尾張からの始まり
7月3日、バンテリンドームナゴヤで才木が復帰登板──そのニュースを知った僕は、反射的に名古屋への遠征の計画を立てていた。復帰後初勝利は絶対この目で見なければ、そう思った。
才木浩人。地元兵庫県の須磨翔風高から2016年ドラフト3位で阪神に入団。スラッとした高身長から快速球とフォークを投げ下ろすスタイルで、1年目から一軍デビューを果たした。2年目にはプロ初勝利を掴むと、中継ぎとしても一時はセットアッパーを務めるなど、最下位に沈んだチームにあって、希望の星となった。このままエースか守護神か、誰もがそう思わずにはいられない快投を続けていた。
歯車が狂ったのは、その翌年だった。春先、二軍で先発として登板した際に右肘の違和感を訴え途中降板。その後はなかなか投げることすらままならなくなった。4年目の2020年も、一時は二軍で登板するところまで行くも、なかなか肘の状態が上がらない。結局一軍で登板することは叶わず、オフにはトミージョン手術(通称、TJ)を決断。背番号は35から121へと変わり、さらなるリハビリ期間へ突入することとなる。
才木は懸命にリハビリを続けた。トレーナーや理学療法士らに加え、球団のOBであり同じくTJ経験のある藤川球児氏のアドバイスもあって、右肘は順調に回復。そして今年2月、練習試合で実戦のマウンドに上がるまでになった。
シーズンが始まると、才木は二軍で好投を続けた。5月4日に支配下へ復帰して背番号は35に戻った。さらに5月26日の広島戦では完封勝利。防御率1点台の素晴らしい成績を引っ提げて、今回の一軍登板を掴んだ。
7月3日。ついにこの日がやってきた。前日の試合で連敗を止めた阪神は、鬼門ナゴヤでのカード勝ち越しをかけ、才木をマウンドに送った。そして迎えた初回。久々の一軍、大歓声を背に上がるマウンドで、才木は投げられる喜びを存分に表現する。あの頃と変わらぬダイナミックなフォームから、最速153km/hを記録するストレートで中日の上位打線を完全に押し込んだ。いきなりの連続三振。そんな才木の姿に、ドラフト同期の大山が通算100号となる先制アーチで応える。さらに中野のソロで計3点の援護を得た才木は、初回で疲れてしまったという言葉通り、ストレートの球速は落ち変化球もなかなか決まらない中でも、なんとか5回を0に抑えて帰ってきた。今出せる全力を尽くした76球の晴れ舞台だった。3塁側、僕の見つめる視線の先にいる阪神ナイン達の出迎えの拍手は、とても温かく見えた。
そこからは必死の継投だった。イニング途中でも左右で投手を代える徹底ぶり。絶対に才木に白星を、その思いはバトンとなり、リリーフ陣の手を渡っていった。それを繋いだ投手陣の中には、ドラフトでも年齢でも同期にあたる浜地真澄の名前もあった。頼りになるリリーバー達は、残りの4イニングに見事0を刻んでいった。
時刻はおよそ午後5時。いつもは口が達者な才木が、言葉に詰まった。そして本気で泣いた。どれほどの思いを背負って、どれほどの辛い時を経て今この日を迎えたのか、ひしひしと伝わってきた。いつもはみんなを笑わせる才木に、今日はみんなが涙した。やっぱり見に来て良かった、そう思わずにはいられない最高のインタビューだった。
才木はまだ23歳。大卒であればプロ2年目、大卒社会人であればまだプロ入りもしていない年代だ。しかし、才木は既にプロで勝つ喜びも、投げられない苦しさも、様々なことを経験してきた。そしてこれからまだまだ先は長い。才木の第2のプロ野球人生は、尾張から始まる。