泣いてもやらない。その「泣きの覇気」にワタシは屈しない
事業承継チャレンジがめでたく終了したワタシ。次の道で新しいチャレンジ中。
子育てチャレンジ中でもあるワタシ。3人の子どもがいる。小学生×②と幼稚園児。まだまだ、小さい。
子育て?というか子どもと接している時に気を付けていることがある。
それはー
何かを要求して泣いてきたら、絶対にやらない。それに応えない。
たとえば、
「あれ欲しいー わー(泣く)」
「これ食べたくない わー(泣く)」
「それやりたくなーい わー(泣く)」
あーうるせー。
泣かれるといろいろ大変だし、面倒だから、その要求に応えたくなる。うるさいし。対応すれば泣き止むことも多いし。
が、しかし。
それでいいんだっけ??って思っちゃうこともしばしば。
ここは強いメンタルでその覇気を振り払うようにしている。
その「泣きの覇気」に屈してしまうと、
今後、子どもは自分の要求を通したい時にその覇気を使ってくる。
「泣けば良い」と思うようになる。
この「泣けば良い」という思考を持たせたくないなーと。何かをして欲しいなら、泣くんじゃなくて「どうするとその要求が通るか」を考えて欲しい。
#え ?社会人に言ってる?
#え ?学生に言ってる?
#いいえ 、小学生低学年と幼稚園児です。
泣いて喚いて、要求を通そうとする子どもにワタシはいつもこう言っている。
「泣いたら、絶対にやらないから」
そして、本当にやらない。泣けば自分の要求が通るという経験をさせない。
急にこんなことを想ったのは、とあるやりとりを聞いたから。知ったから。
バスでいたずらで降車ブザーを押しまくる小学生に対して、運転手が取った行動がグッジョブだったという話。
要約すると、「(降車ボタンを)押したんだから、降りろ」って話。
そして、注意だけじゃなくてちゃんと実行したこと。言うだけだと、舐められる。
「大人ってちょろいな。少し泣けば、言う通りになる」
そんな大人になって欲しくないので、ワタシは子どもが泣いたら絶対にやらない。泣けば良いという経験を持たせたくない。
この運転手みたいにワタシはなりたい。