知覧特攻平和会館へ行ってきた
知覧特攻平和会館を訪れた話をしよう。
僕は広島出身なので、
小学生のころからいわゆる「平和学習」というものがあった。
小学校の絵日記では、必ず平和について書かなければならなかったり、
授業で戦争を経験したおばあちゃんの話を聞きに行ったりもした。
もちろん、広島の平和記念資料館にも行く。
当時の広島の平和記念資料館は
小学生が見るにはけっこうえぐい展示も多かった。
中でも「被爆再現人形」という
子供のトラウマとなることで有名なえぐい展示があった。
そこにたどり着くまでにすでに精神が削られていた僕は、
その前を通り過ぎるときは目をつむって友達に引っ張ってもらっていた。
そんな、ある種思い出深い展示も、
今はリニューアルして、すでになくなってしまったのだが、、、。
広島の平和記念資料館は
戦争の恐ろしさや怖さがひしひしと感じられる場所だ。
広島の小学生は必ず行かされるので、
みんなのトラウマスポットと言っても差し支えない。
おかげで平和記念資料館に並ぶ、
戦争に関する資料館を訪れる際にはちょっとした抵抗感がある。
そんなわけで知覧特攻平和会館に行くのも少し恐れがあった。
しかし、実際に知覧特攻平和会館を訪れてみて、
広島の平和記念資料館とは、全く異なる印象を持った。
平和記念資料館では「戦争は恐ろしい」と感じたのに対し、
知覧特攻平和会館は「戦争は悲しい」という印象を強く感じたのだ。
知覧特攻平和会館は、第二次世界大戦末期の沖縄戦における
特攻隊員の遺品や関係資料を展示している。
その展示物の多くは、出撃前の特攻隊員が親や家族にあてた手紙である。
特攻はパイロットが帰還しないこと前提の作戦である。
つまり、その手紙とは遺書だ。
手紙には、皆が皆、驚くほどの達筆で、
「国の勝利の願い」「両親や妻子への感謝」が記されている。
今から死にに行くにもかかわらず、
遺書のほとんどすべてが前向きな内容だ。
「死にたい」などという記述はどこにも存在しない。
これから自分が死ぬことは絶対に意味があると、
両親や妻子、そして何よりも自分自身に言い聞かせるような文章は、
読んでいて何とも息苦しい。
当時のパイロットは20代前半の男性がほとんどで、
僕より年上のパイロットは数えるほどしかいなかった。
自分より年下のパイロットたちは
一体どんな気持ちでこの文章を書いたのだろうか。
今の平和な世の中ではまったく想像もつかない。
自分が遺書を書くなら何を書くのだろうか。
そんな想像をすることさえも少しおこがましいと感じてしまうのは、
現在の平和さゆえだろうか。
最近ニュースでは、ロシアのウクライナへの軍事侵攻の
話題が多く取り上げられている。
かなり平和な時代とされる現代でさえ、世界のどこかで戦争は続いている。
「戦争はどうやったらなくなるか」という問いには、
未だ誰も明確な答えを出せていない。
「戦争がなくならないのはなぜか?」という問いに対し、芸能人のタモリさんが興味深い答えを出しているので、引用させていただく。
なんとも納得感があり、だからこそ絶望的な回答ではないだろうか。
どうやったって戦争はなくならないわけだ。
では、どうすればいいのか。
現時点での僕なりの回答を記させてほしい。
確かに、完全に戦争をなくすことはできないかもしれない。
しかし、その戦火を少しでも小さくすることはできるのではないだろうか。
そしてそれを可能にするのは、相手を「知る」ことだと思う。
映画で敵役の半生が描かれると思わず同情してしまうように、
相手の思いや感情を想像することが大切なのではないか。
「愛の反対は憎しみではない無関心だ。」
というマザーテレサの有名な言葉がある。
敵を愛せとまではいかなくても、ほんの少し関心を寄せることができれば、戦争への足を止める人が増えるのではないか。
そして、そういった相手への視点を持つ助けとなるのが、
知覧特攻平和会館に並ぶ、戦争の資料館ではないだろうか。
戦後から77年、戦争経験者の方々の多くが寿命を迎えてしまう中で、
こういった資料館はほんとうに貴重な存在だ。
特に知覧特攻平和会館は、多くの手紙を通し、
特攻隊員の心情を深く感じることができる場所だ。
若くして命を落とす覚悟を決めた若者たちの手紙から、
「戦争の悲しさ」を感じるだけでなく、
「自分の人生の生き方」も考えさせられるだろう。
自分の人生に新たな視点を増やしてくれることは間違いないと思う。
機会があれば、是非訪れてほしい。
そして、時間を取って、ゆっくりと、
戦時中の若者たちへ思いをはせてほしい。