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踊ってばかりの国 [2014] 踊ってばかりの国 (アルバムレビュー)

3rd fullアルバム『踊ってばかりの国』。セルフタイトルにして休止からの復帰作。昔からのコアなファンの間では支持を集めるアルバムだが、サブスクは解禁されていない。

2012年の『FLOWER』リリース後に脱退したBass柴田の脱退に伴い活動休止したが、2013年春にBass谷山が加入し、再開した。谷山は加入時、ベース経験どころかバンド経験もなかったというから驚きだ。活動再開後の一枚目として2014年1月に出したのがこのアルバムだ。

正直なところ前作に比べても、同時代のアーティストに比べても(オルタナティブロックに見られるような)前衛性や大衆性はあまり見られないのが今作だ。だがここには踊ってばかりの国にしかない魅力が詰まっている。それは下津の持つ淀みと強みであり、踊ってばかりの国を流れるアメリカンロックの血だといえる。

つまるところ不気味なサイケ色と社会に対する憎悪と皮肉で埋め尽くされていた前作と比べて、クラシカルなUSロックらしい印象を受ける。サイケは当然その極彩色を残しつつも少し控えめになりブルースやカントリーを感じさせるものが目立つ。サウンドの変化に伴い林のギターはさらに輝きを魅せている。歌詞も同様に率直なものが目立つ。テーマとして「愛」を露骨に避けていた前作とは明らかに異なる。「守るべきもの」「愛するもの」を意識したようなものが多い。歌い方もアイロニカルというよりもっと心を打つような強みのあるものになっていると言える。

1. island song

イントロは林のギターが輝かしく鳴り響く。islandとはまあ日本のことで、歌われてることの表向きの主旨は憂国だと言っていい。
「あなたを夢見て 宇宙で泳ぐわ 何かを溜め込んで 今夜も果てるわ 悪い旅の後で 水を飲めば 五臓に染み込んで 音に変わるわ」
あなたをアメリカとか中国とかと考えるのはナンセンスであるが隠喩的な表現ではあるだろう。意図を測らずともこの詩的な表現の豊かさ、浮遊感は誰しもに伝わる。佐藤のドラム、林のギターの音は重めだが、後ろに倒れてしまいそうな歌い方、詩には夢見心地で浮き足立つような感覚が憂いの中に染み込んでいる。
「ドレミファソレシド並べて またしても走り出した 悪魔の顔にゲロを吐いて 好きな場所 泣ける唄 君のカンザシ 陽に揺れる」
ここにも「悪魔の顔にゲロを吐いて」という棘はありつつもやはり「好きな場所」、「君のカンザシ」という守るべきものに重きが置かれている。
「君はソングライター イカれた女さ 魂は売らない ただの売女さ 話を終えよう 僕は変わらない 何を言われても 君よりも ダサくない 色んな御託を並べて」
君=island=日本。野暮ったいことをあえて言えば日本は(アメリカに対して)売女であったし、今もそれは変わらない。ただ魂を売っているとは言いがたい上にという中途半端さはダサい。下津は肝が据わっている。
「気づいてよ ピンクの家 昼は真っ暗 夜鮮やか」
ピンクの家=売女の住む家(?)。何に気づいてよなのかは分からない。
「活字の海 妬みの渦 今のアンタは愛せない」
ちなみにアメリカのTVアニメ「アドベンチャータイム」(2010~)のEDは『island song』と同名。フォーク的な優しく牧歌的な曲であまり関係はなさそう。ただ下津がここから曲名の着想を得ていても別に不思議ではない。

とここまで書いたのだが、Twitterで(自分より踊ってばかりの国に詳しい)ある方に教えていただき、訂正・補足するところがある。表向きの主旨は確かに憂国と言っていい。しかし不明な点が多く残ると。そこでこれは裏のテーマがあると考えると筋が通る。下津は今に至るまで一度離別している。その前妻へのisland songというのが裏のテーマである。

