私がなぜ男性の多い自衛隊に入ったか。
私は高校を卒業してすぐに、
陸上自衛隊に入隊しました。
私がなぜ、男性が多い自衛隊に入隊したのか、
たまに聞かれる事があります。
私は自衛隊に入るという事について、
「女性への憧れ」
「女性の仲間になりたい」
という自分の中の意識や、
「男性への苦手意識」
「男性への恐怖感」
とは、切り離して考えていました。
仕事はあくまで仕事である
という意識だったと思います。
また、最初は考えていませんでしたが、
目指すうちに国防を意識する様になった事も
大きな要素です。
こういった事から、自分の素性とは
切り離して考えていました。
それに自衛隊の男性であれば、
まず私に対して変なことしたり、
イジメられはしないだろうと思っていました。
なので今回はこのことについて
お話してみたいと思います。
①父の写真を見て
私が自衛隊を意識したのは、小学生の頃に
父の若い頃の写真を見た事がきっかけです。
父は私が生まれるずっと前、
1年ほど自衛隊にいたことがあります。
その時の射撃をしている写真があり、
それを見せてもらったのです。
その時はまだ子供なので、
人の役に立つとか考えておらず、単純に
「カッコいい」
としか思っていませんでした。
かなり昔の自衛隊の写真なので、
写真は白黒、父が撃っていた銃は
米軍供与のM1ガーランド小銃でした。
この時点では、それほど強く
自衛隊に入りたいという想いは有りませんでした。
ただ、学校でイジメられていた私は何となく、
「自衛隊に入ったらイジメられないような
強い人になれそう」
くらいにしか思っていませんでした。
②人様の役に立つ仕事がしたかった
小学校5・6年~中学の間で、徐々に
人の役に立つことが大事だと考え始めました。
この時期はまさに私に対する
イジメがひどかった時期ですが、
それでも心の中ではこんなことを
静かに考えていました。
そして将来、人の役に立つために、
何をしたらいいか考えていました。
その時、
「あ、自衛隊なら人の役に立てる」
と単純に思い至りました。
多分父の写真の記憶があったので、
真っ先に自衛隊が浮かんだのだと思います。
そして中学卒業して入学できる、
「少年工科学校(現:高等工科学校)」
という学校の存在を知り、入試を受けます。
しかし勉強嫌いだった私は
見事に試験に落ちました。
倍率が毎年20倍を超えるこの学校は、
受験した後に理解しましたけど、
ある程度自衛隊での将来が約束される
いわばエリートの登竜門的進路だったのです。
そんなことも判らず、
自衛隊に入れるって言うだけで受験しました。
ただ、そんな学校の受験をした時点でも、
自衛隊は地元に対して役立つのかとか、
知っている人の役に立てるかどうかは
解りませんでした。
そこで自衛隊を調べると、主な仕事は国防で、
災害派遣などは、副次的な仕事だと解り、
これでは
「戦争が起きない限り人の役に立てないのでは?」
と感じました。
この部分に関しては、のちに入隊してから、
「出番がない事が一番平和な状態なのだ」
「万が一の時には我々が最後の砦になる」
ということを教わる事になります。
③一時は警察官を目指したが・・・
高校の頃、一時は自衛隊ではなく
警察官を目指したこともあります。
自衛隊と比べて警察官の方が、
一般の人と接する機会が多く、
自衛隊よりも人の役に立てる気がしたのです。
しかし、ある事がきっかけで
警察官への進路を自ら消す事になります。
そのある事と言うのは、
私が高校生の時にバイトしていた
コンビニでの事件がきっかけです。
ある日私はコンビニでバイトしていました。
すると店長が店の奥の方の売り場から、
男性を一人連れてきて事務所に入れました。
その後呼ばれたので行ってみると、
その男性はなんと、万引きをしていました。
店長が非常に怖い顔で男性を睨みつけながら、
私に交番へ行くように指示を出します。
既に店長が警察署へ通報していたのですが、
30分待っても警察官が来ないのです。
そこですぐそばの交番へ、
催促に行って来いと言うのです。
私は指示の通り交番へ向かいました。
