24、幻の友人⑤ 覚醒する霊能力・タケシの正体
タケシは僕の前に姿を現さなくなった。放課後になると毎日遊んでいたタケシと、僕は一切会えなくなったのだ。僕は毎日放課後になると、校舎や校庭、様々な場所をタケシを探して走り回ったが、タケシは僕の前に姿を現す事はなかった。
僕の心は乱れていった。授業中はもちろん、校内を移動するときなど異常に周囲にアンテナを張り巡らせ、タケシらしき姿を発見すると、その姿を追ってその場から走り出してしまう事もしばしばあった。食事も喉を通りづらくなり、夜もあまり眠れなくなっていた。寝たら寝たで、タケシの夢ばかり見るようになっていた。僕の精神は明らかに病的な段階に入り込んでしまっていたのだ。
そんな僕の様子を心配した担任の先生が、ある日僕の家を訪れた。七月になったばかりの頃だった。僕と先生と母との三人で面談が開かれた。僕は担任の先生と母から、何かあったのか尋ねられた。最近様子がおかしいと。僕は軽々しくタケシの事を話して、何かタケシの迷惑になったり、タケシがもっとイジメられるようになってしまったり、そんな事になったら大変だと思いタケシの事は話さず 黙りこくっていた。
「放課後の学校で、一人で遊んでいるのはどうして?」
僕の母が心配そうな顔で尋ねた。
「お前には誰かが見えているの?」
「え?」
僕は思わず母の顔を見た。「誰かが見えているの?」とはどういう事だろうと僕は思った。そりゃ見えているに決まっている。僕の眼の前にはタケシがいたのだから。僕はタケシと遊んでいたのだから。その時、僕は思った、……もしかして母も先生も、タケシの存在を無視しようとしているのか? 僕は怒りが湧いてきた。座っていた僕は思わず立ち上がった。
「どうして、どうしてアイツを無視しようとするんだ!」
僕は悲しいような気持ちになり母に向かって声を荒げた。母は何も言わず、じっと僕の眼を見つめた。
「礼一くん、これを見てほしいの」
担任の女の先生は座ったまま僕に言うと、自分の携帯電話を開きその画面を僕に向けた。
「君には悪いんだけど、放課後にあなたが誰かと遊んでいる様子をこっそり撮影させてもらったの」
「……タケシと? タケシが映っているの?」
「……タケシって言うのね?」
「そうだよ、タケシだよ!」
僕は眼を輝かせると腰を下ろし、担任の先生の携帯電話を乱暴に手に取った。現実のタケシではないけど、僕はまたタケシに会えるのだと嬉しくなった。タケシが……タケシがこの携帯電話の中に存在しているんだ! 僕の心は躍った。
担任の先生は手を伸ばすと携帯電話を操作し、動画を見れるように設定した。僕はウキウキとした気分で携帯電話の画面に食い入った。……動画に映ったのは、どこかの教室だ。1年生の教室だろうか? 僕が机の間を走っている。……おそらくタケシと鬼ごっこをしている時だろう。「こら、待て!」等と騒ぎながら、僕が楽しそうに動きまわっている。
「先生、いつの間に撮っていたの? 悪い事するなぁ!」
僕は先生に笑顔を向けた。先生は黙って僕の顔を見つめている。僕は再び携帯電話の画面に眼を遣った。
……僕が机の間を縫うようにして走り回る。とても楽しそうだ。タケシと僕はいつだって楽しく遊んでいた。この時のタケシも走り回っていた。……しかし、僕はある事に気付いた。そこに映っているのは僕だけで、タケシの姿は映っていないのだ。騒いで走っているのは僕だけで、タケシの姿はなく、声も聞こえてこなかった。
「タケシは? どうしてタケシは映っていないの?」
僕は訳が分からず先生の顔を見つめた。先生は複雑な表情をしたまま何も返事をしなかった。
「お母さん!」
僕は母に向かって尋ねた。母も心配そうな表情を浮かべ、僕の顔を見つめるだけだった。
「礼一くん」
担任の先生はじっと僕の眼を見つめた。
「タケシくんていう子はいないのよ」
先生はそう言うと、僕の手をギュッと握った。
「君は誰もいない教室で、一人で遊んでいたの。タケシくんていう子はね、この世界には存在していないの」
僕は愕然とした。確かに動画にはタケシの姿は一切映っていない。でも、僕はタケシと遊んでいた筈だ。この時だって、教室の中を鬼ごっこをして走り回って……。僕はパニックに陥った。 毎日、僕とタケシは遊んでいたじゃないか? アイツは、透明人間だとでも言うのか! 僕は汚いものでも持っていたかのように、先生の携帯電話を投げ捨てた。すると、先生が僕の手を強く握った。
「先生には礼一くん以外、誰の姿も見えなかった。タケシくんは君の頭の中だけに存在しているの。先生もクラスのみんなもお母さんも、みんな君の事を心配しているの」
僕は叫びながら先生の手をふりほどいた。
「嘘だ!」
僕はその場に立ち上がった。
「嘘だ! タケシがこの世界にいないなんて嘘だ! じゃあ僕は一体誰と遊んでいたんだ!」
「落ち着きなさい! みんなでお前を助けてあげるから!」
母が僕の両腕を掴んだ。
「どうしてみんなタケシを無視するんだ! タケシはまるで、まるで……」
僕はハッとして息を飲んだ。『幽霊』という言葉を連想した僕はある想像をしてしまったからだ。……タケシは、タケシは「霊」なのかもしれないと僕は思ったのだ。そうか、そうだとしたら動画にタケシが映っていないことも、先生や友達の言動も理解できる。でも、でも……。