これもその方に教えていただいたことだが、下津の前妻は外国、それもどこかの島の出身だという。そしてこれは下津自身も歌にしている。1st full『SEBULBA』収録の「SEBULBA」で「小さな島から来たって女」「ていうか言葉すら知らない」と歌っていたのだ。islandとは表向きでは(島国である)日本と見えるが、妻の出身の「小さな島」であり、妻へ捧げられた曲であると言える。正確には「今のアンタは愛せない」という「アンタ」において日本と妻を重ねて悲哀が紡がれている曲なのだ。この曲の書かれた1~2年後には離別しているはずなので、二人の関係の悪化と3.11以降の日本の世相の悪化は重なることとなる。

「あなたを夢見て〜」「君はソングライター イカれた女さ 魂は売らない ただの売女さ」「ピンクの家 昼は真っ暗 夜鮮やか」と改めて見ていくと殴り書きに思えるほど荒い愛憎の歌である。

2.東京

疾走感のあるカッティングで始まり、island(日本)から東京へ。東京といつつ東京から見出される日本のことが歌われてる。2つに分けると、「労働者としての億千万の命」と「為政者としての年老いたジジイ」。
前者の描写はヒリヒリしていて現在性がある。単純に抑圧されてるという通り一辺倒のリベラルイデオロギー的イメージではない。 
「何を夢見て 何に犯されて 君じゃ届かない 君じゃ叶わない でも夢の墓場じゃない 東京」
これは前作収録の『シャンソン歌手』や前前作収録の『セレナーデ』と同様のこと。下津自身を重ね合わせている部分もあるのだろう。東京という都市の非人間的イメージを非難している。そしてこの後の「放射能の街 東京」という部分は3.11震災後という時代性を感じる。
「1 2 3と歩幅を みんな合わせて フォーマルスーツ着込んだ この国の働き蟻」
「肉を食って進む 花を踏んで歩く 生命の尊さ気づかず 哀れな働き蟻」
月並みな古臭い大衆批判だが、ヤンキー性のある挑発であり、ダサさはない。

—そうか。その中でも特に「東京」がすごい曲だと思いました。これはけっこう意気込んで作った曲なの?
下津 : ほかの曲とあんまり変わらないですけど、でも一番アナーキズムはあるかなと。ロック・バンドやし、何か言わなアカンかなっていうのはちょっとありましたね。でもそんなに強い使命感とかはなくて、むっちゃ無責任な気持ちで書きました。
踊ってばかりのこの国へ、辛辣だが愛に満ちたメッセージ(OTOTOY)

先ほど述べた後者のイメージ、「富を得た年寄りの権力者」は階級性を隠蔽する世代間格差の主張に則ったような典型的な批判であり、取るに足らない。

サビは哀しみを込めた「東京」の連呼。緩急の付け方が巧く、聞き手を惹きつける。

3.セシウムブルース

この曲は前作『FLOWER』収録の「セシウム」のアレンジ版である。ブルース調になり、歌詞が一部変化しているが、大部分は同じといっていい。アルバムの傾向とも合致しており、前作はジャンキーな嘲笑・狂気であったのに対し、こちらの方は守るものをより意識した故の怒りをより強く感じる。曲調もかなり暗く、また異なった恐ろしさを持っている。前作の方はすでにレビューを書いているのでこちらを読んで欲しい。

ここでは歌詞が変わっているところだけ紹介しておく。とはいっても少しである。
「俺はそいつを余裕綽々で殺すよ」→「俺はそいつをアイスピックでプシュッと刺すよ」
「あの女はエロいとか」→「あの売女はエロいとか」
なぜ変えたのかはよく分からない。少し生々しさが増しているのは分かる。

