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今度はどこで泣こうか…
幸せの町を後にした僕は、ほっぺが赤い坊主頭がいるとんでもない田舎に越して来た。
稲田堤と言う場所は当時(33年前)は田んぼや畑がわんさかあり、夜暗くなるとバリ島の様にカエルがゲコゲコ合唱するド田舎でした。
人の噂話は矢のごとし速さで広がり、何処にいても監視されてる様な心落ち着かない場所で大嫌いでした。
思春期真っ盛り、少年から大人になる段階を三段跳び位で性にも興味が湧き、悶々とした中学3年間を過ごしていた。
大人になっても思うけど、その辺りの遺伝って言うのはどうなんだろうか?
うちの親が自分のように性欲プンプンの思春期を過ごして来たのかは別に知りたくもないが、自分でも女の事とサッカーの事しか考えてない時代がしばらく続いていたのにビックリする。
みんなそうなのか?
可愛い息子達も近い将来、悶々になるのだと想像するとなんか胸が締め付けられる。女のケツをを追うのは性だから良いが、ちゃんと1人の人を愛せる奴になって欲しいとは思う。
話は逸れたが、僕が心底性格が合わないと思う父親だが、人を愛すると言う事を父親と母親から受け継げたのだと思う。そこは遺伝して良かった。僕は嫁と出会えて初めて人を愛する心を知った。そして子供達と出会い愛する対象が3人になった。
でもこの時の僕はそんな未来がある事は一切知らない。
引っ越して、クソだと思っていた稲田堤の町や人を全く受け入れる事なく過ごした中学3年間。ここで家族は一気に崩壊する。
僕の家庭内暴力や親や周りへの不信感によって…。
誰も味方などいないと思い上がっていたクソ中学生は、その後、何十年も掛けて自分の愚かさを悔やみ続ける人生を歩む。
半径2メートル位の視野しかなく、若気の至りだと簡単に言えない。
最愛の母を自分の手で傷を付け、自分が病気になる原因を作った…「俺が殺した」、この想いが自分の全身を覆い尽くすまでそう時間が掛からず、母は16歳の冬にこの世を去った。
周りは早くに亡くなった残された息子として哀れな目で見ていたが、この人達の事は信用出来なかった。
生前、母親に対して陰口を言っていたのを知っている。大人がそんな事をして良いのだろうか?
さてここから自暴自棄な生活が幕を開けます。
僕は何の為に生まれて来たのか?
答えのない問答から自己を傷付け人を傷付け始めるのでした。
世のお母さん、長生きして下さい。
男はいつまでも子供のままですから…。
つづく
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