戦争と動物園と。
皆さん、おはこんはんにちは。8月も後半だけども暑い日が続くこの頃、いかがお過ごしでしょうか。
8月といえば、原爆や終戦の日と第二次世界大戦(以降WW2)を振り返る機運が高まる月ですね。ということで、今回は動物園好きの1人としての立場から、WW2と動物園についてこれまでに見たりしたことを中心に少し語ってみます。
1.猛獣処分という悲劇。
WW2と動物園との関わりについて、避けては通れない話題が、戦時猛獣処分ではないでしょうか。
猛獣処分が何故行われたかについては、表向きには空襲時に檻が壊されて逃げたら危ないからですが、実際のところは戦争に勝っていると思いこんでいる国民へ厳しい現実を突きつけ、戦争完遂への気を引き締めるためだったというのが主たる理由だそうです。
そんなこんなで、上野や東山、大阪や京都等全国の動物園では軍部や行政の命令により、ライオンやゾウ等といった沢山の猛獣たちが犠牲になってしまったのです。
2.猛獣処分だけではない悲劇。
ライオン等の殺処分の他にも、戦時中は多くの動物たちが死んでいきました。
動物を飼う以上、十分な食事を与えることは不可欠ですが、人間が食べる食事量が厳しく制限されたのが戦時中。動物たちに食事を与えることさえ困難な時代でもあったのです。
たとえば、上野では東京大空襲の後、多量の食事を必要とするカバが絶食処分されています。
それから、温暖な地域で暮らす動物向けのストーブ用燃料の不足で多くの動物たちが死んでいったり、空襲や都市戦でも動物たちに多大な犠牲が出たそうです。
3.悲劇を忘れないために。
3-A.天王寺にて。
大阪市にある天王寺動物園では、その名もズバリ『戦時中の動物園展』という企画展を、毎年夏に行なっています。
実際に処分された猛獣たちの剥製や、戦争終結後までに天王寺動物園が辿った道のり等が主たる展示内容となっていて、画像は載せていませんが戦時中の天王寺に関するビデオの上映もされています。
猛獣処分で犠牲になった動物たちの中でも、天王寺ではヒョウのエピソードが最も有名です。
担当飼育員から毒入りの肉を与えられても食べず、ロープで締め殺すことになっても結局果たせず、遂には担当飼育員が獣舎から逃げ出すほどでした。
結局、別の飼育員が手にかけましたが、その時、手の爪を全て出して床に爪痕を残して最後の抵抗を見せたそうです。
チンパンジーのメス、リタとその子供(死産)の剥製も展示のひとつです。オスのロイドとともに、軍服を着せられる等戦意高揚に利用されたことで知られています。
ここ最近、私は毎年訪れていますが、地球の何処かで戦火が絶えない故なのか、いつ来ても何だか身につまされるものがあります。
3-B.熊本にて。
熊本県は熊本市にある、熊本市動植物園。園内にあるいきもの学習センターでは、戦時中に処分された、エリーという名のゾウの遺骨の一部が常設展になっています。
遺骨を初めて見たのは、2年前の2月下旬。丁度ウクライナ侵攻が始まった時期だったので、戦争が生み出す悲劇には何があるのか、それが如何に人たちの精神を蝕むのか等と想起させられたことを思い出します。
3-C.ベルリンにて。
ドイツの首都、ベルリンにあるベルリン動物園。その一角にあるアンテロープハウスの中には、今までの歴史を解説するコーナーがありますが、WW2の最中のことも勿論あります。
当時の園長がナチスドイツに協力していたこと、ベルリンの空襲やソ連軍侵攻において壊滅的なダメージを被ったこと等、色々なことを知ることができます。
WW2の時には既にあったアンテロープハウス。まさに歴史の証人的存在です。
4.最後に。
WW2の終結から、来年で80年が経ちますね。しかしながら、あれから現在に至るまで、世界のあちこちで規模の大小問わない戦争が起きていて、その度に計り知れぬ数の動物たちが犠牲になっています。
戦争というのは、貴重な自然環境を徹底的に汚し乱し、そこに暮らす多数の動物たちにも犠牲を強いる、まさに環境破壊行為。平穏な世だからこそ、動物園も自然環境保全も成り立つのです。
自然環境の保全を訴える場として、平和の尊さを伝えることも、動物園の役割のひとつなのではと感じます。最後に、上野動物園の園長だった古賀忠道氏が残した言葉を。
『Zoo is the peace.』
今回は以上とさせていただきます。最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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