僕は叫びながら母を突き飛ばすと部屋を飛び出し、そのまま玄関も飛び出して走り出した。僕は自分で自分を抑えられなかった。僕は「タケシ!」と絶叫しながら当てもなく走り続けた。もう、訳が分からなくなっていた。あの大好きな、僕の友人のタケシが霊かもしれないなんて、そんな、そんな……。
どこをどのくらい走ったのだろうか? 気付くと、僕はあの神社の参道に座り込んでいた。
そういえば、しばらくこの神社に来ていないなと思った。タケシと出会ってからは、この神社に来る事もなくなっていたのだ。僕は顔を上げ、ざわざわと風に揺れる欅を呆けたように眺めていた。
すると、参道に敷かれた砂利を踏む音が耳に入った。ふと見ると、参道にあの若武者が立っていた。兜と鎧を身に着けた若武者が、僕の事をじっと見つめていた。……神様だ、と僕は思ったが、立ち上がろうともせずその姿をただ漫然と見つめていた。
「成仏できないのだ」
若武者は唐突に僕に言った。タケシの事だと僕は思った。
「この世への未練がそうさせる。しかし、誰しもあの世へ旅立たなければならない」
「タケシもあの世へ行ってしまうの?」
僕は立ち上がった。
「タケシは、もう僕の前には現れないの?」
「お主の『験(げん)』はもう消える」
「どういう事?」
「お主の力は元に戻る。お主は再び霊にまみれた世界を生きる」
僕は思わず息を飲んだ。僕はその時、全てを思い出した。僕には、僕には霊能力があったのだ。普通の人が持っていない、特殊な能力が……。僕はそのせいで、今まで何度も苦しめられてきた。しかし、そんな僕を哀れに思ったのか、この若武者が僕の霊能力を封印していてくれたのだ。そんな僕の霊能力が、そろそろ元に戻るというのだ。そして、霊能力が戻った僕は、もう一度タケシに会う事になるのだろうか……。
「僕は、僕は一体どうすればいいの!」
僕はすがるようにして若武者に尋ねた。
「物の道理に従うのだ」
物の道理……それはタケシを成仏させてやるという事なのだろうか? でも、そんな事をすれば、僕は永遠にタケシには会えなくなってしまう!
「……イヤだ」
僕は後ずさりした。
「僕はずっとタケシと友達でいるんだ」
若武者は何も答えない。
「僕はアイツを守ってやるんだ! アイツは僕の友達だから!」
「己の身を滅ぼしてもか?」
「そうだよ、友達なんだから! 生きているとか死んでいるとか関係ないよ!」
「私のもとへ連れてくるのだ。特別に取り計らおう」
「イヤだ!」
僕は若武者に向かって叫んだ。
「本当の姿はおぞましいかもしれないのだぞ?」
若武者は眼に力を込めた。僕は少し恐怖を感じた。
「もういい、あなたとは話したくない!」
そう言うと僕は、逃げ出すようにしてその場から走り出していってしまった。
それからの僕は、しばらく学校を休学した。休学は2週間程度だったと記憶しているが、その間病院にも通った。僕は診察にも素直に応じ余計な事は言わなかった。僕はつつがなく学校に戻る為にはそうするのが一番だと考えたからだ。これ以上長引くと学校は夏休みになってしまうという思いも、大いに影響していたと思う。その頃の僕は、タケシが霊だという事は理解していた。しかし、そんな事は関係ないと思っていた。僕はタケシに会いたかったのだ。僕の顔色も様子も改善してきたらしく、母も担任の先生も、そして義理の父も僕の回復具合を喜んでくれていた。僕は見た目には全くもって健康な子供に戻っていたようだ。しかし、僕の心の中は満たされてはいなかった。
明日から学校へ戻るという日、僕は病院で診察を受けた。一過性の過敏性神経障害と診断されていた僕だったが、何の問題もないと先生が太鼓判を押してくれた程だった。
僕は母に付き添われ病院の廊下を歩いていた。向こうから、フラフラと歩いて来る人がいた。それは50代くらいの太った女性だった。拘束着というのだろうか、太った女性は袖が異常に長い「つなぎ」のような服を着ていた。すると周囲の空気が変わった感じがした。妙な緊張感に包まれる。僕は本能的に防衛態勢に入った。あの女性は何かおかしい。あんな服を着た人が、一人きりで病室の外を歩ける訳がない。
するとその女性と眼が合った。女性は僕の顔を見てニヤリと笑うと、両腕を差し出すようにして前方に突き出した。長い袖がダラリと垂れ下がる。……この人は何かオカシイ。そう思った途端、女性はまるで氷の上を滑るかのようにして、そのままの態勢でスーっと僕に向かって移動してきた。驚いた僕は母に助けを求めようとしたが、明日からの通学に影響すると思い恐怖を押し殺した。
女性はニヤニヤとした表情を浮かべながら僕の眼の前までやって来た。僕は叫び出しそうになるのを必死に抑える。すると女性は僕に向かって、「ベー!」と舌を出したかと思うと、そのままゲラゲラ笑いながら廊下の向こうへ滑り去ってしまった。僕はガタガタと震えた。女性の一連の行為も恐ろしかったのだが、それだけではなかった。「べー」と出した女性の舌は、先っぽの半分くらいが噛みちぎったようになくなっていたのだ。
僕は叫び出しそうになるのを何とか抑え廊下を歩き続けた。そして歩きながら僕は確信した。今、この瞬間に僕の霊能力は元に戻ったのだと……。
学校に戻った僕は元のような生徒に戻った。明るく活発な生徒に。もう、放課後にタケシを探す事もなかった。でも、僕は感じていた。タケシがこの学校のどこかに潜んでいるのだと。そして、それからしばらくした後、僕はとうとうタケシと出会う事になるのだ……。