた家にはあまり一緒に居た記憶がないのです。


集合住宅で暮らして居た私は、周りの大人の人達によって助けられていたのかも知れません。


常に独りぼっちだった記憶しかありません。

そして何らかの理由で養子に出される事になりました。


私が小学生に上がる頃だった記憶です。
養子先の生活も、決して楽しい生活とは程遠い、虐待の毎日だったのです。

学校に行けば虐めに合い、家に帰って来ては暴言を吐かれ、暴力を振るわれていました。


「とにかくこの家に着く瞬間が恐怖でしかない」


まだ6歳だった私は、その生活が怖くて仕方がありませんでした。

私は所々、記憶が消えてしまっています。(解離性健忘症)

なので確かに覚えている事しか書けませんが、申し訳ございませんm(_ _)m

養子先では小学生に上がってから約二学期まで暮らした記憶です。

結局その養子先でも育てられないと言う事になり姉達の暮らす
父方の所で育つ事になったのです。

父方での暮らし

小学生の二学期の時でした。
私はずっと一人っ子だと思っていたのに、姉が二人居た事
そして、父親は既に他界していた事。

小学生の私には理解し難い現実だったように思います。


父親は他界していたので父親の母になる私達からすれば、祖母と父親の兄弟の家族と一緒に暮らす事になったのです。


「私はこの家の一員になっても良いのだろうか?」と、強く思いまた。
私が一人増えた事でここでも又、虐待が始まるのです。



そして私一人が増えた事で、家賃が上がった事、食費や学校に費用がかかる事を、毎日毎日罵倒されていまた。

「お前達の母親は、お前達の事を捨てた。」

「三人女ばかり産みやがって、お前達も同じ人生を歩むんだ!」

祖母や親戚の大人達は、気に入らないと暴力を振るい、罵倒する。

小学生ながら「死にたい」と何度も思いました。

毎日が本当に苦しくて辛かった記憶しかありません。


学生生活

学校に行っても虐めの対象…
でも私にとっては、学校で虐められていてもそこが唯一私の自由になる場所でした。

「虐めはあったけれど、あの恐ろしい家から逃げられる」

そんな唯一の場所だった学校を休む事はありませんでした。

その家での生活は、義務教育しか受けさせられないとの理由で
中学校を卒業したら、就職する約束だったので私も中学校を卒業して
寮のある会社へ就職しました。


社会人になってから

就職して働いた給料は、育てた恩として親戚に全部没収される。
その中から一万円だけお小遣いとして渡されていました。

「せっかく頑張って自分が働いたお給料なのに、なぜ全部没収されてしまうのか?」

すごく悲しい気持ちになりました。もうその頃になるとこの生活が耐えられなくなって来ていて

「このままではきっと自分の自由になる事なんてない。」

と思い私は
二年働いた会社を辞めて、親戚には内緒でその土地から逃げたのです。


幼少期の頃から、幸せなど感じた事のない私は

「自分は絶対に幸せになりたい!自由になりたい。」

と、自分自身が変わる為にその都度、自分のチカラで環境を変え
行動して来ました。


DVモラハラ夫となる人との出会い

初めての土地で、慣れない人間関係の中、初めて出会った異性がDVモラハラ夫となる人でした。

「この人だったら私の事を理解してくれる。」

私は幼少期の頃から、周りの大人達の暴力や暴言になれてしまっていたせいで

お付き合いをしている頃から、少しずつモラハラを出し始めた夫に、あまり違和感がなかったのかも知れません。

むしろ、信じていたし初めて優しくされた相手だったから…。

結婚生活10年、ずっとずっと夫からのDVモラハラに耐えて来ました。


子供達が大きくなるまで耐えた結婚生活

結婚生活の途中で私は「重度のうつ病」を発症してしまったのです。


「こんな生活をしていたら、子供達や私の命までが危ない!」

と思うようになり離婚を決意しました。


これまでの人生を振り返って

私が幼少期の頃に虐待や虐めに合ったせいで、自分はどうすれば
周りから認めてもらう事が出来るのか…

幼いながら身につけたと言うか
そうする事で承認欲求を満たしていたように思います。



笑顔を絶やさず、誰にでも優しく接する事だったり

でも内心は、繊細で傷つきやすか
たり些細なことで落ち込んだり
不安になったりもする。

怒りや悲しみなどの感情を、上手く表現できない。

そのため、笑顔なんか作れないはずの瞬間も、偽りの笑顔で過ごして来ました。

怒りが込み上げて来てるはずの瞬間も、優しい人を演じている。

そんな自分が本当の自分なんだと、自分で偽りの自分を作りあげて来たのです。


私は幼い頃から周りの大人達に褒められたい、認められたいという気持ちが強かった。

そのため、いつも笑顔を絶やさないようにしていた。

泣きたい時にも泣く事を我慢して来たんです。


周りの人達に嫌われたりすることを恐れて自分の意見が言えなかった。

そうして、自分の本心を隠しながら、周囲の期待に応えようとして来たのです。

私は、本当の自分を知りたい。本当の自分を取り戻したい。

笑顔なんか作れないはずの瞬間も、怒りが込み上げて来てるはずの瞬間も、自分の本当の感情を表現したい。

そのためには、まず自分自身を見つめ直す必要があると言う事に気付いたんです。


自分の本心と向き合い、自分の弱さや欠点も受け入れる。
そして自分自身を認めてあげたい。


そのためには、自分自身を信じることが大切だと思うのです。
どんな自分も受け入れ、自分のことを愛してあげる。


そうすれば、本当の自分自身を生きることができると思うのです。

そこに至るまでには、とても時間がかかります。

信頼出来る人に話しを聴いてもらう事で、少しずつ気持ちが楽になります。

そして、自分を取り戻すきっかけを見つける事もできます。

その今までの人生がトラウマとなってしまっていたら
(トラウマとは心的外傷によって生じる)

強い不安や恐怖、怒りなどの感情を我慢して心の中に閉じ込める事で
トラウマとして残り

自分の心を閉ざしたまま自分を偽り生きていく人も少なくありません。

トラウマを抱えたままでは、心から幸せを感じることができないこともあります。

今、私は本当に幸せに生きています。

自分の好きな事や好きな物に囲まれて、自由に生活出来ています。

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最後まで読んでくださりありがとうございましたm(_ _)m




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