4.メイプルハウス

曲調は一転して明るくなる。個人的に踊ってばかりの国の中で一番好きな曲だ。歌詞におけるテーマはこの他の曲に比べると分かりにくい。繰り返し用いている抽象的な「守るべきもの」が中心にあるのは変わらない。ボーカルには重ねられており儚さや情緒の豊かさが前3曲より増している。
「あなたのことだけ考えていれば良いと言ったのに 窓の外見えてない」
あなたを救う。あなたはあなたのことを考えれば充分。
「あの時の群青の空が僕を救ったのに 僕は空を救ってやれないよ」
僕と空。狂おしい純朴さ。<自己の救済→他者の救済>という踊ってばかりの国全体の流れを表すかのようなフレーズ。
「ペテン師の傍で夜を越えて メイプルの家 夜を越えて」
メイプルの家(メイプルハウス)とは何のメタファーなのか定かではない。island songに登場したピンクの家が想起される。解説で言うのは身も蓋もないが、容易には理解不可能な対象(メタファー)が歌詞に点在している状態というのはある種の魅力をもたらすと思う。勝手な推測としては下津の家、それも生まれ育った家だと考える。そうするとこの部分につながる「ダウンタウン」がいきなり登場することにある程度の説明がつく。
「いつまでも君の傍で いつまでも僕を歌うよ」
君と僕をあべこべにしたようであるが、僕=ペテン師なのなら意味が通る。ペテン師は君に優しくないどころか君を騙る。そんなペテン師すれすれどころかほとんどペテン師であった下津はそれでも「君」を想って歌い続ける。他者への救いをもたらすべく。
「ダウンタウンに戻って 寂しさをみたよ」
このダウンタウンとは尼崎のことを指していると言って間違いない。下津のホームタウンだ。故郷に対して純粋な愛ではなく郷愁を感じるというクラシカルなものだ。先にも述べたようにメイプルハウスはダウンタウンにある、もしくはメイプルハウスはダウンタウンだ。

5.恋の唄

ドラムのフィルインからテンポダウンし、サイケデリアな歪んでいるが心地よいギター、下津の耽美でうっとりした歌い方。この曲と次の曲は本作の窪みのようにできた享楽の海のようなものだ。めんどくさくカッコつけるのをやめる。つまりこのアルバムでは特にサイケ色が強い(そもそもこのアルバムは前作と比べてサイケデリックといえる曲が少ない)。毒のあるものではなく、愛に焦点が当てられている。「恋の唄」、曲名通りだ。
「星の数」「ピンク」「あなたの宇宙」「ドブ」など歌詞中にはこのアルバムの他曲に用いられるイメージが点在している。
「星の数を数えても ピンクに見えて 目がまわる」
「一つ一つ大中小 君に見えて 目がまわる」
「そしてまた 気を失って」
こういう詩には畏敬を抱くほどの才能を感じる。非凡な言語感覚だ。そしてサウンドは気を失うようなサイケデリック。
キャデラックとは単に高級車を指しているはずだが、君がそれに乗ってくるということだろうか。

6.いやや、こやや

別離のうた。先ほど書いたようにこちらもサイケで気が遠くなって後ろに倒れそうだ。佐藤のドラムはそのビートのずっしりくる武骨さを残しつつも曲にマッチし、言うまでもなく林のギターは耽溺するような切ないサウンドを鳴らしている。
「思いはじわじわ育ち 別れはいつも突然さ 突然さ 突然さ」
いやや、こややとは何なのか。関西圏出身ではない人には馴染みがないであろう。「いやや、こやや 先生に言うたろー」と言う感じで使う。つまり「いけないんだ いけないんだ 先生に言ってやろ」と冷やかす時などに使う合いの手みたいなものだ。かと言ってこの説明はこの歌詞の的確な説明にはあまりならない。言葉遊びみたいなものだろう。
「秘めた 僕は秘めた 胸に秘めた 音像が人を殺めた いやや、こやや」
「明日へと開けて頂戴 明日へと運んで頂戴」

ちなみにサブスクにDJ YOGURTによるdub mix版が聴くことができる。よりトリップ感がある。

7.your mama’s song

サイケは鳴りをひそめ、テンポアップ。
「身も心も ジャスティンに夢中」
ジャスティンってジャスティン・ビーバーであろうか。“my” mama’ songではなくて“your”である。娘から見たmamaであるように思える。妻との関係の悪化の一環をなすことを軽く仄めかしているようだが深入りはできない。いずれにせよこの曲は曲と曲の間の緩衝材のようになっている。次の「風と共に去りぬ」へ。

