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遠隔心理支援”としての”フォーカシング試論


1. はじめに

この記事では、フォーカシングを「遠隔心理支援」として今後どのように用いることができるのか、という問いを立てる以前に、そもそもフォーカシングという実践がその開発の経緯から、どのように遠隔で活用されてきたか、あるいはどのような理由で遠隔でも活用しやすいのかということを扱いたいと思います。
端的に言えば、フォーカシングという実践には元々、遠隔心理支援と相性の良さが含意されている。あるいは「遠隔心理支援」というものの本質を考えるとき、フォーカシングという実践は多くの示唆を、現状のコロナ禍における心理支援を考える上での「発想の種」のようなものを私たちに与えてくるのではないか、ということをぜひ共有できればと思います。

フォーカシングを含む人間性心理学(humanistic psychology)では、広く一般的に「今ここ(here and now)」性、クライエントとセラピストとのいきいきとした関係性、間主観的な相互作用を重要視しています。ですので、画面越しのやりとり、特にビデオチャットにありがちな、あの微妙なタイムラグによる話しづらさのせいで、うまく人間性心理学で強調されている特徴を、遠隔ではうまく活かせないのでは、と多くの方は思われるかもしれません。
しかしフォーカシングのセッションは、現にビデオチャットなどを通したワークショップ、セッションなども実施されていますし、私自身もたびたびフォーカシングのセッションをzoomを使って行っています。フォーカシングを体験するフォーカサーとしても、フォーカサーを支援するリスナーとしても、いざセッションが始まってしまえば、通常のやりとりでも感じられるような例のタイムラグによる不便さ以上の違和感は感じられない、というのが実際のところです。
対面の場合と「全く同様」と言えるかは定かではありませんが、少なくともフォーカシングは遠隔でも実施可能であり、すでに多くの実践の場、ワークショップが開催されています。多くのフォーカシングの実践家にとっては、こんなことは「何を今更」という話題でしょう。もっと言えば、フォーカシングの考案者であるユージン・T・ジェンドリンが1978年に初版を書いた『フォーカシング』という書籍には、すでに電話でのセッションの例が掲載されているわけですから(改訂版邦訳、31頁を参照。この点あとでもう一度触れます)。

このように、すでに遠隔支援として実施されてきたフォーカシングですが、では改めて「なぜフォーカシングは、遠隔でも十分に実施可能だったのか」という問いに関しては、まだ十分には検討されていないのではないでしょう。この問いを探究しながら、遠隔心理支援「としての」フォーカシングの特徴を整理するのが本記事の目的です。前置きが長くなりましたが、もう少し話の前提を続けさせてください。このコロナ禍で、期せずして多くの心理臨床家が直面することになった「そもそも心理療法は、遠隔でも(十分に)実施可能なのか」ということについて書く必要があるからです。

2. 遠隔心理支援の変遷

コロナ禍において、心理療法の感染予防対策の一環として、非対面で遠隔ツールを用いて実施する「遠隔心理支援」のニーズが高まりました。ただ従来でも、離れた場所にいる利用者に対して支援を提供する取り組みは存在していました。
例えば、「いのちの電話」に代表される電話相談です。日本でも、電話という道具が広くどこの家庭でも普及し始めた1960年代には、すでに導入されました。スクールカウンセラー制度が1990年代になりようやく開始されたことと比べれば、日本の相談事業の歴史を振り返ると、遠隔支援としての電話相談はかなり早い段階から導入されたことになります。

遠隔心理支援の歴史は古くまで遡ることができますが、ここで改めて指摘しておきたいのは、従来の遠隔心理支援が、現在求められている「感染予防対策」という目的として、つまり通常の心理療法における対面実施の代替案として発展してきたわけではない、ということです。これも当然と言えば当然の話ですが、従来の遠隔心理支援の手法(電話、ビデオ通話、SNSツールの手法)をそのまま「対面での心理支援の代替策」として使えば、何らかの齟齬が生じやすい。
例えば、一般的に一回での面接が多い電話相談でも、対面で継続的・定期的に実施する心理臨床面接では、もともとその目的が異なる場合がままあります(もちろん、主訴や諸々の諸事情により異なりますが)。そのため、「感染対策の問題で、カウンセリングを対面で行うのが難しいので、電話かテレビ通話で面接を行おう」というようにスムーズに移行できない場合が多々あるわけです。このあたりの詳細は、下記の拙論にてまとめています。ご関心をお持ちの方は、リンクから私のウェブサイト上に置いてあるpdf(全文)をお読みいただければ幸いです。

岡村心平 (2021). 日本における遠隔心理支援の変遷とそのニーズ・機能の変化 神戸学院大学心理臨床カウンセリングセンター紀要 第14号 pp.17-24

3.遠隔心理支援としてのフォーカシング

一方で、フォーカシングはその開発初期から、電話越しのセッション実践が行われてきました。繰り返しになりますが、対面と電話で全く同様かどうかはわかりません。ただ例えば近年でも、日本でも電話でのフォーカシングを取り入れた面接事例について報告されています。

