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美芸再読(アホみたいに晴れた冬の日に)前編
突然だが、町田康さんの『俺の文章修行』という本の一節を引用する。
(前略)
だけれども、信じられないと思うが、その頃の俺は純粋無垢な少年で、本を出すような人はとてつもなく賢人、と信じていた。
(中略)
つまり再読したということである。
(中略)
それは一回目に読んだ時はわからなかったのだが、落居しないながらところどころ説明のできない、異様なおもしろみのようなものがあることがわかったのである。
(中略)
そうしたところ、おもしろいところに差し掛かるのが楽しみになり、四回、五回と読むようになった。
そうしたことができるのも、みずから企図してではないが、少し許六図かしくて訣らないと思う位のもの、を偶々手に取ったからである。
すぐにわかりそうもないもの、あるいは自分の理解を少し超えたものを読む。
それを再読するうちに理解ができるようになる。
という、考え方は人との付き合いにも適合するような気がする。
これを説明するのに、いつもどおり、少しというか、死ぬほど遠回りすることになるが、極めて暇な方にお付き合いいただけると嬉しく思う。
土曜日、アホみたいに晴れた冬の朝、新幹線に乗り東京に向かった。
旅行には違いないが、主な目的は大学※の同級生である永田希ちゃんを「囲む会」に出席することだった。※某大学文学部美学及芸術学専攻(略して「美芸」)
2024年の末に、永田くんが亡くなったという知らせを聞いた。
そのことを伝えてくれた同級生にどう返信していいのかわからず、少しの間、途方にくれてしまった。
程なく、1/25に東京で囲む会が開催されることを聞いた。
永田くんとは、ほんとに長い間会っていなかったが、全く連絡をとっていないわけでもなく、彼の書評家の活動も少しは知っていた。
3冊ほど、本を出していたはずだ。
3回生の時に、彼と半年ほどバンドをしていたことがある。
金津くん、山くんなどとやっていた『HOBO』というバンドで、永田くんは音響というかミキサーをいじって、バンドのサウンドにエフェクトを加えていた。
2年ほど前に、「その頃の音源が聴きたいので、まだあるならば送って欲しい」と連絡が来た。僕は、また次に会う時に返してもらえばいいやと思ってオリジナルというか、コピーをとらずにCD-Rを送った。
僕の見通しが甘かったのかどうかもジャッジしにくいが、「また次に会う時」は訪れなかった。
そのCDも、もう返ってくることはないだろうが、それでいいというか、むしろ『それがいい』と思っている。
東京行きの新幹線に乗る1時間ほど前、僕は地元駅でBluetoothイヤホンを耳に入れ、あるアルバムを再生した。
同じく同級生の金津くんが奇しくも同日1/25にリリースした『Karika』というアルバムを聴こうとしていたのだ。
電車を待つホームで、東の空にある昇ったばかりの太陽の光を眺めながら、最初の曲を聴いた。
やっぱり良いな。
アルバムの音が噛みしめながら、電車に乗る。
彼の15年分の考えがわかったとは到底言えないが、その考えに触れることはできたように思った。
東京駅に着いて、同級生の寺田くん家族と会う約束をしていた皇居内のスターバックスに向かう。
寺田くんの妻のえみちゃんとも久しぶりに再会し、近況など話す。
その後、東京駅の日本橋口にあるビルの貸し会議室の1つに移動し、囲む会に出席した。
そこには、10人弱の大学の友人が来ていた。
敢えて肩書を含めて紹介する。
先程の金津くん(音楽家)、山(家電メーカー経営)、佐々木(映画監督)、金ちゃん(演出家)、かすみちゃん(映画監督、MV・PVディレクター)、相沢(某芸能会社勤務)、林(能楽師)、うっちー(某広告代理店)、あと僕。
会の終わりごろには、永田くんのお父さん、妹さんと話することができた。
亡くなった時の様子を聞き、持病がなかったこと、眠ったまま亡くなったことなどを聞いた。
遺影の前には、各々持参した花や果物が置かれている。
遺影のまわりには、永田くんが関わった著作物や所蔵本の一部が展示され、窓際にはDJとして活動していたユニットの音源などを聴くことができるように設えてあった。
窓の外のビル群を眺めながら、ヘッドホンで音楽を聴いた。
大学の時には、あまり理解できなかった(あるいは理解しようとしていなかったのほうが適当かもしれない)彼の音楽が驚くほど自然に入ってきた。
不思議な気持ちになった。
その後、かすみちゃんが予約してくれていたいつもより少し上品な居酒屋で、みんなで永田くんに献杯をする。
永田くんとの思い出やみんなの近況を聞きながら、僕はこんなことを考えていた。
というと、大層な言い方だが、要は「みんなすごいな。ちゃんと自分の道を生きてるな。」という、言葉にしてしまうと中学生みたいなクオリティのことを考えたということだ。
みんなの話がとてもスッと入ってきた、とも言えなくない。
1軒、2軒とはしごして、そろそろ帰らなければならない時間になった。
名残惜しい気持ちはあったが、「また必ず会わないと」と密かに心に誓い、別れた。
(後編に続く)