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就活しないわけ

僕は今のところ就活するつもりがありません。

進路は大学院進学一択で、他は考えてません。
親にはインターンくらい行けって言われたけど、それもなんやかんやしてる間に行く気がなくなりました。

僕が就活しようと思わないわけを改めて考えてみたので読んでください。

1. やりたいことがあるから

まず、単純な理由として、就活に意味があると感じません。

たしかに就活は「院に落ちた時の保険」になります。
大学院に絶対合格できる自信なんて僕には微塵もありません。
毎日不安です。

だけど、僕はお金を稼ぎたいわけではないし、大学卒業→就活という世の中の流れに身をまかせるつもりもありません。

やりたいことをやって、生きていたい。
ただなんとなく働いて給料をもらうのではなく、世の中の役に立つ立派な仕事をしたい。

僕のやりたいことは、「日本の教育環境を変えること」です。

僕の母親は50歳を過ぎてから教員になりました。
それからというもの、我が家に朝ごはんが出なくなって、洗いっぱなしの洗濯物も放置され、晩御飯もレトルトが多くなりました。

恥ずかしいことだけれど、家族のサポートが今まで全く足りていなかったことは確かです。

でもそれ以上に、教員という職業の過酷さが、母親を苦しめているのだと思います。

今まで僕は弱音を吐いている母親を滅多に見ることがなかったけれど、最近は頻繁に疲れたとか大変だとか言っているのを耳にします。
学期末の忙しい時期には夜の22時を回っても帰ってこなくなりました。

そしてこれはうちの母親に限った話ではなく、日本の教員の多くはこうした過酷な環境で働いています。

こうした日本の教育環境を変えるためにはどうすればいいか、たくさん考えました。
頭のいい人にお話も聞きました。

教員になることはなんか違うなぁと思います。
郷に入っては郷に従わなければならないから。

なら行政の側に回るのはどうか。
文科省のトップになれば変えられるよ、と頭のいい人に言われました。
でも現実的じゃない。

私学と協力してアクションを起こしている企業もあると聞きました。
それじゃあ起業するか。

どの選択肢を選ぶにせよ、何十年も変わらなかった教育環境を変えるにはまったく革新的なことをしなければいけない。

それは学部卒でもできるのだろうか。
際立った能力もなく、コミュニケーションも苦手、まじめさだけが取り柄の自分に務まるのだろうか。

まぁ、簡単じゃないでしょう。
でも僕が学んでいる教育経済学は、確実に教員の働き方改革を達成させるためのキーになると信じています。

人生は一回きり。
見切り発車でやってみてダメでした、は嫌だ。

親もやりたいようにやりなさい、と院進を後押ししてくれた。
院に行くことは、自分自身の説得力を強めることと同じです。
説得力のある人間として社会的に認められてはじめて、自分も思い切り働くことができます。

自分自身に納得がいかない状態で何かを成そうとしても、絶対にうまくいかない。

きちんとした能力のある人間になってから、チャレンジしたい。
適当な企業に就職したところで、雑用のように使い潰されるだけ。
妥協はしたくありません。

2. 就活に疑問があるから

これは今就活を頑張っている人には失礼な話かもしれないので、読みたくない人は飛ばしてください。

僕ははっきり言って就活が好きではありません。
やってもいないくせに知った風な口を聞くなと言われればそれまでですが、自分の周りを見ていても、彼らと同じような就職活動をしたいとは全然思わない。

就職活動ってなんなんですか?
何が目的なんですか?

本当に自分がやりたいことをやりたくて就職活動をしている人をあんまり見たことがありません。

「業界絞った?」みたいな会話を聞くけれど、なんで今更そんな話…と思ってしまう。

大学生活は大人になるための猶予期間であって、それが3年間もあったのに何をしてたの?と疑問に思います。

もっと言えば、大学進学はさらにその前段階で、「『やりたいこと』を探す場所」を見つけるものではないんですか?

なんとなく始まった大学生活が終わって就活しなきゃいけなくなったからしてる、そんな風に見えてしまうのが残念です。


企業側の採用の仕方も嫌いです。

この前webテストとやらをはじめて見たのですが、茶番でした。
解答が載ってるエクセルシートに、問題文を打ち込んで検索すると答えが出ます。

そんな出来レースにもかかわらず、webテストの点数が良くない人は落とされるそうです。

なんのためのテストなの?と何回思ったことか。

普通にやれば時間内に終わらないテストなんだから、逆に満点の人はズルい人間なので不採用にしますとか言われた方がまだ納得できる。

でもwebテストっていうのはそういうものだから、みんな答えを調べたり替え玉受験したりして見せかけの高得点を取る。

そんなものになんの意味があるんですか?
誰か教えてください。

企業側は腐るほど志望者がいるので適当に人数絞ってるだけかもしれないけど、申し込んでる側はそんな生半可な気持ちじゃないかもしれない。

気持ちを踏みにじる行為は大嫌いです。
そんなんだったら小さな会社でもきちんと人となりを見てくれるところの方が100倍素晴らしいと思います。

3. 後悔したくないから

正直に言って、大学院進学は簡単なことではありません。

今まで敬遠していた数学にも取り組まなくてはいけないし、院試の過去問は3年分しかないし、その解答も貰えない。

どこから手をつけたら良いか、どこまでやれば良いかわからず不安な日々です。

そんな時にやりたくもない就活に気を取られたくはありません。
僕は自分が就活のストレスを他人より感じやすい人間であると断言できます。
社会不適合なのは自分でもわかっています。

もし院試に落ちて進学できなくなった時に、「だって就活もしてたから」と言い訳にしたくない。
反対に、「就活もしてたからしょうがないね」と情けをかけられたくもない。

院試と就活、どちらも中途半端になって失敗することだけは死んでもやりたくありません。

ここで後悔したくない、もう後戻りしない、そういう覚悟の表れが、就活をしないという選択です。

おわりに

ここまで長々と書きましたけど、世間的に要約すると、「就活を先回しにしている」だけなんでしょうね。
わかってます。

でも、先回しにしなきゃできないこともあると思ってます。

そして反対に、院に進んだ結果、学んだことと全然関係ない企業に就職することもあるかもしれない。

就活だって院試と同じで絶対受かるわけではないのだから、みんなのように滑り止め?として業界をいくつか受けることも手段としてはアリなのかもしれない。

僕はしょせん就活から逃げた男なので、わからないことばかりです。
僕みたいな人は逆に2年後就活する時に苦しむ気がします。

社会科学系の院卒は企業で冷遇されるそうなので。

でも、自分の選択を間違っているとは思いません。
学位を取得するということは、しっかりと学んだことの証明です。

学歴がどうたらとか言う人はたくさんいますが、嘘で塗り固められたバイトリーダーよりも説得力があることは確実です。

就職した人が働いてお金を稼ぐ中、こっちはお金を払って勉強しにいくんです。

それなりの覚悟をもって大学院に行きます。


最後にですが、現在就職活動をしている人、また就職活動を経て社会人になった方々。

結局は僕も2年後(4年後かも)に同じところに行き着くので、どっちが偉いとかはありません。

過程も大切ですが、今いる場所で何を成すかが一番大切です。
一所懸命がんばりましょう。

と、この流れで僕が言っても上から目線に思われるに違いないので、このくらいにしておきます。笑

ありがとうございました!

#就活  #大学院 #院進学

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みしん
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