【連載小説】風は何処より(5/27)
5
春先の午後。雨が、木枠格子のガラス窓に、強く打ちつけていた。
まだ日暮れまでは時間があるが、どんよりと曇っていて、薄暗い。
少年は、窓の外を眺めた。
ここへ来て、こんな強い雨は初めてだった。遠くでは雷も聞こえる。
しかし少年は、さほど気にせず、机に向かい、ノートにペンを走らせ勉強を続けた。
部屋のドアがノックされ、壁のガス燈が揺れた。
養父が部屋に入ってきたのだ。
「フランク」養父が少年の名を呼んだ。
「イエス、サー」少年が英語で応答する。養父とはいえ「父」ではない。敬語で話す。
養父と共に、スリーピースのスーツを着た紳士が立っている。
少年は、ペンを止め、振り返って、立ち上がった。
少年の傍にいた少女も、目にしていた絵本から目を上げ、紳士と養父に目をやった。
「フランクとメアリーは、これからこの方の世話になるのだ」と養父が言った。
事前に知らされていたので、別に驚くこともない。
その時が来たのだ、と少年は思った。少女もそう思ったに違いない。
少年は10歳、少女は5歳だ。
「イエス、サー」少年は頷き、文具を片づけた。
養父は安堵の表情を浮かべ、少女のほうに近づき、抱き上げて微笑んだ。
少女のほうは事情など知り得ない。言葉も特に発しない。
少年も少女も、目鼻立ちは整っており、肌はやや白い。髪の色は黒く、瞳も茶褐色だ。
二人ともアジア人と白人の混血なのだろう。
身の回りの荷物は、既にまとめられていた。
校服と下着と僅かな部屋着、教科書と文具、読み込んだ詩集と聖書。全てまとめても、スーツケースでは余分だ。
少年には、友と呼べる仲間はいない。だから誰に別れを告げる必要もない。
少女と二人で新天地へ向かう、そう思ってこの家で暮らしていた。
天気は曇っているが、少年の心は晴れやかだった。
「これから、新たな人生が始まる」そう信じて疑わなかった。
時は1930年3月。
アメリカは大不況時代のまっただ中である。
3年後には、ドイツのヒトラーがナチス政権を獲得する。
7年後には、日本が中国に戦争を仕掛ける。
「戦争の時代」が到来する。
少年と少女は、その後の時代に翻弄されていくとは露知らず、部屋を出た。
さらに14年の時が流れる。
養父と別れ、フランクとメアリーは、日本に向かった。
これまで暮らしていた、ロサンゼルスから、太平洋航路で日本へ。船旅で2週間はかかる。
裕福な養父の計らいで、二人は、優雅な旅を楽しむことになる。
1944年10月。横浜。
初めての日本に足を踏み入れる。自分たちの出自も、東アジアだったのかもしれないが、日本に足を踏み入れるのは初めてだ。
学校で日本語教育を綿密に受けてきたので、コミュニケーションに不安は無い。日本の文化・風俗にも相当の造詣を持って育ってきたつもりだ。
横浜では、アメリカ国務省の職員が出迎えてくれた。表向きは、銀行の社長だという。
40歳くらいの紳士だ。黒い自家用車に乗せられ、横浜元町の高台に位置する邸宅に移動した。
瀟洒な洋館で、それぞれ部屋をあてがわれた。
1週間ほど過ごした頃、伝令がやってきた。東京での受け入れ先が決まったので出頭せよとのことだ。
兄妹として二人は、麻布狸穴町にある住宅街の一軒家に引っ越してきた。
フランクは23歳の青年。メアリーは18歳になっていた。
「以降、フランクは、神津竜一。メアリーは、神津千鶴と名のるように」
上官となる男から、日本語で命を受けた。
神津竜一は米国系証券会社の調査担当として、神津千鶴は外交官秘書としての職に就いた。それぞれの業務をこなしながら、別の仕事にも勤しむこととなった。
神津竜一は、麻布の自宅から、オフィスのある丸の内まで、市電で通った。
千鶴は、大使館が赤坂なので、徒歩だ。
「諜報の基本は、街に出ることだ」という、訓練官のかつての言葉を反芻し、千鶴は坂道を歩いた。
その年の11月14日から、米軍の空襲が東京でも始まった。
11月30日には、近隣の東京市麻布区にも空襲があった。
が、兄も妹も、それを話題にすることは無かった。
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