【連載小説】風は何処より(21/27)
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教師である自分は、いつも生徒に教えていた。
一つのことだけ見ても、真実は見えてこない、と。
複数人の「個人」の事だけを見ていても、物事は見えてこない。
殺人や失踪などという「三面記事の事件」ではなく、これは「政治」なのだ。
コトは、日本とアメリカと韓国の現代史の中にあるのだ。
神津も千鶴も、決して教科書には載らないが、現代史のキーパーソンだったのだ。
「多くの人は、見たいと欲する現実しか見ていない」とカエサルは言った。
人は安易な憶測や、恣意的な情報の取捨選択によって、真実の究明を自ら遠ざける、という意味だ。
自分は、愛する妻のことさえ、見誤っていたというのか?
城所は、千鶴のことを思った。
(果たして、家族よりも優先したいような仕事だったのだろうか?)
夫はともかく、腹を痛めた子供も置き去りにしてまで、やりたいことがあるだろうか。
結婚した家族にさえ相談することさえできず、いきなり失踪などあり得るだろうか。
およそ拷問を、望んでするような殺戮マシーンではないと思っている。
それが自らの希望で、自己実現のためにで、それを選ぶとは思えない。
戦後なのだ。平和の時代が来たのだ。
それに逆行などするだろうか。
神津の話は、事実を隠しているというより、故人の家族に気遣っているということなのだろうか。
旅立った者への敬意か、家族への愛情か。
否、立場もあるだろうが、改竄された「勝者の歴史談話」なのではないだろうか。
千鶴は、日本にいても、韓国にいても、結局謀殺される結末は変わらなかったのではないか?
死人に口なしとはよく言ったものだ。
そうすると導き出される答えは一つだ。
「千鶴は、失踪した1950年8月当時から、神津かCIAに脅迫されていた」ということだ。
失踪など、不自然極まりない。
当然、家族は捜索願を出すし、勤務先や知人などを当たるだろう。
勘の良い者なら、探し当てるかもしれない。
しかし、探し当てた後、待ち構えているのは「口封じ」だ。
千鶴はそれを恐れたのだろう。
すべての証拠を消し去ったのだ。
千鶴の勤務先は存在していなかった。
戸籍も、前半生も、全てが闇の中だった。
早々に、城所は妻の捜索手段を失った。
千鶴は、常に命の危険を感じていたのだろう。
(自分はCIAの監視下にある。危険が家族及ぶことは避けたい。ならば)
そう考えて、千鶴は韓国に赴いた。
自分で自分を守れるよう、娘にもノウハウを叩き込んだ。
「インテリジェンス=情報」により、争いを回避し、いつか平和利用が出来る時が来ると信じて。
そのためには、娘のその出生の秘密は、守らねばなかった。
だからこそ、仕組まれたのは、誕生日の偽装。誰の子だかわからなければ、命は狙われにくい。
およそ標的にはなりにくい。
夫と、幼い子を守るためにはこうするしかない、というのが真実だったのではないか?
(真壁玲子は、フランクではなく、俺の娘かもしれない…)
城所は考えを巡らせた。
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