歴史の話が苦手
とある歴史好きが歴史と今の日本に対して話してくれた。とてもシビアで辛かった。
私は、その話が段々とヒートアップしていく度に
「何故そのような行動を、その人物は行ったのか」
「その時の気持ちは」
「その後の未来をどう描いていたのか」
が気になりすぎて正直、その歴史好きから聞く話は苦痛であった。
しかし歴史好きで、かつ歴史を今でも研究している人とも、つい最近話をした事を思い出した。
その人の話はとても面白かった。
何故だろう?
そこはもしかしたらかもだけど、歴史を深く愛し、なおかつ今だに研究をしている分「歴史は変わる。教科書で習った言葉が変わるように。でも断言できないからこそ想像の余地があって楽しい」と前置きして話してくれたから面白かったのかもしれない。
結局のところ、私は断定的な物言いが気に食わず、話が入ってこなかったのかもしれない。
そしてここから少し話逸れるが、私は話を聞くのが苦手だ。
特に目眩がして倒れてしまうくらい(比喩ではなく本当に)苦手な話は
ダメ!ゼッタイ!でお馴染みの大麻の危険性を訴える話だ。
よく学生の頃聞いて、本当に吐くか気絶するかの瀬戸際だった事を覚えている。
また、戦争もの、病気もの、動物が被害を受けている話、事故の話などなど
危険だから、そういう目に遭うのは怖いから、そういう事になると大変だから、避けましょう・やめましょう・気をつけましょうと話の目的を分かっていつつも聞くのが苦痛だ。
こういう人は他にもいるのだろうか。
せっかく「地震が起こった時に対策しておくべき事」を話してくれるのに、その前に「地震が起こった事」という事が聞くに堪えなくて目眩がする、横になってしまうとか。
コロナのニュースもそう。
対策部分だけを聞ける賢い脳みそと耳が欲しい。
いつも私は思う。目に見えない苦痛が1番大変だと。心もそう。
私は楽しい・嬉しい・幸せな話しか耳に入れたくない。
悲しい・辛い・苦しいはいつも何をしなくてもやってくる。
突然予想だにしなかった時にやってくる。その為にその苦痛を少しでも軽くしてくれようと頑張って講演会で訴えてくださる人達には本当に申し訳ないのだけど、耳が目が頭が耐えられない。
歴史も、「何でこの古墳はこのようなデザインなのか」を考えるなら楽しい
でも人は大抵「歴史は繰り返す」にのっとったように、同じ事を繰り返す気がするので、少し歴史人物系の話は苦痛だ。水戸黄門が食べた物を紹介するくらいなら聞けるけど。