クリスマスプレゼントはりんご1個
小学校1年生の時にサンタさんから貰った最後のプレゼントだ。
隣で一緒にクリスマスを迎えた従兄弟達はとても良いオモチャをサンタさんから貰っていた。
切なく悲しい思い出である。
これ以降誕生日プレゼントは600円まで。クリスマスプレゼントは無しとなった。平成の世で世知辛さを10にも満たない年齢で味わえた。
夏休みは酷くつまらないものだった。
両親共働きの為、皿洗い・洗濯・掃除・ご飯炊きまでを毎日こなさなければならなかった。これは小学校3年生から始まっている。
そして17時、早めに帰宅した母に全ての家事が出来たことを報告すると
「当たり前でしょ。何自慢してんの」
と返答が来るので黙って毎日(時々はサボリ)家事を続けることにした。
以降 中学〜高校までは同じような繰り返し
料理も教えてくれなかったので夏休みに食べる物はお菓子か氷で済ませる毎日
結果、20歳で栄養失調と診断が出る。職場の人に心配された。
21歳、母が癌になる。
急に弱気になった母は私を頼るようになるが、上記の思い出が沸々と蘇り優しくなんて出来もしなかった。手を上げるなどは決してしなかったけど、寄り添って悲しんだりしても「あんたは良いわよね。癌じゃ無いから。あんたがなれば良かったのに」と返ってくるだけだし、入院中に暇そうにしていたので雑誌を買ってきたら「こんな安いもの買ってこないで、もっと良いもの買ってきなさいよ」と返ってくるだけだったから。
優しくなんて出来なかった。
それでも結局最期を看取った時は泣くのだけど。
そして紆余曲折あり、今私は一人暮らしをしている
その中で度々思い出してしまうのが夏休みの思い出とクリスマスの思い出だ。
また、母と父から何を学んだのだろうという疑問もセットで頭の中を占めてくる。
正直言えば、外面を良くすることと他人に優しくすることくらいしか学んでいない気がした。他人に優しくする事を学べたというのは、別に人情味溢れるものでもなく、愛想良くしていれば助けてくれるなど、そういった利己的なものである。
今、経済困難と精神的な不安定さと持病でかなり苦しい状況にある。
役所の人に相談したらヘルパーさんが来てくれるらしく、他にもお金の使い方を教えてくれるそうだ。
それが業務であるだろうと知りつつ、身内からそこまで大切にしてもらった思い出がない為、今から学べるのだと思うと大変嬉しい。
でも小さい頃に、褒めてもらえていれば・馬鹿だ間抜けだと言われていなければ・大切に思われていれば、もう少し私は自分自身を認めることが出来たんじゃないかと、思ってしまう。
そこそこ食べる物もあり、和式トイレを使ったことがなく、病院に行くことも出来た人達を見ていると、どの年代だったとしても羨ましく感じる。
親がよく言っていた「食べられない子もいるんだ」や「お前よりもっと辛い人がいるんだ」は、私の辛さを慰めてから言って欲しかった。