脱・傾聴できている“つもり”
この数年、ずっと「Conflict=衝突」をテーマとして抱えています。
たぶん過去にパワハラを受けた経験がそうさせるのだと思いますが、誰かと衝突するくらいならキレイに逃げたい。そういう発想のもと、スルリと消える。これを繰り返してきたのです。
ただ、衝突から生まれるエネルギーというのもあるわけで、「衝突をどう受け止めるか?」について、ずっと模索しています。
イアン・レズリーの『CONFLICTED 衝突を成果に変える方法』も、とても興味深く、イタい気持ちを抱えながら読みました。
「キレイに逃げられた」と思ってるのはわたしだけかもしれない。とはいえ、「立ち向かう」なんてイヤ。
なんてことを考えているうちに、最近は「傾聴」とはなんぞや?という想いを抱えるように。
何ができたら「傾聴」できたといえるのか。
「傾聴」することで、関係はどう変化するのか。
なんだか「話を遮らずに聞く」とか、「反論やアドバイスをしない」ことだけが「傾聴」と言われているようで、違和感ありあり……。
迷ったときは『7つの習慣』に聞け、ということで原書を開いてみました。
そこで発見したのが「empathy(エンパシー)」という言葉。
『7つの習慣』で「傾聴」について触れているのが、第5の習慣「まず理解に徹し、そして理解される」の章です。章の副題に、こんな一文があります。
よく「傾聴=共感を持って聴くこと」といわれますが、「共感」という日本語と、英語の「エンパシー」という言葉のズレが、モヤモヤ・しっくりこない原因だったのかと腑に落ちました。
エンパシーと似た言葉として、というか、ほとんど混同して使われている言葉に「シンパシー」があります。新英和大辞典によると、こんな説明です。
シンパシーが感情的な同調=同情に近いのに対して、エンパシーは「対象の中に自分の感情を移し入れる」とあるとおり、知的な思考であり、想像する力といえそうです。
問題は、どちらにも「共感」の訳があてられていることかも。
わたしが人の話を聴くときに意識している「共感」とは、「エンパシー」のことで、その深さに耐えられる自分をつくろうともがいている状態だったわけですね。
なにより気を付けたいのは、傾聴できている“つもり”になること。そのために、豊かさマインドを意識してみたり、セルフコーチングの質問を工夫したり。
「エンパシーによる傾聴」というより、「傾聴」するためにはもっと「エンパシー」を高める必要があるといえるのかも。
なんてことを、ツラツラと考えたのは、トラストコーチングスクールの学びの場「Eカレ」に参加したからです。
代表である馬場コーチの打ち出す質問の数々に、頭がグルグルした一日でした。
ふつうに仕事だけしていたら、こんなことを考えるのは(メンドクサイ……)となりそうですが、ここをつかめたら一皮むけるかも、と自分に期待してしまう時間なのです。いや、活を入れる時間かな。
世の中にコーチングスクールはたくさんありますが、トラストコーチングスクールはリーズナブルな価格で始められて、徐々にステップアップを選択できるところもメリットです。
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学びを深めて、自分を知る。その先に、「Conflict=衝突」を受け止められる自分が待っていてくれるといいな。