21、幻の友人② タケシ
小学校6年生になり霊能力のなくなった僕は、今までの反動もあり大いに友達と遊んだ。校庭で球技をしたり、自転車で走り回ったり、誰かの家でテレビゲームをしたり……。そうやって、僕はごく普通の小学生として明るく楽しく過ごしていた。
こうなると人間とは不思議なもので、今まであれほど苦しめられてきた己の「霊能力」の事など、まるで遠い過去の事のように思うようになっていた。色々な霊を見たり襲われたりしたことも、実は全て幻だったのではないかと思う事も少なくなかった。「喉元過ぎれば熱さを忘れる」ということわざがあるが、まさにその通りだった。僕の霊能力は完全に胃の中で消化されてしまったかのように錯覚してしまっていた。
ある六月の暑い日だった。学校から家に帰った撲は、いつものように外で友達と遊び、5時になったので家に帰ろうとした。その時、学校に忘れ物をした事に気づいた。明日提出する宿題の教科書だ。それがないと宿題ができない。友達みんなに相談すると、それは取ってきたほうが良いとの事だったので、僕は渋々自転車に乗り学校へと向かった。
学校に着いた僕は自転車を停めると正門を通り校庭を真っ直ぐ校舎へと向かった。表はまだ明るかったが、校庭で遊んでいる生徒は誰もいなかった。校庭を抜け校舎へとやって来たが、生徒の声はどこからも聞こえない。校舎にも生徒はいないようだった。昼間はあれほど生徒で溢れかえり活気のある校舎も、その時は全く別の見知らぬ建物のように見えた。
僕は校舎に三つある入り口の、向かって左側、一番西側の入り口の六年生用の下駄箱で上履きに履き替えた。表はまだ明るいとはいえ、生徒の気配すらない薄暗い下駄箱は、何となく気味が悪かった。僕はさっさと教科書を取ってこようと、僕は校内の一番西側にある階段に向かった。
僕は四階にある教室を目指し、階段を一段一段慎重に上がった。薄暗い階段に自分の足音が響く。普段は自分の足音なんて意識した事もないが、他に音もしないので妙に気になる。その時の僕には霊能力はなかったが、危険を察知するレーダーがない分、却って想像力が増し、神経も過敏になっていた。
二階を過ぎて三階まで来た。あと一階上がって少し歩いたら教室だ。僕は走って教室まで行こうかと思ったが、そうすると抑えていた恐怖が暴れだしてしまいそうな気がしたので、焦らず慎重に行こうと決めた。
すると、三階の廊下から何やら音が聞こえてきた。何かが跳ねるような音。ボールの音だろうか? せわしなく廊下を跳ねている。僕の他に誰かいるのだろうか? でも、こんな時間にまだ生徒がいるのだろうか? 僕は嫌な予感がした。しかし、好奇心もふつふつと湧いてくる。僕は思いきって、階段の踊り場から三階の廊下に顔を出してみた。しかし、廊下には誰の姿もなかった。しーんと静まりかえった長い廊下が、ずっと向こうまで続いているだけだった。
僕はゾッとした。だとしたら、さっきの音はなんだったのか? 余計な事をしてしまった。きっとどこかに霊が潜んでいるのだ。まずいことになった。とにかく、早く用事を済ませよう。僕は教室を目指し階段を駆け上がった。
四階に着き廊下を走り、教室に入った僕は自分の机の中をあさった。しかし、宿題に使う教科書が見当たらない。おかしい! 気持ちが焦る。どうしてこういう時に限って見つからないんだ! 僕は額に汗をにじませ教科書を探したがどこにもない。その時、気づいた。ロッカーだ! 教室の後ろに生徒一人一人のロッカーが設置されている。そこだ! 僕はロッカーを開け、中を乱暴にあさった。すると、そこに教科書があった。
「そこで何をしているの!」
突然、誰かの大きな声がした。僕は身体をびくりとさせ思わず教科書を床に落とした。振り向くと、教室の前の入り口に男の子が一人立っていた。
「君は誰? そこで何をしているの?」
男の子が不思議そうな顔をして僕の事を見ている。年下だろうか? 白い半袖のYシャツに、灰色の半ズボンを履いた賢そうな子供だった。
「こいつを取りに来たんだよ」
僕は教科書を拾いその子に見せた。
「これがないと、宿題ができなくて」
そう男の子に説明すると、男の子はニコリと笑った。
「そうなんだ」
男の子はあっけらかんとしてそう言うと、手に持っていたボールを天井に向かって投げた。
「あ」
僕は思わず声を上げた。
「さっき、三階で遊んでいた? ソレで」
僕は男の子の持っているボールを指差した。さっき三階で聞こえてきたのは、この子がボール遊びをしていた音なんだと思ったからだ。
「誰もいなくて広いから」
男の子は笑いながら頭を掻いた。
「何だそういう事か。君も一人でここに来たの?」
僕がそう尋ねると、男の子は答えずらそうに下を向いてしまった。怒られるとでも思ったのか、何だか気まずそうにしている。
「僕は六年生。君は?」
話しを変えてあげようと、僕は男の子に質問した。
「……四年生。タケシって言うの」
男の子は上目遣いで不安げに答えた。
「暇だったから一人で遊んでたんだ」
男の子は軟式の野球ボールを両手でこねるようにしてモジモジとしていた。僕は霊を見たのではなかった。この男の子が遊んでいただけだったのだ。安心した僕は、少し男の子と、タケシと遊んでやろうと思った。
「おいで。キャッチボールしよう」
僕は教室の後ろの入り口から廊下に出た。
「遊んでくれるの?!」
タケシは教室の前の入り口から廊下に飛び出してくると、眼を輝かせた。僕は床に教科書を放った。
「投げてきな」
そう僕が言うと、タケシは嬉しそうな顔をしてボールを投げてきた。
「肩をもっと使って、こうだ」
僕もタケシにボールを投げ返した。
「すごい、お兄ちゃん上手いね」
タケシは歓声を上げた。
それから僕とタケシはキャッチボールを楽しんだ。タケシとは初めて会ったが、昔から知っている年下の友達のような親しみを感じた。タケシは明るく賢い男の子だった。
「おい、そんなところで遊んでいるのは誰だ!」
突然、廊下の向こうから誰かの怒鳴り声が響いた。見ると、5年生を担当する若い男の先生が一人立っていた。
「タケシ、逃げろ!」
僕はタケシを連れて逃げようと思ったが、タケシの姿はどこにもなかった。……オカシイ、どこへ行った?
「タケシ!」
僕は辺りを見回したがタケシはどこにもいない。もしかしてさっさと逃げ出したのか? そんな事を思っていると、男性教師がこっちに向かって走ってきた。
「僕は逃げるからな!」
もしタケシがどこかに隠れていたならと思い僕はそう叫ぶと、床に置いた教科書を乱暴に掴み、階段を駆け下りその場から逃げて行った。
校庭を駆け抜け正門を飛び出した僕は、停めてあった自転車に跨がった。その時、僕の脳裏に校庭の真ん中にポツンと立つタケシの姿がよぎった。僕は振り返り校庭を見渡した。しかし、タケシの姿は見えなかった。きっとタケシも家に帰ったのだろう。また会ったら遊んでやろう。僕はそう考えると、自転車を走らせ学校を後にした。
これが僕とタケシの出会いだった。全く懐かしい話しだ。タケシとはしょっちゅう学校で遊んだな。それはそうなのだ、タケシは学校にしか居場所がなかったのだから……。