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信頼されるセラピストになる為に必要なこと1

先日、セラピスト勉強会に行ってきた。

初めて参加した集まりだったのだが、私は鍼灸師だし、セラピストかな?と思ったりしたのだが、肩書を鍼灸セラピストにしているので私もセラピストになるか!と思って行くことに。

誘ってくれたアロマセラピストさんには本当に感謝している。

関口智子さんという世界で活躍するセラピストさんのお話は全てが美しかった。言葉が体に入るとキラキラして、優しく降り注ぐ。涙ぐみそうになるほど。この感情を表す動詞が、形容詞があればいいのに。

関口さんのお話は
信頼されるセラピストになる為にはというもので。3つの大切な事を教えてもらった。

1⃣自分の仕事が好きか

2⃣施術を受けてくれる患者さんが好きか

3⃣施術をする自分が好きか

自分がこの3つを好きであり続けられるために続けている事はあるか。

という事だった。この三つの問いかけを自分にしてみた。
1⃣間違いなく、好き。仕事をしている自分の手を見る事が好きだし、四六時中考えていられる。もう、夢中。
2⃣好き、嫌いな人でも、施術すると好きになるのが不思議だった。どうしてかはわからないけど、どんな人も可愛くなっちゃう。ムツゴロウさんはこんな気持ちだったんだと思う。
3⃣好き…だと思う。でも、手放しで好きといえる上の二つに対して、自分を好きだという気持ちを肯定するのが私には難しかった。
好きだと思う。そして、好きになろうとしている。というのが正しいのかもしれない。妬みやひがみ、嫉妬の感情はとてもとても少なくなった。
今までが、まみれすぎ。笑

自分の事を好きになれないというは、どうしてなのだろうか。
自分に自信がないから?
自分が自分を認めるに値しない器だと思っている?

今年の1月に一人で出雲大社に行き、その時にふと、「今年は自分を信じる一年にしよう』と思った。自分がどうしたいのか。
私はトラブルやもめごとがあると、その場から離れたがる、めんどくさがるクセがあって、揉め事が勃発すると『そういうならいいです。それで。だからもうこういうくだらない事であれこれ憶測で物をいうのやめて。』という態度をとっていた。
そうやって、問題の本質を見るのを放棄し、関わりあいをシャットアウトしていた。もちろん、揉め事は発展こそしていないが、そこでずっと居続ける。そして、結果がどうなってもそれを受け入れてきた。
不満はふつふつと残り、言われた嫌な言葉は思い出すたびにムカムカしながら、やりたくもない仕事をしていた。(今は思い出せないけど、あんなにこだわっていたはずなのに・・・思い出そうとしても全然出てきませんでした。表現を具体的にするために文章にしたかったんだけど。)

良くなかったな。
自分に対しても、相手に対しても。

まず、自分の意志や気持ち(傷つけられた事も含めて)に蓋をしている事。
やりたくないという気持ちで全く納得していないのに仕事をし続ける事。これが仕事でなくても作業としてこなす。そこには愛情も気持ちないただの作業でしかない。
これは私と時間を無駄遣いしている行為だということに当時の私は気が付いてなかった。

気持ちも入っていない仕事をして、相手も満足するはずがない。
分かり合えるチャンスもあったかもしれない。なのにお互いにとって仕事を一緒にする事が難しくなる。交友関係を続ける事も難しくなる。そして打ち上げられた問題は解決することも、消化されることもなくそこに残り、そしていつか忘れられる。
そこから始まる何かもあったかもしれないのに。

自分が好きな人は相手の事を考えず、独りよがりで話が合わない。

そういう風に考えていた事もあった。独りよがりな自分好きの人は自分が好きなのではなく、自分を信じられないから、周りからの批判を恐れているんじゃないかな?と今は思っている。
それは本当の好きではないし、自分が満たしてあげないといけない穴を人に埋めさせようとしているように感じる。
誰にも嫌われたくない、誰にでも好かれたい。はつまるところ、自分の埋めようとしてない穴を他人に埋めさせようとしている行為なのだ。
空いている穴の大きさや種類は違う。けれども埋められるのは自分という事だけは一緒。

話が長くなったので、まとめると三つの大切な事のうち私は1、2はクリアしているけど、色んな理由で3はその途中。ってことです。

独立して、自分はどうしたいのか。を考える事。自分を信じる。を一年やってみて本当に良かった。

信頼されるセラピストになる話続きます。



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