するとそこには警察官が
2名座っていました。
「あの、先ほどお電話した
そこのコンビニなんですけど」
と言うと、警察官は、
「あ、聞いてる聞いてる。
いやぁ~こっちも忙しくて。
もう行くからちょっと待ってて。」
と言いながら2人してタバコ吸って
ふんぞり返っていました。
これを見た瞬間、
「こんな人と仕事したくない」
と思い、警察官を進路から外しました。
④意識の変化
警察官を進路から除外した私は、
もう自衛隊に入隊する以外の進路を
考えていませんでした。
高校1年で警察官を進路から除外した後は、
自衛隊に入る事だけを考えていました。
高校にもなると、それまで以上に
自衛隊を調べ始めました。
自衛隊の階級、組織、装備、待遇、人員数、
部隊配置などなど、色々な軍事雑誌などから、
知識を得て行きました。
そうするうちに、単に人の役に立ちたいから、
「国を守りたい」
と言う風に意識が変化していきました。
軍事雑誌を読んでいると、自衛隊だけでなく、
各国で起きている戦争や紛争、日本周辺の国の
大まかな軍備状況なども見えてきます。
その中には、外国の弾道ミサイルが、
日本のどこを標的に配備されているかを
書いた記事もあったりしました。
また、どの国がどこでどんな演習をしたとか、
日本への領空・領海侵犯などの記事も
よく目にします。
そう言ったものを目にするうちに、
これらの事態から国を守る事が
人の役に立つ事ではないか?
と考える様になりました。
ここで、私の国防意識と言うものが芽生え、
それ以降、常に国防を意識するようになりました。
⑤無線との出会い
私は高校生になって、
アマチュア無線部に入りました。
元々私の両親が電器店を営んでおり、
昔から電器製品が身近だった事や、
父が昔、職業訓練所で作った
電鍵(でんけん)
と呼ばれる無線の送信端末が家にあり、
無線機とつながってはいなかったものの、
それを使って遊んでいた事などから、
無線に関心がありました。
そして高校にアマチュア無線部が有ったので、
迷うことなく入部しました。
ここで無線の楽しさや可能性を知り、
アマチュア無線の試験を受けて
電話級(現:第4級)アマチュア無線技士の
国家資格も取りました。
ここで無線と本格的に出会い、
その面白さや可能性を知ったことが、
のちに自衛隊の通信部隊に所属するという
具体的な進路へとつながりました。
こうして、私は高校卒業後に
陸上自衛隊へ入隊。
教育期間を経たのち、東部方面通信群で、
搬送通信手として勤務するに至りました。
そして平成7年に約3年ほどで除隊するまで、
ずっと通信部隊で勤務しました。
最後に
さて、私が自衛隊に入るに至る経緯を
お話しましたがいかがだったでしょうか。
この記事で、私の女子への憧れに関する話題が
ひとつもありません。
この自衛隊に関しては、冒頭でもお話した様に、
私が
「女性への憧れ」
「女性の仲間になりたい」
と言う気持ちを押し殺して、
普通に男性として生きる道を選択すれば、
人の役に立つ仕事、国を守る仕事が
出来ると考えました。
なので、当時の自分なりに、
「自衛隊は自衛隊」
と割り切っていたのかもしれません。
とはいえ、私が所属した通信部隊は、
自衛隊の中でも女子率の高い職種なので、
女性隊員と一緒にいたりお話するのが
一番落ち着きました。
もちろん当時は、私の今の様な素性は
表に出せませんでしたから、
単に女子と仲よくできる男性隊員としか
見えなかったと思います。
あと、自衛隊に入った事で、
普通の会社では経験できない事を
沢山経験させて頂きました。
3日ほぼ寝ないで、山中で戦闘を含む演習とか、
40キロ背負って25km富士の裾野を歩くとか、
まず民間では経験しないでしょう。
集合時間に1秒遅れるごとに
腕立て伏せが1回増えるとか、
つらかったけど今ではいい思い出です。
若干19歳で人を指揮する事も覚えました。
これを覚えた事で、指揮する立場の重要性や、
指揮官の責任の重さ、発言の威力の大きさ、
所作の大切さなど、身をもって知りました。
本当に色々な事を経験させて頂いて、
いまでも自衛隊には感謝しかないです。