22、幻の友人③ タケシの孤独
僕はあれから、学校へ行くとタケシの姿を探すようになった。特に四年生の教室がある三階へ行く用がある時は、意識してタケシの姿を探した。しかし、なかなかタケシを見つける事ができなかった。僕の友達に四年生の妹がいるヤツがいたので、その彼に頼んで妹に色々聞いてもらったのだが、そんな子は見た事がないとの事だった。……そんな訳はないのだ。僕はタケシとキャッチボールをしたのだから。あの子は絶対にこの学校に通っているのだ。僕は何とも歯がゆい思いを抱いていた。
ある放課後、学校から帰りかけた僕は図書室に用があるのを思い出した。今日までに返さなければいけない本を借りていたからだ。この時間ならまだ司書の先生がいると思い、僕は一人、足早に図書室に向かった。
図書室に着いたのだが、司書の先生の姿はどこにもなかった。僕は早く家に帰って友達と遊びたかったので、借りた本をカウンターに置いて帰ってしまおうかと思ったが、直接司書の先生に本を返さなければならないという決まり事があった為、僕は仕方なく司書の先生を待つ事にした。
僕の他に図書室には誰も生徒はいないようだった。僕は書棚の間をぶらぶらと歩き始めた。特に本を借りたいわけではないので、並んでいる本の背表紙を突いたり、高い位置の本を取るときに使用する台の上に乗ったりと時間を持て余していた。
すると、図書室内に誰かがいる気配がした。おかしいな、他に誰かいたのか? ……いや、そんな筈はない。僕が図書室にやって来た時には誰もいなかった。それに他の誰かが図書室のドアを開ければ、僕は絶対に気付いた筈だ。だって、司書の先生がやって来るかとチラチラ図書室のドアに眼を遣ったり、耳をそばだてたりしているのだ。気付かない訳がない。……でも、誰かの気配がする。
どこからか、クスクスと誰かが笑う声が聞こえてきた。僕は書棚の間で左右を確認した。……誰の姿も見えない。しかし、笑いをこらえたようなクスクスという声は相変わらず聞こえてくる。僕はオカシイなと思いながら、正面の書棚に並ぶ本の間から向こう側に眼を遣った。僕は一瞬、ぎょっとした。本の間から二つの眼がこちらを見ていたからだ。僕はその場に固まった。
「お兄ちゃん!」
すると、本を掻き分けるようにして、タケシの顔がニュッと現れた。
「タケシ!」
僕は思わず声を上げた。タケシはニコリと笑うと、サッと顔を引っ込め、バタバタと走って書棚を迂回し、僕の方に走ってきた。この前と同じ格好をしたタケシは、ピョンとジャンプすると僕の前に着地した。クスクス笑ったり、向こうから覗いていたりしたのはタケシだったのだ。
「タケシ、ずっと探していたんだぞ!」
僕は自分の腕をタケシの肩に回した。
「痛いよ、僕だってお兄ちゃんを探していたんだ。でも、どこにもいないんだもん」
「本当か? タケシが僕に会いたくなくて逃げ回っているのかと思ってたよ」
「いいじゃん、こうやってまた会えたから!」
「そうだな」
僕とタケシは絡み合いながら声を上げて笑った。僕が図書室に来た時には誰もいなかったけど、きっとタケシは図書室のどこかに隠れていたんだ。これだけ本が並んでいるんだ、隠れるところなんてたくさんある。僕はそう思い、心の中に残る疑問を敢えて打ち消した。
それから僕とタケシは図書室の中で鬼ごっこをしたり、面白いイラストが書かれた本を探しては、そのイラストについて何かしらの批評を加えるという遊びをしたりとして、大いに笑い楽しんだ。どれくらいの時間だったろうか? 三十分くらいはそんな事をしていたかと思う。
すると突然、椅子に腰を掛けていたタケシが急に立ち上がった。
「どうしたの?」
僕は不審に思いタケシに尋ねた。
「……お兄ちゃん、用事を思い出しちゃった。そろそろ帰らなきゃ」
タケシはどこか悲しそうな表情で呟くようにそう言った。
「え、もう帰るの?」
その時、図書室のドアがガラガラと開いた。
「あら、こんにちは。君だったのね」
司書の若い女の先生がニコニコと笑っている。
「ずいぶん楽しそうな声が聞こえていたけど、あら? 君一人だったの?」
「え? いや、こいつも——」
そう言ってタケシがいた場所を振り返ったが、そこにタケシはいなかった。
「誰もいないじゃない。君、一人で騒いでいたの?」
司書の先生はそう言って笑うとカウンターの奥に行ってしまった。
僕は立ち上がって書棚の間や机の下、色々な場所を探してみたが、やはりタケシの姿はどこにも見当たらなかった。……どうして、いつの間に? タケシは僕が眼を離した隙に、司書の先生が入って来たドアとは別のドアを使用し出て行ってしまったのかと考えた。……でも、あんなほんの一瞬で図書室を出ていけるものだろうか? 僕は首を傾げた。しかし、ここでタケシと別れたら、またしばらく会えなくなるのではないかと思った為、疑問はいったん脇に置いた。僕は借りた本をカウンターに放ると走って図書室を後にした。
僕は廊下を走り階段を駆け下り、四年生の下駄箱に向かった。僕は走りながら訝しく思った。タケシが図書室を後にしてそんなに時間は経っていない。僕は足が速いほうだった。それでも全然タケシを見つけられないのはオカシイ。
