山手線で思ったこと
目白から乗る山手線と、池袋から乗る山手線、同じ電車なのに、なんだか違うもののように感じた。
と、電車で思ったことはこれだけで、それ以上も以下もない。
でもここでnoteを終わらせてしまうのはもったいないので、少しだけ続きを考えてみる。
いつもは目白から山手線に乗って田端乗り換えで帰るのだけれど、今日はたまたま池袋の郵便局に用があって、池袋から乗り込んだ。
同じ電車の同じらへんの車両に乗ったにもかかわらず、なんだか雰囲気が違って感じた。
それはもしかしたら、時間帯のせいなのかもしれないし、乗客のせいなのかもしれない。
でも、それだけでは終わらない気がした。
僕が今日の電車で感じていた雰囲気は池袋の雰囲気そのものだった。
あの、都会ぶっているけれどところどころ汚くて、一歩脇道にそれるだけでまるで錆びれた商店街があるような、そんな雰囲気だった。
きっとその都会なのに田舎のように感じた山手線は、僕が乗り込んだ池袋のイメージを引きずってきてしまったんだろう。
先入観とか残存効果だとでも言うのだろうか。
可能性は無限なんじゃないかと思った。
同じ路線を走る同じ電車に乗り込んだとしても、こうも感じるものが違うのだ。
人それぞれ違った感性があって、違ったものを電車の中に引き込んでくる。
その中は混沌としていて、無限の感性を内蔵している。
これからは多様性が求められる未来がやってくる。
グローバリズムがいいことばかりなんてのは決して真実ではないし、移民や難民の問題も顕著だ。
日本にも外国人が増えてきた。
そんな社会を嫌う人もいるだろうけれど、もうそういう時代じゃない。
止められない大きな流れとして、それは現にやってきているのだ。
LGBTや障害者、いろんな個性があって然るべきなのだ。
それを受け止め、受け入れ、自らの糧としていくことが僕らがやるべきことではないだろうか。
おわり
サポートがあればすぐ次書きます!!