【アニメ一考】葬送のフリーレン#3~思いの繋がりと可能性~
アニメ「葬送のフリーレン」を観て考えたことを書いてみるシリーズ。
前回までの記事はこちら↓
この記事はネタバレを含みます。
気にされる方はご注意ください。
知ろうとすること
「あなたが私を知ろうとしてくれたことがたまらなく嬉しいのです。」
フェルンの誕生日。
街での一人行動でプレゼント選びに悩み、聞き込みをしてフェルンの好きな甘味処を探すフリーレン。
その後二人で行った甘味処でフェルンはフリーレンの食べたい好きなものを言い当てる。
フェルンにはフリーレンの好きなものがわかっているが、フリーレンにはフェルンの好きなものがわからないということをフリーレンが自覚するシーン。
わからない、それでも知ろうとすること。
その人に思いを馳せ、悩み考えること。
そうやって相手のために時間を使うこと。
それをしてくれる存在自体が尊い。
その事実に気付いた時、
どれだけ勇気づけられるか。
どれだけ嬉しいか。
フェルンはフリーレンを怪しんで尾行することで、その事実に気付いた。
その事実は、思いの外埋もれてしまって気付きにくいものなのかもしれない。
だからこそ、普段から心のアンテナを高くして、相手の行動の背景に思いを巡らせ、確かにそこにある事実を、その存在を一つひとつ大切にしていきたい。
旅の目的
フェルンから旅の目的を訊ねられたフリーレン。
魔法収集の趣味の旅。
「でも、できる限りはヒンメル達との冒険の痕跡を辿っていきたいかな。風化する前にね。」
フリーレンは、ヒンメル達との旅では気づけなかった「何か」を探ろうとしている。
その「何か」が自分にとって大切なものなのかも探ろうとしている。
その時になんとなく過ごしてしまった過去。
大切に過ごせなかった過去。
その過去をやり直すことは決してできないけれども、
反芻してその過去の出来事の意味を探ることはできる。
きっと今だからこそ気付ける意味もある。
失ってしまった、もうやり直せない過去だからこそ。
その過去を経験してきた今の自分だからこそ。
過去に思いを馳せるとき。
今を生きる私たちには、ただの後悔で終わるのではなく未来に繋がる「何か」を得ようとするその姿勢が必要なのだ。
同じ80年間でも
80年。
魔物やフリーレンにとってはあっという間なその時を人間はどう過ごすか。
80年前、人を殺す魔法として恐れられたゾルトラーク。
クバールという魔物が封印されていた80年間で、人間はゾルトラークを研究・解析し、対策に全力を尽くしたことで人を殺す魔法ではなくなった。
時を軽んじて何もせずに過ごすのか、
与えられたときの中でできることを考え行動して過ごすのか。
時の過ごし方や重ね方によって、人はきっと遠くまでいける。
「今この時をどう過ごすか」
限られた時の中で目的を持ってその目的達成のための思考と行動をとることの大切さを感じたシーンだった。
信じること
村の人々はヒンメルを信じ、そのヒンメルはフリーレンを信じた。
「信じる」
その思いが繋がることで実現することもある。
この社会は人の思いで動いている。
人の思いで何かが作られ、新たな何かが生まれていく。
そうした人の思いが繋がることで、直接の繋がりがない誰かの喜びに繋がることがあるし、時には思いもしなかった大きな変革がもたらされることもある。
効率主義、成果主義が重視されつつある現代だが、それでも大切なのは人の思いのはずだ。
人が生き、人と人が関わり合う社会の中で、人の思いの力は強いと私は信じている。
「思いは原動力」
人の思いを大切にし、その思いを生かし繋いでいける、
まず自分の身のまわりからそんな環境を作っていきたい。