非効率が生む効率
少子高齢化により、生産性や効率が重視される世の中になった。機械化と無人化が進む社会。私たちが今すべき事は人にしかできないことだという。
作業のような、繰り返しの毎日の中に感動は生まれない。
感動とは非効率の中で生まれる。そこには人が人を想う心がある。
ファッション業界が長い知人のMさん。ある日、Mさんのお店に足が不自由な方が洋服を探しに来た。スカートを気に入ったが、履いた時のスカートの広がり方が気になると言う。
Mさんは試着を薦めるが、不自由な身体では「試着をすること」が非効率なのだと言う。
Mさんは「タグを切らずに、自宅で試着してください。気に入らなかったら返品しましょう」と伝えた。
自分が失敗するかもしれない未来を既に許容しているのに、それを目の前の人が許さないと言っている。
効率だけを考えたら、売れたら終わりで良いのに。
自分以上に自分を大切にされた気がしたのか。その方は人生で初めて、お店で試着するという非効率を選んだ。
ゆっくり、時間をかけてスカートを履いた。
そして、初めての試着をMさんに見せた。
「とてもよくお似合いですね」
とびきりの笑顔でスカートを買って帰られた。
それからというもの、Mさんのファンになりお店を何度も訪れるようになった。洋服を見に来るという動機の他に、Mさんと話したいという動機が来店理由になった。相談相手として信頼のできる人になったからだ。
つまり“非効率が効率を生んだのだ“
マニュアル化をし、こうきたらこう返すというサンプルみたいな会話でなく、相手を想像する対話。心に寄り添うコミュニケーション。そんなことまでも当たり前に否定している世の中ではない。
一度の試着が、一着の洋服が、人生を変える事だってある。
私を想い目の前の人が「非効率」を選んだ時、
人は心が動くのだ。
やっぱり私たちは、機械でもモノでもない。
人なのだ。