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42、路肩に立つ男⑯ 現れた鳥山
鳥山は緑色のコートをはためかせ降りしきる雨をものともせず、両手をブンブンと振りながらこちらに向かって走ってきた。鳥山はあっという間に屋上を横切ると、まるでハードルを飛び越えるかのように金網を乗り越え、女の霊のすぐ脇に着地した。
「ア、アンタ何!」
突然の出来事に驚いたのか、女の霊は眼を丸くして小刻みに後ずさりをした。
「うるぁああああ!!」
鳥山は野良犬や野良猫を威嚇でもするように、大声を上げながら徐々に女の霊と距離を詰めた。
「ひ、ひいい!」
女の霊は尻餅を着くと、そのままの態勢でずりずりと後退した。
「Sくん今だ、二人を!」
鳥山は僕とSくんの方へ振り返ると、自分のすぐ足下で身を横たえているYさんと弟をせわしなく指差した。……なるほど、女の霊を牽制している間に二人を助けろと鳥山は言っているのだ。
Sくんも鳥山の意図を察したのか、僕をその場に横たえてYさんと弟のもとに駆け寄った。
「ひ、卑怯よSくん!」
女の霊は尻餅を着いたまま、鳥山越しにSくんに向かって喚いた。
「どの口が卑怯だって言うんだ、それはお前だろ!」
鳥山は薙ぎ払うようにして女の霊の足を蹴飛ばした。その隙にSくんはYさんと弟を金網の内側に避難させた。
「よし、これでお前の作戦は終わりだ」
鳥山はSくんが二人を救助したのを見届けると、女の霊の顔面を蹴り上げた。
「うが……がぁ、はぁ!」
女の霊は後ろに倒れると呻き声を上げ身をよじっていたが、気を失ったのかそのまま動かなくなってしまった。
鳥山はきびすを返して僕のもとへと駆け寄ってきた。
「ずいぶん派手な顔になっちまって。死ぬんじゃねぇって言っただろ」
鳥山は僕の身体を抱き起こした。
「僕は死んでいません」
「バカ。生きている人間の顔じゃないだろ。無茶しやがって」
「でも、僕は生きています」
僕は鳥山の顔を見上げて笑った。
「フッ」
鳥山は呆れたように鼻で笑った。
「じゃあ、生き返ったって事にしてやるよ。お前は今、生まれ変わったんだ。――ったく、仕様がねぇヤツだぜ」
鳥山はそう言うと声を上げて笑った。
――生まれ変わったか。……確かにそうかもしれないと僕は思った。自分の事だけを考え、他の人の事なんて全く考えようとしない人間になっていた僕は、Sくんや鳥山、そしてYさんと出会った事で心を入れ替える事ができたのだ。まさに生まれ変わる事ができたのだ。
鳥山は僕の身体を抱えて立たせた。
「立てるか?」
「大丈夫です。……でも、鳥山さん、どうしてここに?」
僕は全身――特に右足の痛みを堪えながら鳥山に尋ねた。
「イヤな予感がしたのさ」
鳥山は僕を支えて歩きながら言った。
「何とも言えない空気を感じてな。バイクで戻ってお前を探したんだ。すると、このビルの屋上に二体の霊が居るのを感じたのさ。霊だけじゃない、人間も何人か居るってな。それでこの屋上に来たわけだが、まぁそれはそれは修羅場だったよな」
鳥山はそう言うと「フッ」と笑った。
「鳥山さん、ありがとう」
僕は鳥山に礼を言った。
「……何だよいきなり」
鳥山は恥ずかしかったのか、わざとらしく怪訝な視線を僕に向けた。
「ありがとう鳥山さん。もう、僕達は友達同士ですね」
僕は鳥山に笑顔を向けた。
「その顔で笑うなって」
鳥山は苦笑いをして僕の顔を見た。
「いやいや、友達同士ではないな。師匠と弟子だな。その関係なら許してやる」
「分かりました、師匠」
「ばかやろう」
それから二人はゲラゲラと大笑いをした。僕は顔も身体も全てが痛んだが、構いもせず笑い続けた。鳥山も楽しそうに笑っていた。僕らの様子を眺めているSくんもニコニコと笑っていた。いつの間にか雨は上がり、雲間から青空が顔を覗かせていた。
鳥山への感謝の気持ちは、嘘偽りのない心の底からの気持ちだった。鳥山は僕の事を三回も助けてくれた。人の為に三回も身体を張るなんて中々できる事ではない。僕は始めて、同じ霊能力を持った同性の友達ができたような気がしていた。本当はSくんとも友達になれていたのにと思うと、少し胸が痛んだが。
鳥山は僕を金網の向こうへ押しやった。そして金網の向こう側に居るSくんが僕の身体をキャッチして抱えてくれた。
「……Sくん」
鳥山が金網越しにSくんの名を呼んだ。鳥山の呼び掛けに気付いたSくんは動きを止めた。
「良い顔になったな」
鳥山はそう言うと「フッ」と笑った。Sくんもニコリと笑った。
「これで一件落着だな」
鳥山はそう言うとニヤニヤと笑った。
「これで亘(わたり)くんとSくんは――」
ニヤニヤと嬉しそうに喋っていた鳥山だったが、突然表情がガラリと変わった。眼を大きく見開き、口元を細かくブルブルと震わせ始めたのだ。
「鳥山さん?」
僕は不審に思い鳥山に尋ねた。しかし、鳥山は返事もせずその場にガクリと膝を着いた。すると、いつの間にか膝を着く鳥山の後ろに女の霊が立っていた。
「アタシ……道具に頼るの好きじゃないんだけどね」
鳥山を見下ろすようにして立つ女の霊は、何かを手に持っていた。それは大きなハサミだった。ハサミの先端からはポタポタと血が滴っていた。
「……貴様」
鳥山は膝を着いたまま女の霊を見上げた。その背中からは血があふれでてくるようで、緑色のコートがどんどん血に染まっていった。……鳥山は女の霊に背中を刺されたようだった。
どこに隠し持っていたのか、女の霊は大きな「裁ちバサミ」で鳥山の背中を刺したのだ。
「アタシをコケにしやがって。死ね!」
女は絶叫すると鳥山にドンと体当たりをした。鳥山が呻き声を上げると女の霊は鳥山から離れた。
「ざまあみろ、ざまあみろ」
そう言うと女の霊は、眼をギラギラとさせて立ち上がった。……その手にはハサミが握られていなかった。持っていたハサミは、仰向けになって倒れた鳥山の左胸に突き刺さっていた。
「鳥山さん!」
僕は泣き出しそうになりながら叫んだ。意識はあるようだったが、鳥山は眼を見開き荒い呼吸を繰り返していた。
「卑怯だぞ、お前は卑怯だぞ!」
僕は金網越しに女に向かって叫んだ。こんな卑怯なヤツはいない。絶対にこいつはこの世から消し去らなくてはいけない。僕はそう思って金網を乗り越えようとしたが、全く身体が言う事を聞かなかった。
「卑怯も何もないわ!」
女の霊はゲラゲラと笑った。――しかしその瞬間、女はその場に転倒した。転倒した女を誰かが乱暴に抱き起こした。――それはSくんだった。
Sくんは女の霊を抱えたまま、屋上の縁に立った。
「Sくん、一体何をしようとしているの?」
僕は金網にしがみついてSくんに尋ねた。イヤな予感がしてたまらなかった。するとSくんは屋上から下を見下ろすような仕草をすると、僕に視線を戻しニコリと笑った。
Sくんは、女の霊と共に屋上から飛び降りようとしているのだと悟った。