僕は下駄箱に辿り着くと、大きな声で「タケシ!」と呼んでみた。……しかし、タケシの返事はない。僕は上履きのまま校舎から飛び出すと、校庭に向かってもう一度、「タケシ!」と大きな声を上げた。
……タケシの返事はなく、校庭にその姿も見えなかった。
僕は入り口の前にある階段に腰をかけた。僕はたまらなく悲しい気持ちになった。僕はなぜか、タケシはいつも孤独なのではないかと思っていた。友達の妹に――タケシと同じ四年生の妹にタケシの事を聞いても「知らない」というし、学校でどれだけ探しても見つけられない。きっとタケシは友達がいないか、病気がちであんまり学校に来れないか、そんな環境にあるのではないかと心配していた。
僕はタケシの事が好きになっていたのだ。僕には5年生の弟がいたが、お互い年齢も近いせいか、または性格上の問題か、その頃にはあまり会話もしなくなっていた。だから、賢くて明るく人懐っこいタケシに、僕は心を惹かれていたのだ。
僕は悲しくなり涙が出てきた。六月にしては、まぶしいくらいの日差しが照り付ける。僕は肌がじりじりとするのも構わず、その場に座り、しばらく青空の下の校庭を眺めていた。
「お兄ちゃん」
背後から誰かの声がする。僕は立ち上がると、振り返って下駄箱の方を見た。明るいところから、突然薄暗い場所に眼を遣った為、一瞬何も見えなかった
「タケシか?」
僕は眼をこすりながら下駄箱のところに見えた誰かに焦点を合わせようとした。そこにいたのは、やはりタケシだった。タケシは僕から眼をそらすと下を向いてしまった。
「帰るって、急にいなくならないでも良いじゃないか!」
僕はその場に立ったまま、タケシに向かって声を荒げた。
「……ごめんね」
タケシは下を向いたまま僕に謝った。
「お前、何か心配事っていうか、困っている事とかあるんじゃないか?」
僕はさっきから考えていた事を思わず口に出した。タケシは下を向いたまま黙ってしまった。
僕はしまったと思った。いくら四年生だって、言いたくない事はあるだろう。僕の質問は遠慮を欠いている。僕もそのまま黙ってしまった。
「お兄ちゃん?」
タケシは顔を上げると僕に尋ねた。
「何、どうした?」
僕は努めて優しい口調でタケシに返事をした。
「僕は、友達がいないんだ」
タケシは寂しそうな眼で僕を見つめた。
「だからいつも、一人で遊んでいるんだ……」
タケシはそう言うと、悲しそうに微笑んだ。
僕は何も返事ができなかった。やはりタケシは孤独だったのだ。理由はよく分からないが、やはりそうだったのだ。何となく感じていた僕の予感は当たっていた。それと同時に、何か悔しいというか、怒ったような気持ちが湧き上がり、僕はタケシに向かって大きな声を上げた。
「僕がいるじゃないか!」
タケシは眼を丸くした。
「え?」
「だから、僕がいるじゃないか! 友達だろ? 僕とタケシは友達じゃないのか?!」
僕はなぜか出てきそうになる涙をこらえながらタケシに向かって訴えた。
「友達なの? お兄ちゃんは、僕の友達なの?」
タケシは喜びを抑えたような表情で、わなわなと声を震わせた。
「友達だよ! だから僕はずっとタケシの事を探していたんだ。君とまた遊びたかったんだ」
僕は少し照れ臭かったが、正直にタケシへの思いを伝えた。
「じゃあ今度は、遠慮しないでお兄ちゃんの前に出てきても良いんだよね?」
タケシはキラキラとした眼差しで僕を見つめる。僕は一瞬、タケシの言葉遣いが引っ掛かった。「お兄ちゃんの前に出てきてもいいんだよね?」……妙な言い方だ、まるで普段はどこかに隠れているみたいじゃないか。どうして——
「いいんだよね?」
タケシは念を押すように僕に尋ねた。
「当たり前だろ!」
僕はタケシに笑顔を向けた。タケシはとびっきりの笑顔を見せると、下駄箱の周りを何やら騒ぎながら走り回った。僕はそんなタケシの喜ぶ様子を見ていたら、タケシの奇妙な物の言い方などどうでも良くなってしまっていた。
この日から、僕は毎日のようにタケシと遊ぶようになった。放課後になると校内のどこかにいるだろうタケシを探し、またタケシが校内のどこかにいる僕を探し、そうして二人は合流して遊んだ。しかし、一つだけ気になる事があった。タケシは必ず学校の敷地内で遊びたがったのだ。僕が他の場所へ誘っても、タケシは色々な理由をつけて断った。僕はそのタケシのこだわりを不思議に思っていたが、しかしタケシと遊ぶ事自体は楽しかったので、特にどうこう思う事はなかった。
僕は学校の友達と段々疎遠になっていった。タケシの事ばかり考えるようになった。今思えば、それは素朴な友情といったものではなく、僕の本能……いや、僕の本来の能力、身体の奥深くに眠っている「霊能力」が、タケシへの素朴な友情・情愛と絡み合い、歪んだ形となって発現していたのだったと思う。僕の封印された霊能力が、自由を求めてその鎖を引きちぎろうとしていたのだ。
それから僕は、病的なまでにタケシにこだわるようになっていった……。