8.風と共に去りぬ

ロカビリー調のクラシカルなロックのスタイル。前曲と同様だ。曲名は1860年代のアメリカ南部舞台のロマンス映画の傑作、『風と共に去りぬ』(1952)の引用であろう。曲調はイメージと合致しているが、歌詞は挑発的でガレージロックのようだ。下津もそこは意図的であっただろう。
「マーシャルマトン咥えたふりして 夜の扉開いた」
「あなたの中に見つけたフレアで ワセリンの夢をみる」
飛んだような歌詞は以前の作品でもみたあの熱量(ハイな感じ)を思い出させる。マーシャルマトンとかワセリンの夢とか意味を深く考えずに忌野清志郎みたいなイメージで捉えるのが良さそうだ。

奴はブルースを決めてギターを引きずる
俺はスピードつけてステージを駆け抜ける
ドカドカうるさいR&Rバンド/RCサクセション

「ガラスの靴紐でこに巻いて 君の首を捻る」
「消えていった命と 夜空の星は どうも数が合わない」
「あなたの言葉なんて 右から左で 風と共に去りぬ」
剥き出しにした暴力。歌詞のみならず曲全体が自滅しそうな勢いそして暴力に満ちている。下津のそれはマッチョなものではなくてジャンキーで狂気的なものだ。このアルバムでも以前の作品ほどは目立たないこの暴力こそロック抜きのロックみたいなダサいロックに足りないもので、残念ながら踊ってばかりの国は次作以降この暴力を曲の下へと沈めていく。少しの狂気を残して。
「億千の夜を越えた 愛しい人よ 痛みを分けるなら 風になれ そして歌になれ」
やはり「守るべきもの」に焦点が当てられている。

YouTubeに上がっているライブ映像にはこの時の迸る狂気を感じられる。

9.正直な唄

このアルバムの中ではポップだがやはりギターサウンドが目立つ一曲。サイケ色は薄く下地はUSロックだがJ-Rockらしいところもある。歌詞中の君はまたしても妻だと取れるし、別にそう捉えなくてもいい。下津のごく個人的なことそして飛躍して普遍的なことが歌われている。「君」への苛立、俯瞰した人間に対するまなざし、下津自身の抱える苦悩、救いなどやや散逸したものを正直な唄としてまとめている。
「世界のせいにするなよ いつも君が悪いんだろう この街に罪はないだろう ノータリン」
「バカなことを言うなよ 身からでた錆もいいとこ デカいピザに罪はないだろう ノーダリン」
固有名詞という訳ではないがノータリンとかノーダリンはミスチルの『名もなき詩』を想起させる。ノータリンは脳味噌が足りんの意でポップミュージックで出すようなワードではない。

ちょっとぐらいの汚れ物ならば 残さずに全部食べてやる Oh darlin 君は誰 真実を握りしめる

君が僕を疑っているのなら この喉を切ってくれてやる Oh darlin 僕はノータリン 
名もなき詩/Mr.Children

ノータリンという1つのワードのみならずこの曲はどこか下津光史っぽいところがある。踊ってばかりの国、下津の欠かせない要素の一つにJ-Rockがあるのは確かだ。BUMP OF CHIKENや髭(HiGE)から影響を受けたとインタビューで公言もしてる。

「涙のサイズを無視して 君はいつでもここへおいで 他人のハートが読めない 僕を笑ってくれよ」
「世界に罪はないんだよ いつも人間が悪いんだろう ノータリン」
近いものと遠いものが交互に、差別することなく、下津の目に映る同じものとして同じ歌に在る。
「夢に額つけないんだよ それは夢じゃなくるよ」
『シャンソン歌手』にもでてきそうなパンチラインだ。ただ脈略とは分離しているように感じる。

10.どちらかな

ブルース調でイカれた感じの曲。下津自身のことを豪快に歌っているようだ。ギターを振り回し、暴れるはいいが群れる仲間がいたり、決して腕っぷしが強いわけでもない孤独なジャンキー。なんだかパンクのような気もしてくる。
「僕にはもう 明日がもう 必要ない」
「血を見るのはどちらかな」
カットインの「ワァーオォー」は清志郎そっくりだ。

