【連載小説】風は何処より(26/27)
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2015年、夏。
早いもので、あれから20年が過ぎてしまった。
城所正治郎さんは、3年前に他界した。88歳と長寿だったようだ。
年賀状のやりとりは続いていたため、「兄」である、城所信彦からの喪中ハガキで知った。
久しぶりに六本木の旧跡を訪ねた。
戦いの場であった、六本木の変容にも驚かされる。
防衛庁は、市ヶ谷駐屯地に移転し、旧来の面影はない。六本木ミッドタウンとして、高層ビルがそびえる。
それよりも驚くのは、ミッドタウンの「地下」の広さだ。
さらにその下を走る、大江戸線・六本木駅は、日本一深いところにプラットホームがあるという。
あの時、さまよった地下道は、おそらく当時建築中だった都営大江戸線の通路として転用されたのだろう。
フランク神津竜一邸も、再開発され、広大な敷地を持つ美術館と大学になっていた。
隣のハーディ・バラックス(赤坂プレスセンター)は、昔のままだ。
じっとりした東京の夏も、このあたりは緑が多く、涼しげだ。
かくいう私も、既に還暦をゆうに超え、64歳だ。
髪は白髪だらけになり、視力も落ちた。元軍人というプライドもあって、健康や体力には、留意してきたつもりだが、やはり寄る年波には勝てない。
KCIAは、1998年に金大中大統領によって解体された。
金氏は過去に自身の暗殺を謀った組織の人員削減する決定を下し、名称も現在の「国家情報院」へと変えた。組織の規模縮小は次の政権へも引き継がれ、金大中と盧武鉉政権の10年間で、韓国の情報機関は工作員が2割以上も減少した。
韓国のインテリジェンスは、改編とともに弱体化の一途をたどった。
スパイ戦略の象徴ともいえる国家情報院を縮小させることで、北朝鮮に友好姿勢を示したわけである。
事件後、防衛庁を退職して、以降は団体職員として調査の仕事を続けてきた。
私自身は、銃を持ち歩く生活は、とっくに離れている。
しかしながら、いつ誰に狙われるか定かでない。
平和と戦争は対義語であり、いつ、何どき、それが起こるとも限らない。
アフリカや中東の戦火が、極東である日本に飛び火する可能性は多分にある。
世界情勢は、いまも目まぐるしく変わる。
私たちがかつて生きた情報戦は、より複雑さを増している。
だれが敵で、だれが味方なのか。そんな白黒がハッキリつくような時代ではない。
武器は、銃からインターネットに変わった。
テロは、相変わらず世界中で起こっている。
「世界大戦」が起きていないだけで、誰もが日々、いますぐにでも、恐怖を目の当たりにする危険性がある。
貿易風か、
偏西風か、
嗚呼、風は何処より、我が地へ来るか。
了
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