習慣的なインプットとアウトプットについて
1.インプットとアウトプットの重要性
大学院を修了してからというものの、日常的にインプットをしたりアウトプットしたりすることがめっきりと減ってしまった。生産的に執筆活動をしたり思考したりするための基本的な活動として、一定のインプットをすることや、インプットした事柄を自分なりに解釈してアウトプットする(発信する、言語化する)ことは重要である。
2.何が問題か
いまこうして、何かまとまったことを書こうと思うとき、以前に比べて筆が進まない、タイピングの手がとまってしまうというところから、習慣的なインプットとアウトプットの重要性、とくに意地でも書き続けることの重要性に気づいた。なぜ、以前に比べて筆が進まないのか。なぜ、タイピングの手が止まってしまうのか。要因は、大きく二つに分化できると思う。
要因1:書きたいと思うネタがない
要因2:書きたいネタやトピックはあるが、執筆慣れしていない
まず、要因1について:
書きたいと思うネタがないという症状は、いわば執筆を仕事にしている場合は致命的である。執筆を仕事にしていないとしても、あまり好ましいとは言えない。なぜなら、日常に対して、問題意識がないということの証左であるからである。
私たちが、日常を送っているなかで、何らかのことにいら立ったり、違和感を覚えたり、うれしくなったり。実に様々なことを考えているはずである。だから、正確に言えば、自己とじっくりと向き合うことができていないから、書くネタがないと思うのかもしれない。
また、書くネタがないというときに、インプットが不足しているということもあるかもしれない。例えば、読書を全くしていない、映画を全く見ていない、など。いちいちそうしたインプットを能動的に入れていくことで、考えるきっかけを作ることが重要であるし、また、アンテナを高くしていくことが必要であると思う。
ちなみに、小池陽慈の『できる大人の「要約力」』(青春出版社)では、インプットを得て、それを要約することの重要性と、考えたことをメモすることの重要性が説かれている。
容易2について:
書きたいことはある、しかし執筆ができない、うまくまとまらないというとき、それは、言語を使って表現することに慣れていないということもあるかもしれない。これは、強引にアウトプットする癖をつけなければ育成することができないように思う。
3.これから
だから何をするか:
このブログを記しているなかでも、自分のアンテナの低さと執筆力の低さに辟易としている。だから、今後はこのブログという媒体を使って次のことをしていきたいと思う。
①インプットの解釈
少しでも、何かをネタにインプットを解釈したいと思う。ネタは、書籍かもしれないし、仕事かもしれないし、論文かもしれないし、映画かもしれないし、人間関係かもしれない。それらを、解釈(要約)してここで発信する。要約の正確性については、本来執筆者の責任で保障されるべきであろうが、そこも含めて自己努力をしていく。
②インプットをもとにした表現活動
インプットを解釈し、それを発信する。つまり、インプットをして、それについての感想やコメント(critical reviewを含む)を行っていく。なぜコメントをするかというと、やはりそうした作者との対話が大事であり、そこに自己(思考の片りん)が表出すると考えているからである。
③推敲
まずは、べた書きをすることになろう。しかし、それをそのまま出すのは執筆者としていかがなものか。だから、最低限、自分で推敲を行ったものをここに投稿するようにしたい。ある程度慣れてきたら、あらかじめ思考をマインドマップやアウトラインで整理したうえで、原稿をしるすというようにしていきたい。まずは、とにかく習慣づけることを重視したい。
そういうわけで。継続していきたい。
最後まで書いてみたけれど、まだまだだなあ。道のりは長そう…。