お薦めとかそんな生易しい感情ではない
先日、Aqua Timezのボーカル太志が
現在活動する音楽プロジェクト
Little Paradeのツアーファイナルに参加した。
Aqua Timez解散以来実に4年ぶりのライブ、
色々と感極まるものがあった。
彼がどれだけ解散してからの自分、
ファン、メンバー、そして「Aqua Timez」という
かつて掲げた看板に誠実に向き合っているのか、
その思いの発露としての楽曲をぶつけられて
普通に3回泣いた。
声を出して騒げなくても、濃く、良い2時間だった。
私のAqua Timezに抱える感情は以前
語った通りではあるのだが、
今聴いてほしいというか、Aqua Timezもとい
Little Paradeがどのような曲を描いてるのか
知ってもらいたいという思いが
ライブによって大いに喚起されたため、
以下彼らの曲を5曲ほど紹介し、
その良さを共有させてほしい。
1 because you are you (Aqua Timez)
アルバムタイトルにもなっている曲である。
曲名がそのまま、Aqua Timezが伝えんとする
思いを表しているように思う。
相手を思い、その存在を肯定するという
彼らの根底にあるメッセージを再確認させる。
Aqua Timezは歌詞の優しさに
その魅力が詰まっているという
ファンの共通認識があるのだが、当の本人たちは
言葉の無責任さというか無力さというか、
そういうものに非常に自覚的なのだと思う。
後で紹介する『群雨』でも、
「言葉ほど虚しいものなんてないから」
なんて歌っている。
どれだけ言葉で飾っても救えない気持ちがあって、
それでも相手を慰め、肯定したいという
気持ちも確かにあって、
それを踏まえたシンプルな「涙よ止まれ」だし、
この後の「I love you, because you are you」という
コーラスが続くんだ。勘弁してくれ。
どうしてそんなに必死な優しさを歌えるんだ。
この曲が収録されたアルバムがリリースした
2012年頃からメディアへの露出は少なくなったが、
この頃からのAqua Timezの曲の深みは
どんどん増していったように感じる。
2 ヒナユメ (Aqua Timez)
私にAqua Timezのことを「成ったな」と
思わせた曲である。メロディが本当に良い。
Aqua Timez前期の代表曲は
『決意の朝に』だと思うが、後期の代表曲は
『ヒナユメ』だと思っている。
良い。
励ましのフレーズとして
「落ち込まないで」とか「泣かないで」とか
そういう言葉ではなく「寄りかかっていい」なのが
凄まじい塩梅の言葉のチョイスだ。
頑張ったことを自分で認められなくても
ここまで生きて歩きてきたことは皆確かだと。
それを誇れなくても、時には立ち止まったって
構わないんだと言ってくれている。
彼らの時間への認識もまた良い。
昨日でも明日でもなく今を大事に何てのは
数多の曲で歌われていることだが、
過去を後悔する自分も未来を不安になる自分も
認めたうえで、それでも今歌で寄り添わんとする
自分たちがいるんだと表現している。
この自他の必ずしも立派では無いところを
内包しているところが、彼らの唯一無二の魅力かつ
私が民主主義的な理想として
共鳴する部分なんですよね…。
3 over and over (Aqua Timez)
Aqua Timezとして最後のアルバムの収録曲かつ
解散のきっかけになったと推定される曲である。
彼らが「AquaTimez」として歌いたい・伝えたい
メッセージの集大成がこの曲には確かにある。
この曲の凄みは「人を孤独にさせる言葉」の
存在を認めていることだ。
人をネガティブにさせる言葉は確かにある。
どこか無責任でもある
「音楽を聴こう」「歌を歌おう」というフレーズは
きっと必ずしも彼ら自身の曲を指してはいない。
人を前向きにさせたり、明るくさせたりする
音楽の力を彼らが信じているからこそ、
彼らは音楽という表現方法を使うのであり、
音楽のあるこの世に救いはまだあるはずだと
そう願う歌詞になっているのである。
歌詞が良すぎる。歌詞が、良すぎる。
彼らが本当に信じるものは言葉ではなく、
人の心なのだ。
「理論的」なんて言葉には無機質で
冷徹な印象がつきまとうが、
本当の理論性というのは、理論的にはいかない
人間の感情をも加味したものだと私は思っている。
世の中が良くなるために大切なのは結局
「大事な人と泣いたり笑ったりできる」
幸せなのだ。
これを前提にできない自称理論派が
どれだけいることか。
もっと言ってやってください。
誰かの心に少しでも寄り添ってあげられる
音楽を作らんとする彼らの真摯な姿勢を
改めて感じさせる曲である。
4 群雨 (Little Parade)
Aqua Timezが解散した後
早い段階で生まれた曲である。
『over and over』で
「世界にいる一人一人に頷いてもらえるような
生き方をしようなんてグロテスクな似非道徳だ」
と言っていたように、
この曲も
「世界中の人間に愛されようとしなくていい」
と歌っている。
人の存在は世界に認められるような
ものじゃなくていい。
世界を変えるような存在じゃなくても
自分たちはこんなに分かり合えるじゃないかと、
解散を経験したからこそより洗練した
太志のメッセージを感じる。
この「誰に威張んだ」に続く歌詞で
毎回涙腺を刺激されてしまう。
そうだよな…と納得させられる力強さがある。
自分たちは皆不完全じゃないか、
その不完全さを認め合って
互いに助け合って生きてくんじゃないかと、
Aqua Timezの頃よりも剥き出しな
粗い感情をこの曲からは感じる。
根底にある思いはAqua Timezと変わらないのだが、
バンドとして聞き手を受け入れる優しさではなく、
個人としての悲しみをそのまま叫んだような、
優しくはあるんだけどどこか諦観を含んだ
印象を受ける。
この曲は確かにAqua Timezでは
書けなかったのではないだろうか。
5 すみれ色の夜 (Little Parade)
ではLittle Paradeは包容力に欠くのかと言えば、
そんなことはないのだ、これが。
途方も無くネガティブな歌詞である。
この後ろ向きな言葉の中に、
悲しみに寄り添う優しさがある。
Aqua Timezとして、
すれ違いや別れも含めて
「生きていくっていうことは涙が零れるほど
素晴らしい」と歌っていたことを受けての
この死生観よ。
決して生への前向きな励ましの言葉ではない。
彼らは決して、例えば「死にたい」と
思う気持ちを明るい言葉で否定しない。
「似たような喜びはあるけれど
同じ悲しみはきっとない」と歌った彼らだ。
辛さを本当に分かち合うことは難しくて、
どれだけ勇気づけようとしても
言葉は無責任に消えてしまう。
言葉という手段は人を励ますより
傷つける方が向いていることを分かっているのだ。
感嘆の一言である。良すぎる。
不完全な人間が、寧ろ人を傷つける手段として
有用な言葉を使って、その触れ合いの中で
生まれる感情が「素敵だ」と言っているのだ。
この曲をデビューから20年近く経って書くのだから
たまったものではない。
ずっと追ってきたファンとして滅茶苦茶に刺さる。
一生歌ってくれと思う。
人と人との触れ合いや関係性の前提として、
彼らの曲は私の理想形なのだ。
完璧ではなく、分かり合えることも難しく、
それでも、完璧を志向したり、
分かって欲しいと思ったり、そんな人間の感情を
互いに認め合って愛し合って生きるんだと。
そんなネオ民主主義を皆で作っていこう。
俺は極中道過激派Aqua Timez党。
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