5、居酒屋から自由を叫ぶ
※「新型コロナウィルスについて」より再掲。自由の為に反抗する必要性について語っています。2020年12月の作品です。
酒を飲んでいる。
居酒屋でだ。
飲食店に対して自粛しろなどという圧力がかかるのを見ると、
私は途端に居酒屋に行きたくなる。
知人数人で早い時間から飲んで食べている。
何が時短要請だ馬鹿者が。
どれほどの飲食店を潰せば気が済むんだ。
緊急事態宣言の時も、色々な居酒屋に足を運んだ。
普段と比べると明らかに客の数は減っていた。
これは助けねばいけない。
何が自粛だふざけるな。
そんなものに従う必要などない。
私は普段以上に懇意にしている居酒屋に通いつめた。
自粛に関しては、あくまでも「要請」であり法的拘束力などまるでない。
それは今も変わらない。
私が居酒屋で飲んでいる事を咎める者がいたならば、
そいつは私の自由を奪う事になるのだ。
場合によっては、そいつは警察に捕まることになるのだ。
この日本では、憲法によって各種自由が保障されている。
これは紛れもない事実であり、誰も私の自由を侵害する事などできない。
ただし、今の日本において自由を行使する事というのは
リスクを伴う。
私は普段からマスクなど着用しないが、
何度も睨まれたり、すれ違いざまに文句を言われたりとしている。
今のところ、その程度の弾圧で済んでいるが、
場合によっては暴力を振るわれる事も覚悟している。
だからといって、私は私の権利、自由を放棄するつもりはない。
私はその辺りの誰よりも理論武装できているつもりだ。
ただの屁理屈ではなく、しっかりとしたデータに基づいた理屈だ。
誰かが誤った理屈で挑んできた場合、そいつを叩き潰す準備は出来ている。
しかし、いくら理屈で勝ったとしても、
圧倒的な暴力には負けてしまうだろう。
だからといって、私は絶対に屈服しないでいようと誓っている。
さらに叩きのめされる事は覚悟して、そいつのくだらない理屈を
論破してやろうと心に決めている。
それはとても難しい事かもしれないが、私は徹底的に戦ってやるつもりだ。
そう考えていないと、いざそれが現実になった時、
私は怖気づき、相手に対して謝ってしまう事も考えられる。
それは絶対に避けたい。
叩きのめされたとしても、私は私のままでいたい。
私はいつも戦う場面をイメージしている。
何でもかんでもマスコミや政府、周りの人間たちの言う事を
聞く必要などないのだ。
そいつらが間違っていたならば、言う事など聞く必要はないのだ。
誤った理屈で自分の自由を侵害してくるなら、徹底的に反抗して構わないのだ。
自分の主人は他人ではない。
自分自身なのだ。
自分がしっかりと頭で考えたうえで正しいと思うならば、
その理屈でもって戦えば良いのだ。
だからこそ、自分の頭で考えることが大事なのだ。
それが正しいならば自分が勝つ。
真理は何個も存在しない。
真理は必ず一つなのだ。
しかし、真理がすぐに真理だと多くの人が気づくとは限らない。
それには長い時間を要すかもしれない。
それまでの間、馬鹿にされ、爪はじきにされるかもしれない。
でも真理は絶対に一つなのだ。
真理が絶対に一つだという真理は、絶対的に真理なのだ。
負けてはならない。
我々は動物ではない、人間なのだ。
抗え、抗うのだ。
それが人間である理由なのだ!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?