上淵真理恵(2917)「電話フォーカシングによる社交不安症の大学生との面接過程」共立女子短期大学文科紀要 60,1-12

上記論文の著者の上淵先生は、電話で実践するフォーカシングのメリットとして、電話による実施という侵襲性の低さや利便性、実際の悩みの内容に言及しなくてもフェルトセンスのみを取り上げることでセッションができる安心感、また音声のみで面接のため、言葉でのやりとりにお互いに集中できるという凝集性があると指摘されています。
一方で、このような声のみのやりとりになるということが、姿や表情、姿勢などを憶測したり確認したりする必要があり、聴き手側の勘に依存するところが多くなることや、フォーカシングの導入がしやすいクライエントとそうでないクライエントなど、相手のタイプにより導入が難しくなるというデメリットがあるとも指摘されています。

このように、セラピスト側が面接過程として進めていく上での困難さや実施上の注意点などがデメリットとして挙げられているのと対比的に、クライエント側、話し手側にとっては、「電話で実施している」ということ自体によってフォーカシングのプロセスを阻害する可能性は、限りなく低いと想定されます。
そしてここまでご紹介した通り、フォーカシングという技法はもともと、その考案当初から電話で実践されてきました。フォーカシングの考案者であるユージン・ジェンドリン博士が1978年に刊行した一般書籍”Focusing”の初版(邦訳の『フォーカシング』は第2版訳)でも、すでに電話で実施されたセッションの例が紹介されています。

ジェンドリン, E. T.(著)、村山正治・ 都留春夫・村瀬孝雄(訳) (1982). 『フォーカシング』福村出版

第2章「変化」の中で、フェイという女性と(おそらくはジェンドリン本人と想定される)聴き手との間の電話でのセッションの概略が掲載されています。男女関係に起因する悩みによる深刻な状態から始まるこのセッションは、最初のステップ「クリアリング・ア・スペース」から後半の「アスキング」に至るまで、フォーカシングの一連のプロセスがコンパクトに紹介されている典型例にもなっています。冒頭の「フェイから電話があったのは午後も半ば頃でした」という一文を見落とせば、おそらくこのセッションが電話越しに行われていたと気づかない人もいるかもしれません
(※もちろん、このセッション自体が架空のものである可能性、あるいは対面でのセッションを電話セッションに変更して記載された可能性は十分にあり得ます)。

4. コミュニティアプローチとしての電話フォーカシング

フォーカシングが電話のセッションとして活用されていたという事実には、1970年代にグレイザーがシカゴを中心に活動を始めた「チェンジズ(changes)」というコミュニティの存在とも深く関連しています。チェンジズは元々、シカゴ大学の臨床心理学専攻の学生によって有志で立ち上げられた電話相談を含むコミュニティ支援のためのグループで、フォーカシングやリスニングの実施をメインにながら、さまざまな支援活動を行っていました。自助グループでありながら、中には車の修理や引っ越しの手伝いなど、困った時にはお互いに助け合う支援ネットワークとして機能していたと言われています。

Glaser, K. & E.T. Gendlin (1973). Changes. Communities, no. 2, 30-36. Louisa, VA:Community Publications Cooperative.

当時、チェンジズは自身たちの電話番号を公開していて、何か困ったことがある場合には誰でもその番号にかけることができました。チェンジズのメンバーは交代で電話相談を担当しており、この担当性は、運営の全てをメンバーの自主性に拠っていたチェンジズの活動においては特例的なものです。メンバーは電話面接の特別な訓練を受ける取り決めとなっていて、中には非常に深刻な相談内容であったり、薬物や自殺の問題など早急な危機介入が求められる場合もあったため、電話相談に関しては特に注力されていたといいます。
一方で、グレイザーとジェンドリンは、チェンジズが一回きりの電話サービスや介入の提供を目的としているのではなく、あくまでコミュニティとして、人々を迎え入れることを目的としていると強調しています。単に電話でのセッションを提供するサービス団体ではなく、電話をきっかけとして、その人の支援のためにコミュニティ・レベルで関わるというのが、チェンジズの理念だということです。

このように、フォーカシングがその開発草創期である1970年代から電話でセッションを行っていた背景には、当時のシカゴにおけるコミュニティという発想が背景にあります。単に面接室に訪れたクライエントに対して実施するだけでなく、いわゆる「アウトリーチ」という発想、支援が必要な人に対して、支援者側が積極的に働きかけ、支援サービスを受けやすいように取り組む「コミュニティ・アプローチ」の文脈で、フォーカシングが活用されてきたのです。
またコミュニティアプローチでは、地域の資源をどのように活用するかという視点が重要ですが、リスニングやフォーカシングを学んだ人が誰でも別の誰かを支援する、という非専門家リソースの活用という点も、フォーカシングがコミュニティ・アプローチに影響を受けている現れとも言えるでしょう。
ではなぜ、そもそもフォーカシングという実践は、電話でも実施できるでしょうか。この点に関しても、フォーカシングの開発経緯が関わっているのでは?という仮説を立てることができます。

5. 「音声録音」研究から生まれたフォーカシング

フォーカシングという技法が生まれた背景には、ジェンドリンの哲学的背景と、心理療法実践の効果研究が元になっています。この辺りは、下記にリンクを記載した「フォーカシング創成期の2つの流れ : 体験過程尺度とフォーカシング教示法の源流」という論文(田中・池見,2016)に詳述されていますので、ご関心をお持ちの方はぜひご覧になってください。

田中秀男・池見陽(2016).「フォーカシング創成期の2つの流れ : 体験過程尺度とフォーカシング教示法の源流」Psychologist : 関西大学臨床心理専門職大学院紀要, 6,9-17.

