【連載小説】風は何処より(15/27)
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車は西麻布を曲がり、六本木に入った。
この辺りは、今でこそ大変な繁華街だが、戦時中は軍事用施設が集まっていた場所だ。
防衛庁もここにある。
旧軍の研究所や砲兵工廠もあったはずだ。
車は六本木通りの交差点で、信号待ちで停車した。
平日火曜ではあるが、夜7時を過ぎて、横断歩道は人であふれていた。
周辺道路も、通行人で混雑している。
やがて信号が変わり、車は左折し、横断歩道を歩く人々を待って、徐々に前に進む。
左手には防衛庁が見え、車窓から過ぎ去っていく。
道の両側から、クリスマスの明るいイルミネーションが車内を照らす。
車は、少し進んだ後、細い道を左に入って行った。
大通りから少し入っただけなのに、先ほどの繁華街とは打って変わって、閑静な住宅街となった。
白い街灯が、さほど広くない道を照らしている。
六本木7丁目。
この周辺は、戦後から軍関係の施設の多かった場所だ。
東京の「米軍基地」である「赤坂プレスセンター」も、この地域に隣接している。
道なりに走ると、右手に白い建物が見える。
やや左に道がそれ、下り坂に入る。すると建物のある敷地には石垣がそびえた。
その石垣の切れ目に、門があった。
白のハイエースが、その前で止まった。
その先に見える高架は、最近できた六本木トンネルだ。
トンネルの屋根部分はヘリポートになっている。
「着きました」と鈴木が言った。
ライトは消しているものの、エンジンはかかったままだ。
六本木の奥に、こんなに大きな屋敷があるとは、まったく予想外だった。
瀟洒な洋館である。門扉や、西洋風の鉄格子が洋館を取り巻いている。柵の高さは、ゆうに5メートルはあるだろう。敷地の奥は、樹木に囲われているが、所々芝生が臨める。
洋館は二階建てで、白い壁が印象的だ。戦前からあったのではないか、と思える造りだ。
真壁が時計を見た。黒いG-SHOCKのデジタル液晶が「19:18」と表示されている。
鈴木も、同じ仕様の腕時計を見た。瞬間「19:19」に表示が変わる。
「入ります」鈴木が呟いて、スモールランプを点けて、車を進めた。
通用門のほうに車を進めると、門扉の奥から、通用係と思しき男が出てきた。
「お世話様です」
「御苦労様です」
鈴木と通用係の男が、声を掛け合った。
自動式の門扉がゆっくりと開き、ハイエースが屋敷内に進入した。
通用係の男が、ハイエースを邸宅の脇へと、手を振りながら誘導する。
車は、邸宅の裏手、勝手口と思しき扉の場所の前で、停止した。
あまりにあっさりと敷地内に入れたので、城所は拍子抜けした。
真壁はあくまで冷静な顔をしている。
通用係の男が、ハイエースのスライドドアを開け、車に乗り込んできたので、城所は身を強張らせた。
「お疲れ様です。赤石陸曹長です。本日ご案内役を務めさせて頂きます」
通用係の男が、敬礼し、自己紹介した。
服装は、白のシャツに黒のネクタイ、黒のズボン、茶の長い前掛け、という井手達だ。
髪を短めに刈っている。年齢は30代後半だろう。穏やかな表情であり、誠実さがうかがえる。
「御苦労」と真壁が口を開いた。
「私は、真壁三佐である。今回の作戦の指揮を担当する。こちらは鈴木一曹。またこちらは城所さん、民間人だ。万が一の際には、城所さんを重点にカバーするように」と言葉短めに伝えた。
同時に、脇のボックスから、ホルスターに入った拳銃と、MP5Kサブマシンガンを赤石に渡した。
「この方は味方なンだな」城所が口を開いた。緊張のためか、声がかすれた。
「はい、彼はこの作戦のため、神津邸に既に3年潜入してもらっています」と、真壁が説明した。
「…3年」城所は驚いた。この日のために、長年耐え続けたのだ。真の軍人だと、敬服した。
「よろしくお願いします」赤石が言う。
城所は、赤石をじっと見つめ、視線を重ねた。
「もう一人、邸内に仲間がおります。落合という者です」赤石が加えた。
「よし、では行こう。赤石陸曹長、案内を頼む」
真壁が言葉短めに言うと、全員がハイエースを降車した。
真壁は拳銃、赤石はサブマシンガン、鈴木はショットガンを手にしている。
城所は、拳銃を腰のホルスターに入れたままだ。
「邸内には、通常、警備の人間が5人、使用人が8人、秘書官が1人です。」
赤石が、三人に伝えた。
「そのうち、うちの落合が、警備担当として入っています」
「なるほど。向こうの装備は、事前情報の通りであるか?」
「はい。警備担当は6連発拳銃のみです」
「落合以外は、白人か?」
「使用人の女性メイドで、黒人と、ヒスパニック系が1名ずついますが、それ以外は白人です」
「わかった。念のために伝達しておくが、武器を持たぬ者への発砲は禁止である。また市街地でもあるので、極力、武器の使用は控えるように。ただし、個人の状況判断に委ねる」
真壁は厳しめの口調で伝えた。
「はい」と軍人二人が答え、続けて城所が頷く。
真壁たち4名は、通路を進んでいく。
まだ7時半なので、当然、屋敷内はまだ灯りがついている。
屋敷が古くアンペアが低いのか、照明は薄暗い。
「神津はどの部屋に?」真壁が、赤石に尋ねる。
「いまは食事中ですので、ダイニングルームにいらっしゃいます」
3年も神津邸で働いていれば、主人に対しては敬語で話すことだろう。
「最後の晩餐ッてわけか。ゆっくり食事をさせてやりたいもンだね」
城所がつぶやく。
「はい、フランク様はいつも19:30前後には夕食を終えられます」
赤石が答えた。
この日本で、映画のような激しい銃撃戦は想定していないのだろう。
やくざの親分の家ではないのだから、子分が何十人もドスを持って控えているわけでもない。
神津には部下というものがいない。他に情報を伝えるものがいれば、その分、漏れる危険性もあるためだ。
神津は、生涯独身だったので、家族もいない。
日米の政治経済を牛耳るフィクサーではあるが、とはいえ個人宅であるので、
常駐の警備員や、邸内で生活を共にしている使用人だって、数は知れている。
かつ、度々所在を変えていることから、小規模に抑えているようだ。
公安・警察関係者が、捕縛にやってくることも、神津としては、当然想定の上だろう。
情報のプロフェッショナルである神津が、奇襲作戦に驚くとは思えない。
そのため、正面から堂々と乗り込む。
こんな不思議な作戦は、空前絶後と言えるだろう。
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