【連載小説】風は何処より(19/27)
話は韓国側に移る。
CIAは、極東地域において、すなわち日本でも韓国(南朝鮮)でも、第二次世界大戦後の「経済戦争」を裏で手ぐすね引いていたのである。
朝鮮半島の地勢を見ると、南朝鮮は高山が無く、気候温暖な農業に適した土地である。
日本統治時代には、米などの農産物を輸出していた。
その代わり有用鉱物は少ない。
一方、北朝鮮は冷涼で山が多く農業には不向きである。
その一方水力、鉱物資源に恵まれていた。
その為、南北に分裂したとき、南朝鮮には工業としては紡績工場とソウルを中心とした軽工業しかなかった。
頼みの農業も、日本、満州から大量の人が引き揚げてきたこと、肥料工場が北にしか無かったことから肥料不足になり、食料品まで不足した。
日本統治時代は日本に農産物を売り、そのお金で消費材を買っていたのが、その農産物すら不足する事態となったのである。
更に、北朝鮮からの送電を絶たれた韓国の国民の命を守ったのは、アメリカからの援助であった。
アメリカが、第二次大戦終結後から1961年までに行った援助総額は、31億ドルに達する。年平均2億ドルに及ぶが、それは借款ではなく無償援助であった。
アメリカからの援助は、国家予算の3割から5割強に達した。
当初の援助は、40%以上がアメリカの余剰農産物であり、通算でも25%は小麦・トウモロコシ等の農産物であった。
これを韓国国民に売り、その売ったお金で、軍事費その他諸費用をまかなった。
その為、農産物の価格は抑えられ、農業は衰微した。
韓国のように資源のない国で、国を興すには貿易に頼るしかない。
しかし李承晩は、独立前には最大の貿易国であった日本との国交回復を拒否し、アメリカからの物乞いと、日本への強請に徹したのである。
信じ難いことだが、1961年に、朴正煕が政権を取ったとき、韓国は、北朝鮮やフィリピンより貧しい、世界最貧国だったのだ。
韓国は日本の搾取を非難するが、搾取した日本が去った後、所得格差は縮まるどころか、逆に拡大したのである。
もちろん、朝鮮戦争で国土が荒廃したことが大きいが、これとて朝鮮人同士の勢力争いが原因である。
韓国内では、李承晩は派閥抗争に明け暮れ、ライバルを次々暗殺することに熱心であり、国民のことは全く考えなかった。
日韓の反共同盟化を画策していたCIAは、反共だが反日でもある李承晩に手を焼き、旧親日派の朴正煕に排除させたのである。
岸信介と朴正煕は、満州国とCIAと、切っても切れない関係にある。
朴正煕は、日本の陸軍士官学校に入学し、満州軍の中尉として日本敗戦を迎える。その後、韓国軍に入隊し、紆余曲折を経て1961年に軍事クーデターを起こして全権を掌握するが、満州軍官学校時代からの人脈が、ものを言った。
さらに、日本との関係正常化をめざす中で、岸信介をはじめ、椎名悦三郎、瀬島龍三、笹川良一、児玉誉士夫、伊東正義、鮎川義介(日産コンツェルン総帥)、十河信二(国鉄総裁)ら旧関東軍、満鉄調査部に連なる満州人脈とのつながりがあり、それが故にCIAに徹底的に利用され、1965年の日韓条約へとつながっていくのである。
岸と朴は、年齢は親子ほど離れるが、人生観、処世観に共通点が多い。
ともに没落した名門の辛酸を舐め、上昇志向が強く、勉学で身を立てようと一心不乱に努力した。
岸にとって旧敵国の米国に忠誠を誓わせられるのは、屈辱であったが、死を目前に「生かしてやるから協力しろ」と言われれば、他に選択肢はなかった。変節と言えばその通りだが、与えられた条件下で最善を尽くし、身を立てる逞しさがあった。
朴も同様であった。
反日の恨(ハン)を飲み込みながら、親日派となって身を立て、解放後の韓国軍粛清運動で南朝鮮労働党の秘密党員であったことが発覚し、死刑を免れない状況下で「生かして欲しい」と涙し、転向を誓った。
さらに、共産党員、反共、民族派と変節を重ねる朴の志向は、転向に次ぐ転向だ。故に様々な批判を浴び、最も信頼した側近・金載圭からも暗殺されてしまう。(これはCIAの差し金によるものではあるが)
朴は、「抗日の英雄」北朝鮮の金日成にコンプレックスを抱き続けた。
金日成は、「抗日」と「コミュニズム」という思想は一貫していたが、皮肉にも、その一貫性故に、金日成は、ソ連の崩壊とともに窮地に陥り、北朝鮮の経済は破綻した。
政治は、宗教や思想、道徳のような綺麗事ではない。
生命と権力に対する強い念こそが、国を導いていくのだ。
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