議論の流れをまとめますと、先ほど強調した、フォーカシング開発の元になっている「心理療法の効果研究」においては、①心理療法の成功と相関があったのは、クライエントが”何を”話したかではなく”いかに”話したかであった、②心理療法が成功するか失敗するかは、ごく初期の面接記録から予測できてしまう、という2つの別々の研究が合流しているといいます。田中・池見(2016)では、①の話し方の研究が後に体験過程スケール(EXP scale,  Gendlin et al., 1960)の研究の原型となり、②のセラピーの成功予測がフォーカシング教示法の開発に影響を与えたと指摘します。
これらの研究は、カール・ロジャーズの教え子たち、つまりジェンドリンの兄弟弟子たちによるもので、当時ジェンドリンが所属していた研究コミュニティの成果の影響を受けて、後にフォーカシングが開発されていったのです。

ここで注目したいのが、このような仕方でジェンドリンに影響を与えた先行研究が、実際のセッションの「録音」記録の分析に拠っていた、ということである。当時のロジャーズたちの研究動向に関しては、池見先生の著書『心のメッセージを聴く』に詳しく記述されています(80頁)。テープレコーダーもない当時、フォノグラフ・ディスクの埃を拭いながらかなりの労力をかけて、ロジャーズたちは実際の録音を記録していたようです。本書は他にも、体験過程スケールやフォーカシングのプロセスについてわかりやすく解説されている比類のない入門書ですので、ご関心をお持ちの方はぜひお読みください。

池見 陽(1995). 『心のメッセージを聴く』講談社現代新書

つまり、ロジャーズたちが分析対象とし、ジェンドリンが強く影響を受けた、心理療法の重要要素というのは、もともと「声」だった、「音声言語」がそのターゲットだったということです。もちろん、通常のセッションでも、表情や仕草、ジェスチャーなども、フォーカサーのプロセスを理解するのに役立ったり、フェルトセンスを表現する「ハンドル」となることは知られています。しかし、もともとフォーカシングの背景にあった研究が、「音声」を元にした逐語記録の詳細な分析を行ったものであり、そこが発想の出発点にあったのです。
元々「声」を手がかりに考案されたフォーカシング実践は、「音声のみ」の実践である電話相談という実践においても、導入しやすかったのではないか、そのため、電話とフォーカシング、ひいては遠隔心理支援とフォーカシングは、非常に相性が良いのではないか、というのが私の現段階での見立てです。

もちろん、もしロジャーズたちの時代に動画の記録方法が存在していたならば、彼らは確実に動画を撮影・記録し、その映像を分析したでしょう。彼らは当時の最新の「録音」という技術を使用して、音声記録から実証的に心理療法の効果研究の手がかりにしたわけですが、それは結果として、電話という音声のみの通信メディアを通した実践への応用しさすさにつながったのではないでしょうか。

どのような話し方を促すか、という音声でのやりとりの視点を草創期から持っていたフォーカシング実践は、相談室という物理的な制約から解放されて、電話回線を通じたアウトリーチ、コミュニティ支援の方法としてさらに発展することになりました。先にも指摘しました通り、私自身は音声電話だけでなく、zoomなどのテレビ通話を用いたセッションを、フォーカサー側/リスナー側どちらも経験してきました。通常のやりとりとテレビ電話特有のタイムラグによる話しづらさを感じることは多少あっても、それによりセッションのやりづらさを感じたことはありません。フォーカサーのフェルトセンスとの関わりの維持を支援する視点がリスナー側にあれば、遠隔での実施はその本質を十分に生かした上で可能なのです。

開発当時はある種の技術的制約であった「音声分析」という手法が、翻って音声のみの支援方法である「電話」でのセッションを進める上で大きな支えになったのではないか、という「仮説」というか「発想の種」に関しては、理論的、実践的にもさらに検討の余地があると考えています。

6. 最後に

1978年に刊行された原著の"Focusing"には、アメリカ在住のフォーカシング・トレーナーの自宅の電話番号と住所が各州ごとに掲載されていました(!)。もちろん現行版では削除されてはいますが、フォーカシングにはこのような包括的なコミュニティ支援という発想が元々、その根底に根強く流れているように思います。。
新型コロナウィルス感染拡大という社会全体に対して多大な影響を与えていますが、ある種のコミュニティ支援としての「遠隔心理支援」のあり方をさらに検討していく必要があるでしょう。その点で、フォーカシングという実践はまだ活用の余地を残しているのではないでしょうか。フォーカシングが遠隔心理支援という現代の社会的な取り組みに、いかに寄与できるのか、引き続き考えながら実践に取り組んでいきたいところです。

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