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宗教と科学の関係

今回は少しタブーな領域に踏み込む内容になるかもしれない。このテーマに刺激を感じる人にとっては、文字通り刺激的な話題になるだろう。


信じたいけれど、信じきれない理由

私は「神を信じるか」という問いを突きつけられたとき、どちらかといえば「信じられない派」に属する。しかし、100%否定しているわけではない。神や宗教に対して証拠や再現性がないために信じきれないだけで、どこかで「死後の世界や魂が存在していてほしい」という思いも抱いているのが正直なところだ。人間として、無意識にでもその普遍性を信じたいという気持ちはあるのだろう。


神々しさの共有と集団心理

信仰には再現性は存在しない。しかし、宗教や神々しさを感じる体験は、個人だけでなく、集団の中で共有されることもある。たとえば、トランス状態や普通でない精神状態にあるとき、目には見えない幻覚のようなものを見たり、「そこに何か」がいると感じることがある。それが個人だけの体験であれば主観的で終わるかもしれないが、複数の人が同時に感じたとなれば、その主観が一種の「共有された現実」になる。それが神秘的で神聖な感覚へと繋がり、信仰の一部になっていくことがあるのだろう。こうした「神々しさの共有」という現象が、集団心理によって強化されることで、宗教の力はさらに増していくのだと思う。

科学と宗教:主観の共有と客観の共有

一方で科学は、そこに起こっている現象を普遍の法則として捉え、再現性があるものだけを信じる学問だ。ここに、宗教と科学の根本的な違いがあるのだと感じている。宗教は「パワフルな主観」が多くの人々を巻き込み、「そうであってほしい」という願望が集団心理を形成し、信仰の源となる。一方、科学は客観的な現象に基づき、誰もが同じように観測できる真理だけを追い求める。信仰が「主観の共有」だとすれば、科学は「客観の共有」だといえるのかもしれない。


アナログとデジタル:宗教と科学のアナロジー

こうした違いを考えると、私は「アナログ=宗教、デジタル=科学」というアナロジーが成立すると感じる。たとえば、アナログ信号は連続的であり、その場のすべての情報を含むが、デジタル信号は情報を細かく分割し、特定の要素だけを取り込む。宗教や神秘的な体験が持つ「全体的な連続性」や「空気感」は、まさにアナログ的なものであり、それはデジタル技術では捉えきれない部分かもしれない。


デジタルが神々しさを再現する未来:テスラ社オプティマスの技術から

ただ、テスラ社のオプティマスというヒューマノイドが人間の動きをトレースする技術を開発していることに希望を感じる。もしこの技術が進化すれば、宮大工や名匠の技能をデジタル化し、再現可能にする未来も想像できる。ひいては、偉大な音楽家の演奏や職人の技術をトレースし、人々がその体験を「神々しい」と感じるようなデジタルの神聖さが生み出される可能性もある。そうなれば、神聖な感覚のパーソナライズも可能になるかもしれない。


科学による感動の探究:新たな価値の創造

このように、科学がもたらす探究の力は人々を感動させる潜在力を持っている。もしかすると、アナログ的な神々しさの再現や、科学による感動の探究こそが、未来の宗教や信仰に近い存在として新たな価値を創造していくのかもしれない。

皆さんはこれからのデジタルの進化に何を期待するのか是非共有してもらいたい。

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