11.踊ってはいけない国

先行でシングルカットされたこの曲。2015年に改正案が可決され、2016年に可決された風営法が歌われている。申請書の義務化・規制の強化などが行われた。そのためクラブカルチャーを中心とした音楽業界では様々な人によって反対運動が行われた。この曲はその運動の中の一つだ。バンド名とかけた皮肉となっている。
「踊ってはいけない あなたより先に生まれたのに」
「ヒップホップだって テクノだって 愛おしい音楽さ ロックンロールだって ラグタイムだって 人を救える 音楽さ」
他のフィルードたちとの連帯。
「踊ってはいけない そんな国があるよ クソな国が ほらあるよ」 
ひねくれなどないまっすぐな怒り。
風営法を歌った有名なポップソングだとフレデリックのオドループ、ヤバTのあつまれ!パーティーピーポーなどがある。

いつも待ってる ダンスホールは待ってる
変わってく 変わってく 傷だらけでも待ってる
ほら踊ってる ダンスホールの未来に
色を塗って生きるのは あなた あなた
「ダンスは笑顔で待ってる」
フレデリック/オドループ

12.サイケデリアレディ

サイゲデリアレディ=妻なのは明らかだ。彼女との「ラストワルツ」つまり離別を哀愁込めて歌い上げている。林のギターは下津のその哀愁さをサイケデリックに揺らがせながら輝かせる。
「踊り子になって 押し花になって 寂しく思う」か
個人的な暗喩が込められている。どこをとっても諦観と哀しみを感じる。
「悲しみ越えて 強くなろう なんて嘘でも言えるさ」
「この痛みが僕の糧さ 心じゃなく 身体が痛い この痛みだけ 痛みだけ 生きてることを教える」
「悲しみ越えて強くなろう、涙の数だけ強くなれるよ」。反J-POP的ロマン主義という姿勢が漲っている。

13.それで幸せ

実質としては最後を飾る曲であり、踊ってばかりの国というバンドの最後とも思わせる。
「聞こえるかい 明日の入り口 無くしたモノの 断末魔 響いてる 唄ってる 踊ってる」
踊ってばかりの国、それを聞く人たち、それのみならず「明日の入り口無くした」全ての人のための曲だ。
「たとえ 今夜星が降って 僕を空に招こうとも 怖くない むしろ嬉しい 生きてる方が 汚れるから」
大文字のロックに生き、ヒリヒリとした享楽を噛み締める下津にしか表せない言葉。
「何もない 花だけ本当 花こそ本当 嘘じゃないから 開いてみ 部屋のドアを 君の世界は嘘じゃないから」
「明日あなたに会う あなたに会う それで幸せ」
下津にとって個人的なこと、聞くものにとって個人的なもの、そのバラバラな小文字の社会を越えようとしたところにこの曲はある。守るべきもの、愛するものに捧げたアルバム最後の曲として相応しい曲だ。

14.song for midori

ボーナストラックとしての一曲。カウントリーに乗せられた愛娘への露骨で溢れそうな愛。震災後、離れて暮らすことになったという。そして妻との離別と共に。
「笑顔も 泣き声も 全てを愛してます」


セルフタイトルであり意欲作とも言える今作。悪意・憎しみ・アイロニーに溢れた前作とは一転し、「守るべきもの」「愛するもの」に焦点が当てられた。そしてこれ以降の踊ってばかりの国の方向性を決定づけるアルバムであった。ファンの間で最高傑作と呼ばれることもある理由が分かる。

次作の4th full『Songs』は今作の方向性が明確に続く。テーマを持った一つのコンセプトアルバムというよりは歌集に近いように思う。今作リリース後のインタビューではこう答えている。

—最後に、次の作品についても聞かせてください。
下津 : 今回のアルバムから外れた曲を練り直して、同時進行で新しい曲も作っていくっていう感じですね。歌詞の内容がむっちゃ柔らかくなると思います。
—それはまたなんで?
下津 : そういう気持ちなんですよ。
踊ってばかりのこの国へ、辛辣だが愛に満ちたメッセージ(OTOTOY)

次回は一曲ずつではなくアルバム全体でのレビューとなる予定。

参考: アルバムリリース後のインタビューhttps://ototoy.jp/feature/20140121

批判・指摘はTwitter(@pooraiden10541)まで

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